ご覧頂きありがとうございます
今回は少々暗くて読んでいて気分の良いものではないかもしれません。
気持ちが不安定な方は、不快に思われる可能性もありますので、無理せず自己判断で読み進めてください
プロフにも書いているように、私は中1で突然霊が視えるようになりました。
最初は自分に付きまとう影だけの存在でした。
今までのさまざまな霊体験は、これから別の機会に書いていきます。
視える人達の中には、ざっくりいうと、
家族が霊媒師もしくは霊感がある人がいた、とか、神社仏閣に関係ある生まれだったりして、環境要因で先天的に力を持った人。というのと、
後から様々な理由で、後発的に力を持った人。というのがあると思います、ざっくり過ぎますけど
私は完全に後発なので、そのキッカケを書いておきます。
結論から言うと、小学6年生の時に、自殺をしようとして失敗した事がキッカケだと思います。
家族のことが原因でした。
物心ついたころには、母は重度のアルコール依存症、父は厳格だったけど気弱で、暴力を振るう人でした。
実父なのにあまり懐いていなかったと思います。
表向きには父も母も安定と言われる仕事をしていたし、外からみた家族の光景は、恵まれていると思われていたと思います。
だから私も、家庭内の事を誰にも相談できなかった。
あ~、違うな。
知られたくなかったんだと思います。
毎日悲しくて辛くて、1人だと泣いてばかりの弱い自分を、可哀想な人間だと思われたくなかった。
友達にも、先生にも、同居している親族にも、だれにも自分の本心を見せられなかった。
周りが作った、しっかりした気の強い長女の私、であるしかなかったんですよね。
私はとにかく母っこで。
母が大好きで大好きで、一緒にいる時はずーーーっと引っ付いていました。
だから、母がお酒を飲んで人格が変わったようになると、本当に辛かった...
基本的には優しい人だったけど、自分が1番で、悲劇の主人公で、子供への関心がなかった。
(病気のせい...とその頃思っていたけど、結局今も自己中は変わらないので、元からの性格なのでしょう)
いつも気を引きたくて、母の好きなものを用意したり、お手伝いしたり、母中心に動いていた小学生でした。
でもやっぱり辛かった
母らしいことをしてくれない母。
学校から帰ってきて、玄関を開けるのが怖かった。
ドアに手をかけて、しばらく動けなくて、
今日も飲んでるのかな。起きてるかな。また怒鳴り声の中ごはん食べるのかな。八つ当たりで父に殴られるのかな。
悲しいな辛いなしんどい、もういやだ、もう見たくない。
両親から愛されていない。
ある時、この気持ちが爆発したんでしょうね。
その前後の記憶が曖昧で、正直あまり詳細は覚えていないけど
でも、決行してしまった。
描写は省きますが、小学生の少ない知恵と情報で出来ることは限られていたし、結論は、もちろん失敗したから今ここにいる訳ですが...。
でもその時の気持ちは、今も凄く覚えている。
もうこれで母に会えなくなる。
その悲しさだけで、わんわん泣きながら決行しました。
死は怖くなかった、他の未練もなにもなかったです。
思えば遺書なんて発想もなかったし、成功してたら周りは「なんで?」と思ったと思います。
私は学校では元気に過ごしていたし、よく笑っていたから誰もきっと気付かなかった。
だからこそ決行した時、体ではなく心?精神?が1度死んでしまったんだと思います。
心を欺いて、無理をし続けた結果でした。
その後、どう過ごしたのか、すっぽり記憶がないので分からない事も多いのですが、ただ、小6~中2までの3年間は、ただただ死にたくて死にたくて仕方なかった、その感情は覚えています。
逆に言うと、もう死のう、あとこの学校行事が終わったら死のう、と事あるごとに死の設定をしていたのを思い出しました。
それが、なぜか心の安定になっていたんですよね、死が安定剤なんて、本当にヤバイ精神状態でした...。
数年後、この死にたがり設定への罪悪感で、何年も苦しむ事になるのは、また別のお話です。
機会があれば書きたいと思います。
書いているうちに、忘れていた(閉じ込めていた?)感情がぶわ~~~っと思い出されて、びっくりするほど涙が出てきました。
なにこれ何の涙???骨髄反射???自分でも戸惑いました
こうやって私は、ある意味心が死の淵に立った事で、霊との接触が可能になってしまった。
と考えています。
子供ながらなかなかハードな経験をして、それで得たのが霊感なんて、もう踏んだり蹴ったりでしたけども
家族だけでも厄介だったのに、霊障がプラスされて、さらに生きづらくなったのが正直な気持ちです...。
でも今考えると、すべて必要な経験だったのでしょう。
かなりハードな修行でしたよねって思います。
その後も、鬱、父の自死、パニック障害、母の看病、大切な人の死、目まぐるしい状況に翻弄され続けて、やっと今、目指す道がみえました。
人生の前半部分は苦労で埋まっているけど、
今は自分にとっての居場所があります。
大切な旦那さまと息子が側にいて、好きなことをさせてもらって、今は霊障からも解放されました。
とてもとても、幸せです
この人生の為に、あの苦労があったのだと、ようやく帳尻が合ってきました。
辛く暗かった過去の経験が、神仏へ向かう道だったのだと思えば、それも仕方なかったのかな、と。
そして、今、自分に起こることを受け止めて、守るべき家族や周りの人達にお返ししていくターンに入ったのだと思いました。
逆に今、神仏からのメッセージに翻弄されて戸惑うばかりですが
私だからこそ出来ることを、しっかり見極めて、出来ることをしていきたいと思います。
長々と、暗いお話にお付き合いいただきましてありがとうございました。
私自身のための備忘録でもありますので、ご了承くださいませ
また、お遍路レポなど、通常運転でがんばります!
去年の東寺の桜です🌸