偉大なる“異論は却下主義”…~その1~ | ホーリズム3~様々な情景…〜

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ラフブロでのブログを継続し、
ブログ生活16年目に突入
僕なりに感じる事を
いろいろ書いてます…

昨日行われました
水戸ホーリーホック
「アウェー・磐田戦」

選手・スタッフ・関係者のみなさん、
リモート応援のみなさん、
お疲れ様でした

結果は、0-0ドローでしたが、
“次の勝利”を目指しましょう…


さて、
引き続き感じることを
書くのですが、

「商業主義」というキーワードが、
一人歩きしてしまい、
いつの間にか、
「商業主義の是非」という話になり、

「意見者の
    商業主義を非で語る意見はおかしい」
という論点になってしまったように思いますが、

そもそも、
事の発端は、

「自分はこのように考え、
    これを目指している」とだけ
主張するのなら、
問題はなかった事を、

何故か、
“意見者の意見”を引き合いにして、
それを“否定的な意見”と位置付け、
それに対して反論した事だった…


しかも、
意見の全文ではなく、
一部分だけ切り取って、
意見者の主張が、
あたかも
それだけかのように写してしまったから、

「商業主義の是非」という話に
なってしまった上、
「商業主義を非で語る意見者」として
意見者が否定される意見が多くなってしまった
のである

事の発端として、
もう一度言うが、
何故、
“意見者の意見”を引き合いにし、
しかも
“否定的な意見”と位置付けたのか?

“否定的な意見”
すなわち、
「自分の(正しい)考えを肯定せず否定する
    (間違った)意見」と
表現したのである…


更に疑問なのは、
意見者の意見は、
果たして、
その一言だけだったのか?

その一言だけわざわざ書いて、
意見として送ってきたのか?

僕は想像しかできないが、
その一言の前後にも
意見者の言葉があり、
その中でのひとつの言葉だった
のではないだろうか?

それを、
自分の考えを自己肯定した上で、
“否定的”と言っているが、

見方を変えれば、
意見者の声も、
それはそれで“意見”である

しかも、元は、
自ら“意見を募集”している訳である

“意見を募集”している以上、
様々な意見が来て当然だし、
それを前提に募集しているのでは
ないのだろうか?

はっきり言って、やっている事は、
開幕前と何ら変わってないし、
僕は開幕前とまったく同じ思いを持っている

それは、
その根底にある
“異論は却下主義”は


実に偉大で恐ろしいという事…