堀江則雄のブログ ユーラシアの風 -9ページ目

堀江則雄のブログ ユーラシアの風

ユーラシアの各地で起きていることについて思っていることを書き連ねる。


変わる中央アジア:米国・ロシア・中国

 2014年から15年初頭にかけて、ウクライナ問題、通貨ルーブルの下落、欧米による対ロ制裁が中央アジア5カ国の経済発展に負の影響を与えたことは否定できないが、ほぼ各国とも予定通りの経済成長を達成できている。

 中央アジア5カ国とも、世界経済のグローバル化のなかで自立した経済発展、国づくりをすすめている。

 そのなかで、米国・ロシア・中国の中央アジアへの関与に注目すべき変転が起きているのだ。この地域に隣接する大国ロシア、中国、そしてユーラシア進出をめざしてきた超大国・米国がこの間、中央アジアへの関与、権益争いをし烈に展開してきたのは、周知のことである。

 201469日、キルギスの首都ビシケク郊外のマナス基地(国際空港)から米軍の大型輸送機が相次いで飛び去った。米軍基地が撤去されたのだ。13年もつづいた中央アジアでの米軍のプレゼンスが消え去ったのである。

 米国は2001年、アフガニスタンのタリバン制圧に向けて中央アジアに兵站輸送拠点として基地を確保した。このキルギスのマナス国際空港とウズベキスタンのハナバード空港であった。米軍のアフガン作戦の重要拠点になった。

 米軍のプレゼンスは史上初めてだった。だが、2005年ウズベキスタンは米国の国内介入を懸念して、この米軍基地を撤去。そして14年末に米軍戦闘部隊のアフガンからの撤退をうけて、今回キルギスの基地も撤去に追い込まれたのである。

 ロシアはこの1月に発足した「ユーラシア経済連合」(ロシア、カザフスタン、ベラルーシ、アルメニア)に、キルギス、タジキスタンの加盟を求めており、両国とも応じる構えだ。さらに、両国への投資拡大、エネルギー協力で影響を強めている。米軍が撤退したマナス国際空港をガスプロムが買収し、ガス供給を約束しているのは、その一例である。

 さらに、この経済共同体をテコにしてウズベキスタン、トルクメニスタンとの関係強化を目指している。だが、両国とも豊富なエネルギー資源をもち、ロシアとの国境を接していないことから、緊密な関係は進展していない。

 中央アジア各国とも、帝政ロシア時代からの宗主国であるロシアの、時々見られる傲慢な外交姿勢を快く思っていない。ウクライナ危機で公然化した旧ソ連圏へのロシアの介入姿勢も、懸念しているようだ。

 一方、中央アジアで存在感を強め、最重要の大国として浮上しているのが、中国だ。豊富な資金を投入する「シルクロード経済ベルト」構想で、拍車がかかっている。

 中国は2001年の上海協力機構発足とともに、中央アジア各国との善隣関係を強化し、5カ国とあいついで戦略的パートナーシップ協定を締結。3カ国の最大貿易相手国となり、ウズベキスタン、カザフスタンとは第二位である。中国製の商品が中央アジアを席巻しており、中国へは石油・天然ガスがどっと流れ込んでいるのだ。

 とりわけ、カザフスタンの石油、トルクメニスタン、ウズベキスタンの天然ガスが長距離パイプラインで中国沿岸部まで運ばれている。

 中国と中央アジアとの経済交流圏が形成されつつあるのだ。

 


秋月俊幸著

『千島列島をめぐる日本とロシア』




アイヌ語での日ロ交渉も


 カムチャッカ半島から北海道までつづく千島列島は1200キロもの長い距離がある。その長さにもかかわらず、千島列島は日本とロシアを結びつける長い橋の役割を果たしてきた。

 千島(クリール)と言っても、日ロの領土拡大の現場だけではないのだ。そこには、深い交流圏が歴史的に形成されてきた。

 本書は、千島列島とその周辺での日本とロシアの最初の接触から今日にいたるまでをさまざまな挿話を入れながら両国関係、そして双方の国民の関係、さらにこの地域の先住民族アイヌとのかかわりについて歴史的に考察したものだ。



 北方史、日ロ関係史の先駆的研究者である著者による通史であり、読み応えがある。

 いくつか挙げてみよう。


 当初、日本ではロシア人を「赤人」、「赤蝦夷」と呼んでいたが、それはアイヌ人が赤い衣服を着たロシア人を「フーレ・シサム」(赤い隣人)と呼んだことによるという。

 日ロの当局者による初の接触・会談は、シベリア政庁の派遣代表団と松前藩の使節によって1778年アッケシで行われた。これは、ロシア政府にも幕府にも秘密に行われ、貿易交流が議題になった。

 こうした接触・会談はアイヌ語を介して行われたという。興味深い事実だ。

 日本人漂流民を送り届けるのが、ロシア側の鎖国日本との接触の口実になったのは周知のことだが、千島列島、とりわけエトロフ島経由で漂流民が帰国した例が多かったという。

 千島を南下したロシアはウルップ島でのラッコなどの狩猟に力点を置き、日本はクナシリ島、エトロフ島での活動に集中するなど、国境画定のかなり前から南と北の住み分けができていた。


 今日的意味で興味があったのは、千島列島をめぐる情勢が世界的情勢と深くかかわりがあることだった。アイヌの反乱であるクナシリ・メナシ事件はフランス革命勃発と同じ1789年に起きている。露米会社の設立とロシアの千島南下・日本開国への圧力、クリミア戦争と日本との接触・・・。

 巻末の文献紹介は役立つ。


145月刊、北海道大学出版会、311p、2800円+税



本田良一著



『日ロ現場史』

北方領土――終わらない戦後



   島と魚の“現場”を活写


 ここで言う「現場」は、戦後69年になる日ロ両国間の北方海域をめぐる漁業であり、北方領土問題の外交交渉の二つである。そこでは、暮らしを優先する地元の利益といわゆる“国益”との重なり、対立が複雑な内外の政治状況を背景に絡み合っていたようだ。

 根室海峡とその周辺をはじめとした北方海域の「現場」めぐる描写は生々しく、面白い。

 そこでは密漁、拿捕・銃撃が頻発し、今日までに述べ1340隻、9493人が拿捕され、悪名高い「レポ船」や「特攻船」が横行した。それが日ロ対立のはざまで生きる地元漁民の苦闘であり、行政当局の暗黙の容認があったことが浮き彫りになっている。

 貝殻島コンブ漁の協定や管轄権にふれない「安全操業」をロシアとの間に確立していった経緯は、今後の北方領土をめぐる共同経済協力とか共同経営の問題に多くの教訓をあたえるだろう。日本の戦後復興を支えた北洋サケマス漁業の日ソ(ロ)協定も、そうだ。

 根室市が06年に領土問題の「再構築提言書」を発表たなかで、北方領土の住民や企業との経済交流の実現を求めているが、この経済圏構想も領土問題解決に向けて大いに注目される。

 領土交渉の「現場」については、冷戦時代の日本、ソ連、米国の立場が絡み合うなかでの対立、牽制、冷戦後は日本国内の冷戦思考継続と暗闘、ロシアの大国志向などを当事者インタビューをふまえて丁寧に描いている。

 通読すると、2島(歯舞、色丹)返還を基軸にした交渉のときに、日ロ両国が合意に近づいたことがよく分かる。55-56年の国交交渉では、日本政府が2島返還で決着の方針で臨んで、合意寸前だった。ソ連崩壊直後の92年の「2島返還、国後・択捉交渉」というクナーゼ提案。「2プラス2の並行交渉」。

 いずれも日本の「4島返還」固執で頓挫していることが鮮明になる。

 根室などの地元は北方領土返還運動の原点とされるが、必ずしも「4島」には固執していないようだ。56年の日ソ共同宣言調印の際には「2島が返る」と町をあげて提灯行列を行っている。


 201312月、北海道新聞社、611p、2100円+税





「戦後70年」のウクライナ内戦

底流に歴史認識の対立

 

ウクライナ東部ドネツク、ルガンスク両州での政府軍と分離独立派武装勢力による内戦は2月12日、ウクライナ、ロシアと仲介役ドイツ、フランスの4カ国首脳がベラルーシの首都ミンスクで停戦合意に調印し、局面打開の状況になっている。

 このミンスク停戦合意は、戦闘地域からの戦車や自走砲、ミサイルなどの重火器の撤去、緩衝地帯の設定、捕虜交換、そして東部両州の高度な自治権保障などを定めている。昨年9月の停戦合意とほぼ同じ内容だが、分離派武装勢力が支配地域を広げていること、非武装の緩衝地帯を設置することなどが目新しい。

 オランド・フランス大統領とメルケル・ドイツ首相が仲介者となったことも注目すべきだし、両首脳とプーチン、ポロシェンコ両大統領が16時間もひざ詰め会談をした、異例な結果であった。

 

 停戦合意が発効した前後、要衝の地デバルツェボでウクライナ政府軍が敗北して撤退、1000人規模の捕虜と死傷者が残された。停戦合意が守られて平和が訪れることを願いたいが、その後も散発的な戦闘が伝えられており、内戦状態が泥沼化する恐れもある。

 さらに、昨年9月の停戦合意で規定されながらまったく順守されなかった重火器の撤去が今回は本当に履行されるのか、非武装の緩衝地帯をつくることができるか、そして憲法改正によって東部両州でいかなる「自治」が創造できるのか、それとも分離派武装勢力は「ノヴォロシア」という“国家”を形成するのか――停戦合意の今後は波乱含みである。

 昨年4月からのウクライナ内戦での死者は国連報告書によれば、平和的な市民も含めて5500を超える。現地のメディアでは、死者は約5万人という報道もある。東部両州の戦闘地帯からの避難市民は100万人を超えている。戦火から逃れた人々はウクライナの他地域だけでなく、ロシア全土に散らばっている。その困難な避難生活も1年になろうとしている。

 こうした内戦状態は、一日も早く解消すべきであるし、ウクライナでもロシアでも「平和」を求める声は強い。だが、事態はそう簡単ではない。



今年は「戦後70年」だが、無視できないのは、この問題の底の底に第二次世界大戦の歴史認識の対立が流れていることだ。

この2月22日はウクライナ危機が始まった「流血の政変」の1周年で、対立したデモ集会や行事が双方で行われた。東部、南部の多くの市民にとって、第二次世界大戦の記憶は「大祖国戦争」でファシスト・ドイツを撃破した民族の「団結」による勝利である。ウクライナ民族主義組織は、ナチスの協力者とされる。

だが、この政変で政権を牛耳り、現在のポロシェンコ政権へとつづく側は、民族主義組織の指導でウクライナ人はナチスとスターリン両方に対して民族独立のために戦った時代とされ、世界大戦の結果はソ連軍が民族解放の願望を打ち砕いた時代であり、ソ連解体でようやく民族独立が実現したと解釈されている。政府軍の攻勢は、こうした「物語」を押し付けるものだと東部、南部の市民は見なしている。

歴史認識の溝は深い。この間、それはいっそう深まった。ウクライナ「国民の一体性」をつくりあげる道は長いものになろう。

(了)


ルーブル下落、ウクライナ危機、ムスリム抗議、戦勝70周年・・・

2015年ロシア

 2015年も、ロシアをめぐる情勢は波乱に満ちており、目を離せない。ルーブル下落による経済不安定、混迷するウクライナ危機と欧米との対立、ムスリムの抗議の広がり、そして戦勝70周年――。

 

 ロシアの通貨ルーブルは昨年10月から、原油価格が1バレル=約100ドルから60ドル、50ドル台へと急落するとともに、下がっていった。1ドル=35ルーブル前後から65ルーブル前後へ。一時は80ルーブル超さえ記録した。ルーブルの価格が半減したのである。

 石油・ガスの価格下落はロシアの輸出額、財政収入を直撃する。さらにウクライナ危機による欧米各国の「制裁」によって外資の大量流出がつづき、企業活動にも影響が出ている。ルーブル急落の背景だ。

 だが、プーチン政権は強気だ。「ルーブルを安定させる必要な手段をもっている」(メドベージェフ首相)、「経済危機は最悪でも2年だ」(プーチン大統領)。

 今回のルーブル下落に関連して、1998年夏のルーブル危機(ルーブルの価値が3分の1以下に)の再来が取りざたされているが、そのような危機ではなさそうだ。当時はデフォルト(債務不履行)が宣言されたが、現在は外貨保有高が約4000億ドル(約45兆円)もあり、そうした懸念はない。経済規模GDPも約5倍と大きくなっており、ルーブルを財政的に支えることも可能だ。

 また、BRICSの緊急融資基金(1000億ドル)も設立されている。原油の大幅下落も、そう長くはつづかないと想定されている。



 ウクライナ危機はつづいている。東部2州でのウクライナ政府軍と分離独立派武装勢力との戦闘は昨年9月の停戦合意後も頻発している。それは泥沼化している。

 国連高等弁務官事務所は年末に発表した報告書で、停戦合意後の3ヶ月間で市民など1357人が死亡しており、それは昨年4月の紛争開始からの死者4700人の3割にのぼるとしている。2月の発表では、死者は5500人になっている。

ウクライナ、ロシア、フランス、ドイツ4カ国外相会談が1月開かれ、紛争地域からの重火器の撤去など停戦合意を確認したが、戦闘行為や砲撃の応酬はつづいている。


2月、この4カ国首脳は16時間ものマラソン協議の末、了武装勢力間の緩衝地帯の設定、戦車、ミサイル、大砲などの重火器の戦闘地域からの撤去などを決めた停戦合意に調印している。波乱含みだが、合意の実行が求められる。

 ドネツク州、ルガンスク州で分離独立派は「ノヴォロシア国家連合」を宣言しているが、両州では政府側が医療、年金、教育など行政サービスを停止しており、皮肉なことに、両州の分離独立状態は色濃くなっている。いわゆる未承認国家の様子が今後強まっていきそうだ。

 米国をはじめとする欧米の「経済制裁」は継続され、ウクライナはNATO加盟へ大きく踏み出そうとしている。プーチン大統領は年末の記者会見で「西側は『壁』の建設を止めようとしていない」とNATOの東方拡大を強く非難。危機即応の新軍事ドクトリンを策定している。



 1月のパリでの連続テロ事件では、カフカースのイングーシ共和国で2万人、チェチェン共和国で数十万人のムハンマド諷刺画抗議デモが広がった。2000万人のムスリムを抱えるロシアで再び、“イスラームの波”が高まりそうだ。

 5月のモスクワでの対ナチス戦勝70周年記念式典、中ロ共催の9月の対日戦勝70周年行事が、日本の安倍首相の歴史認識、南北朝鮮をふくむ北東アジアの平和の動向にからんで注目される。