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堀江則雄のブログ ユーラシアの風

ユーラシアの各地で起きていることについて思っていることを書き連ねる。


「ミンスク合意」と対ロ制裁

転機迎えるか、ウクライナ危機


 この10月は、泥沼化しているウクライナ危機を打開する転機になるかもしれない。そうした出来事がつづいた。

 プーチン・ロシア、ポロシェンコ・ウクライナ、メルケル・ドイツ、オランド・フランスの4カ国首脳会談102日、パリで開かれ、ウクライナ紛争の停戦問題について突っ込んだ協議を行った。この4カ国首脳は今年の2月、ベラルーシの首都ミンスクで徹夜の16時間協議を行い、ウクライナ停戦協定、「ミンスク合意」をまとめた。それ以来の首脳会談だった。

 ウクライナ政府軍と分離派武装勢力との同国東部での内戦を終結させる「ミンスク合意」を完全に履行する道をいかに開くかが、この首脳会談のテーマだった。



 「ミンスク合意」では、①戦車、自走砲などの重火器を戦闘地域から撤去する②政府軍と分離派武装勢力の間に非武装の緩衝地帯を設置する③分離派武装勢力の支配する地域を「特別自治区」にする④このためにウクライナ憲法を改正する――ことなどが決まっていた。

 しかし、双方が「合意」順守を言明しながらも、その2月以降も半年間にわたって、激しい戦闘が断続的につづいた。重火器の撤去は本格的には行われず、緩衝地帯も設置されなかった。このため、憲法改正や「特別自治区」の導入も実行されていない。この夏場から戦闘は下火になったが、事態は変わっていない。


この間、戦闘による死者は3000人以上増えて、8000を超えた。避難民も200万人に達し、この地方住民の4人に1人となっている。


 今回の4カ国首脳会談をうけて、双方の武装勢力は前線の戦闘地域から戦車、直径100ミリ未満の迫撃砲、ミサイル砲の撤去を開始した。さらに、分離派武装勢力が予定していた独自の地方選挙を中止することも決まった。

 現在、「停戦は大筋で守られている」(オランド仏大統領)局面になっており、問題は「特別自治区」設置の憲法改正など政治改革が焦点になってくる。


 一方、「ミンスク合意」は今年末を期限としている。12月にはEU首脳会議で対ロ制裁延長の是非が判断される。

 この対ロ制裁解除問題については、欧州のマスメディアでは、シリア問題でアサド大統領退陣を求めているEUがプーチン大統領の協力を得るために制裁解除に動くとの観測も流れている。プーチン大統領は10月シリア空爆を開始し、アサド政権への軍事的、政治的支援を本格化させた。その狙いとEUの思惑が連動するというわけだ。

 実際EU内では、対ロ制裁延長に反対・慎重な国も出ている。

 イタリア、キプロス、ギリシャ、オーストリア、スペイン、ハンガリー、スロバキア7カ国である。対ロ制裁下でも首脳が訪ロしたり、プーチン大統領を迎えた国々である。各国はウクライナ危機についても米国の「物語」とは一線を画している。

 


12月のEU首脳会議は、「ミンスク合意」の履行と対ロ制裁の解除を占ううえで大いに注目される。


堀江則雄




ウクライナ危機をどう見るか

――プーチン戦略を踏まえて(下)

5、ポスト冷戦体制の終結

ウクライナ危機をめぐる米ロの対立を「新冷戦」とか「文明の衝突」などと評する向きもあるが、そうではないだろう。むしろ「ポスト冷戦体制の終結」ではないだろうか。つまり、米国の一極支配への対抗と見なせるだろう。地政学的利害の衝突が起きているのだ。

プーチン大統領の154月のテレビ出演の発言が、そのことを裏付けている。「ロシアのような国には自国の地政学的利益があることを他の国々はりかいしなければならない」、「KGBに20年間勤めた私は、共産党の一党独裁が崩れれば、すべてが根本的に変わると思っていた。ところが、何も変わらなかった。なぜなら、地政学的な問題はイデオロギーとは何の関係もないからである」



 米国はプーチンの対抗戦略に対して、4月米軍事顧問団290人を派遣してウクライナ軍部隊の訓練を開始した。さらに6月①バルト三国、ブルガリア、ルーマニア、ポーランドの6カ国に戦車や重火器などの米軍兵器を事前配備する。戦車は総計で250両になる。②NATO軍緊急展開部隊を当初予定の3倍の4万人に拡大する。6カ国に緊急展開計画の立案や訓練を行う前線拠点を置く――と対ロ軍事態勢を強化した。

 ロシアは核戦力を背景にして、これに対抗しようとしている。プーチン大統領は4月、「ロシアは偉大な核大国だ。我々はだれも敵だとは思わないし、我々を敵だと見なすようなことはだれにもお勧めしない」と、述べている。同大統領は3月、クリミア半島の編入の際に「核戦力を戦闘準備態勢に置く用意があった」と言明したのも、その“決意”の現れだ。①新型大陸間弾道ミサイル40基以上を新たに配備する②クリミア半島に核兵器搭載爆撃機を配備する――と、米国に敵対的態度を和らげるよう求めている。



 こうした米国の一極支配への対抗は、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)など新興国の結束、台頭と軌を一にするものでもある。

 ロシアはウクライナ危機で欧米各国から「経済制裁」を課され、G8から追放されており、ロシアは孤立していると米国政府などは言っている。だが、今日、欧米各国や日本のG7だけが世界ではない。

 BRICS5カ国は2009年から毎年首脳会議を開催し、結束を強めており、世界経済を協議する場であるG20で存在感を見せている。ロシア、中国、インドは、ユーラシアを束ねる地域協力組織であるSCO(上海協力機構)の中心的存在で、かねてから連携を強めてきた。このSCOは2001年の創立宣言で「公正で民主的な世界の政治経済秩序」を求めていくと提唱している。

 157月ロシア・ウラル地方のウファで、BRICSとSCOの首脳会議が合同で開催された。BRICS開発銀行が資本金500億ドル(将来1000億ドル)で発足、途上国のインフラ整備や経済開発を支援していく。参加国の通貨の安定を目的とした総額1000億ドルの外貨準備基金の創設も調印された。



 こうした動きは中国主導のAIIB(アジアインフラ投資銀行)の発足とあいまって、米国主導の世界銀行、IMFが行ってきたワシントン・コンセンサス、つまり米国の考え方がグローバル・スタンダードというあり方、新興国や途上国をG7の影響下に置くという考え方に対する明確なアンチテーゼを意味している。

 BRICSは世界人口の42を抱えており、その合計GDPは2000年ごろには世界全体の約7%ほどであったが、2014年には22を占めている。米国のある調査期間は2020年代半ばにはBRICSのGDPがG7のそれを追い越すのではないかと推測している。



 プーチン戦略は、ロシア・中国・インドのユーラシア大国の結束を軸にして、従来の国際政治経済秩序の転換を図る路線を明確にしつつある。

おわりに

 ウクライナとロシアは歴史的にも、文化的にも深いつながりの関係にある。ウクライナにとってロシアは最大の貿易相手国であり、最大のエネルギー供給国であり、最大の債権国である。EUや米国だけに頼った国づくりは、自立したものではなく、成功しないだろう。だが、ロシアはウクライナを歴史的に「小ロシア」と扱ってきたし、それへの不満、反発がゆっくりと「曲げられた小枝」のようになってきたのである。

 ウクライナの「クライー」は「端」とか「辺境」とかいう意味の形容を表わす。ウクライナはEUの「端」でも、ロシアの「端」でもなく、双方の「架け橋」になる地政学的位置にある。ウクライナが危機を脱して発展する展望は、ここにしかないだろう。

(了)

堀江則雄


ウクライナ危機をどう見るか

――プーチン戦略を踏まえて(中)




3、失われた20



 独立して以降のウクライナの経済破綻は、異常なものと言える。2012年のGDP(国内総生産)はソ連解体で混乱していた1992年のそれの84にすぎないのである。あの大混乱の時期よりも20年間で経済規模が縮小しているのだから、驚きだ。ウクライナは独立して以来、1999年までマナス成長がつづき、経済規模はソ連末期の1990年の41%に激減していたのである。

 ソ連解体で独立した15カ国のなかで、ウクライナは最悪レベルの経済状況なのである。GDPが独立後、今日にいたるまで減少した国家はCIS(独立国家共同体)のなかにはない。ロシアも2000年ごろまでは芳しい成長を遂げなかったが、その後、石油・天然ガスの価格高騰もあってGDPを約4倍にしている。

 国家財政もデフォルトの危機がつづいてきた。EUからの支援やロシアとのガス交渉による事実上の支援などで難局を乗り越えてきたが、今日もデフォルトの危機は深まっている。

 153月、IMF(国際通貨基金)はウクライナ向けに4年間で総額175億ドルの支援プログラムを承認した。直ちに50億ドルの供与が開始されたため、危機は一息ついて、底をついていた外貨準備高は4月末で96億ドルとなった。だが、短期の債務残高は14年末で約700億ドルにのぼっている。



 こうしたマクロ経済の危機は国民生活を直撃している。14年のウクライナの国民一人当たりのGDP3055ドルは、ロシアの12926ドルの四分の一にしかならない。隣国ベラルーシの半分であり、ウズベキスタンとあまり変わらない。

 2013年の平均月額給与も、ロシアの941ドルに対して409ドルで、半分以下である。しかも14年以降の通貨グリブナの大幅下落で、ドル替算で給与は半額以下になりそうだ。それは、ウクライナをCIS各国のなかでも最低クラスの所得国にするだろう。

 14年のウクライナの公式失業率は93%だが、これは現実を反映しておらず、現地のエコノミストは20%前後の数字をあげている。ロシアには最低のものだが国民健康保険が一応あるが、ウクライナにはそれはない。

 こうした国民生活を破壊している経済破綻が、武装闘争とか軍事的戦術が一部の人々のあいだで支持されている背景にあることは見逃せない。クリミア半島の住民の大多数がウクライナからの独立・ロシア編入を支持した要因の一つである。実際、編入3ヶ月後にはクリミア住民の年金が2倍になっている。

 ソ連時代にはロシアに次いでの経済規模と成長を遂げて、鉄鋼業、農業を世界に誇っていたウクライナがこうした危機に陥った背景に何があるのか――。



 一つは、クチマ、ユーシェンコ、チモシェンコ、ヤヌコビッチら歴代大統領・指導者の激しい権益争いである。例えば、チモシェンコは女性首相だったが、「ガスの女王」と呼ばれていた。ロシアから天然ガスを輸入する際に、家庭向けには安く、企業には高く売って、その差額を自分の懐に入れて財を成していた。そうした腐敗・汚職が政治家グループごとにまん延していたのである。親EUを志向する政治家であれ、ロシアも重視する政治家であれ、その構図には変わりはなかった。

 しかもこうした政治指導者、政府と癒着していたのが、旧国営企業を安く手に入れるなどソ連解体に乗じて財を成したオリガルヒ(新興財閥)である。東部のエネルギーや冶金の分野を牛耳っている資産150億ドルのアフメトフ、極右勢力と結んでいる資産24億ドルのコロモイシキー。そして“チョコレート王”の異名をもつ現職のポロシェンコ大統領も食品、メディア産業を独占してのし上がってきたオリガルヒである。彼らは現実政治にも否定的影響をあたえている。

 ウクライナは石炭と鉄鉱石によって世界第三位の鉄鋼の輸出国であるが、投資がないのでソ連時代の古い設備で生産しているため、利益があがらない状態にある。総じて工業の近代化はCIS各国のなかでも遅れている。

4、NATO・EUの東方拡大vsユーラシア連合

 

ウクライナ危機の底流には、米ロの戦略的思惑の対立が流れている。NATO・EUの東方拡大とそれに対抗するプーチン大統領のユーラシア連合構想である。これが直接的にはウクライナ危機の最も大きな背景である。

 ソ連崩壊でワルシャワ条約機構が解体され、東西ドイツが統一された際、米国はNATOの東方拡大はしないと約束(ロシア側はそう思っている)したにもかかわらず、中東欧各国が相次いでNATOに加盟していった。

 1999年 ハンガリー、ポーランド、チェコ

 2004年 ブルガリア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)

 2009年 アルバニア、クロアチア

これらのNATO新規加盟国は、前後してEUにも加盟している。


そして2008年のNATO首脳会議で米国はウクライナ、グルジア両国を加盟候補国として加盟交渉を開始するよう提案したが、ドイツ、フランスがロシアの強い反発を懸念して反対、時期尚早となった経緯がある。つまり、CIS諸国にまでNATO拡大の波が押し寄せようとしていたのだ。

 これらの新規加盟国は数百人規模であるが、集団的自衛権の発動としてアフガニスタンに派兵している。各国内にはNATO軍の施設や補給基地が設置されている。米国はイランの核ミサイルに備えるとしてポーランド、チェコにMD(ミサイル防衛)基地を建設しようとしている。ロシアは自国の核戦力を無力化し米国の核優位を狙うものだとして強く反対している。

 米ソ冷戦後、こうした軍事ブロックの拡大が実は欧州では進行しているのである。

 

米国の戦略としては、旧ソ連内での「民主化」支援戦略がもう一つの柱である。2003年のグルジア・バラ革命、2004年のウクライナ・オレンジ革命、2005年のキルギス・チューリップ革命。いずれも大統領選挙結果の不正などに乗じて、市民運動をテコ入れして、親欧米・反ロシア派を台頭させている。「カラー革命」と呼ばれ、ロシアは強く警戒していた。

 そして今回の142月の「流血の政変」でも、米国のヌーランド国務次官補(欧州ユーラシア担当)が現場で陣頭指揮をとって、抗議運動を盛り上げて政変を後押ししたとされる。


 こうした米国の戦略にロシアが明確に対抗しだしたのは、2000年以降経済が回復の兆しを見せ、プーチン大統領が登場してからである。

 プーチン大統領は143月のクリミア編入の際の議会演説で、NATO不拡大の約束は反故にされ、今や「ロシア世界」にまで拡大しようとしていると、警戒と危機感をあらわにしたのだ。ウクライナ暫定政権がNATO加盟をちらつかせていたため、クリア半島を素早くロシアに編入したのは、セバストポーリの黒海艦隊基地を確保して、黒海地域での軍事プレゼンスを維持するためだった。

 米国の戦略に対抗するロシア側の動きとしては、「ユーラシア連合」構想がある。「ユーラシア連合」構想はユーラシア各国の国家連合をめざすもので、1990年代からカザフスタンのナザルバエフ大統領が提唱してきた。ユーラシア経済共同体の結成の動きもあったが、本格的なものにはならなかった。

それが本格化したのは、プーチン大統領のユーラシア戦略の始動からである。2012年に大統領に復帰したプーチンは、「ユーラシアのための新統合プロジェクト」として「ユーラシア連合」を打ち出した。これは「現代世界の多極の一つ」になるとし、「欧州とダイナミックなアジア太平洋地域を効果的に束ねる役割を果たす」としている。いわばEUと並び立つ、地域共同体としてのユーラシア地域の国家連合を志向しているのだ。



151月、ロシア、カザフスタン、ベラルーシ、アルメニア四カ国が「ユーラシア経済連合」を発足させた。キルギスやタジキスタンも参加を表明している。これによって、ユーラシアの広大な空間に関税が基本的に撤廃されただけでなく、商品、資本、労働力が自由化された統一経済圏が成立したことになる。

実は、プーチン大統領はこの経済連合にウクライナの参加も想定していた。これを踏み台にして政治・経済共同体である「ユーラシア連合」へ――。同大統領は「ソ連を復活させるのではない」と言明しているが、ロシアを主軸として旧ソ連の版図にあったユーラシア各国の国家連合をめざしていることは疑いない。それだけにこの地域の第二の大国とされるウクライナの離脱は痛手だろう。

 

ここで、ロシアの領土拡張として非難されているクリミア編入問題について言及しておきたい。

 ロシアとウクライナは国境を画定していたので、クリミア半島のロシアによる編入は「領土保全」という国際法に違反することになる。だが一方では、クリミア自治共和国がウクライナから分離してロシアに入りたいという「自決権」の問題もある。二つの原則のせめぎ合いだ。

 プーチン大統領は、欧米各国が支援したNATO空爆下でのコソボ自治州のセルビアからの独立を例にあげて、クリミア半島の独立・編入も同じ論理だと正当化している。コソボ独立を強行した欧米各国がクリミア編入を非難するのはダブルスタンダードだというわけだ。

 ロシアは、クリミア半島編入によって「固有の領土」を回復したとして、ロシア・ナショナリズムを鼓舞する機会とした。プーチン支持率は一気に80%を超えた。

 国連総会は144月、ロシアのクリミア半島編入を無効とする決議を193カ国中、賛成100、反対11、棄権58で採択した。総会決議なので実効性はないが、予想外に賛成国が多くなかった。中国、インド、ブラジルなど有力新興国が、そしてイスラエルが棄権に回ったのが注目された。


(つづく)

堀江則雄


ウクライナ危機をどう見るか

――プーチン戦略を踏まえて (上)



ウクライナ危機がなぜ起きたのか、そしてどこに向かうのか、世界平和への影響は?--2015年夏の時点でまとめたので、3回に分けて報告したい。

  堀江則雄



1、ウクライナ危機の経緯

 ウクライナは1991年のソ連解体・独立以来、EU(欧州連合)かロシアかの間で揺れ動いてきたが、201311月、ヤヌコビッチ大統領がEUウクライナ連携協定の調印を延期、ロシアからの130億ドルの金融支援受け入れに踏み切ったことで、ヤヌコビッチ政権打倒のデモが大きく広がった。いわゆる「マイダン革命である。「マイダン」はウクライナ語で広場の意味だが、首都キエフの中心街にある独立広場に集まった市民数千人が広場を占拠して反政府行動をつづけた。親ロシアや政権腐敗、経済の破綻への市民の抗議が政治的うねりとなっていった。

 こうした政治的高揚のなかで、極右民族主義勢力が入り込み、勢力を強めて、政府の治安組織と衝突、銃撃戦の局面にもなった。そして、14222日ヤヌコビッチ大統領を追放して、極右民族主義派を含む暫定政権が発足する。このなかで100人以上の市民が死亡している。

 これに危機感をもったプーチン大統領は議会でウクライナへの軍事関与の権限を得て、ウクライナ情勢に対処する。317日、ロシア語人口が70%以上を占めるクリミア半島でウクライナからの独立を求める住民投票が行われ、独立賛成が90%以上となった。これをうけて翌18日、ロシアはクリミア半島をロシア連邦に編入した。


 ロシアのクリミア編入は、「マイダン革命」に対する巻き返しの一つと見なすことができる。もう一つは、重工業地帯であるドンバス地方のドネツク、ルガンスク両州での分離派武装勢力の台頭である。州政府や治安機関などの庁舎を占拠し、5月両州でウクライナからの分離独立の住民投票を実施、圧倒的多数の賛成を得たとして、両州の独立を宣言した。同時期に大統領選で当選したポロシェンコ氏は空爆や砲撃による分離派武装勢力への掃討作戦を本格化し、武装勢力側も応戦し、事実上の内戦状態に入った。このなかで7月、マレーシア航空機が撃墜される事件が起きている。

 149月、OSCE(欧州安保協力機構)の仲介によりウクライナ政府と分離派武装勢力が初めて停戦合意に達し、捕虜釈放、大型兵器の戦闘地域からの撤去、東部2州の「自治権」付与が盛り込まれた。これをうけて、ウクライナ議会は東部2州に3年間の「特別な地位」を保障することを議決した。

 捕虜の釈放などは一部履行されたが、政府軍と分離派武装勢力とがそれぞれの支配地域を拡大する思惑で、戦闘が再燃し、この停戦合意は反故になり、戦闘は泥沼化した。

 152月、プーチン・ロシア、ポロシェンコ・ウクライナ、メルケル・ドイツ、オーランド・フランス4カ国首脳がベラルーシの首都ミンスクで会談し、双方の停戦合意に調印した。このミンスク合意は、戦車やミサイルなどの重火器の戦闘地域からの撤退と非武装の緩衝地帯の設定が盛り込まれ、2州への「特別な地位」付与も確認された。散発的な戦争はあるが、本格的な大規模戦闘は再燃していない。だが、緩衝地帯の設定や、両州の政治的地位に関する合意はまだ履行されていない。


 この間のドンバス地方での戦闘で、国連報告書によると、死者は6400人、難民は150万人にのぼり、そのうち95万人はロシア各地に避難・居住している。ドンバス地方の住民は663万人だったので、四人に一人が難民となっていることになる。破壊された建物・施設は18000棟に達している。かつてソ連の有力工業地帯だったドンバス地方は、壊滅状態になっているのだ。「ウクライナは過去一年間に経済の20%を失った」(ヤツェニュク首相)とされる。

2、「国民」形成の困難

 こうしたウクライナ危機を生み出した要因は、三つに整理されるだろう。

  第一に、ウクライナは「国家」は形成されたが、「国民」は形成されていないということである。国民の一体化、統合が未だできていないのである。マトロック元駐ロ米国大使は危機が発生した14年初めのブログで、「Ukraine is a State but not yet a Nationと喝破した。さらに、「ウクライナは独立して22年余りの間、だれもが共有するウクライナのアイデンティティで市民を団結させることができる指導者を見つけていない」と述べていた。


 実際、ウクライナは歴史的に東西に分裂している。東部は17世紀から帝政ロシアの一部になっており、西部はガリツィア地方としてポーランドなどの一部だったが、第二次世界大戦でソ連に併合された地域である。このように、言語では東部がロシア語、西部がウクライナ語を中心としており、宗教も東部がウクライナ正教で、西部は東方カトリック教で、文化も含めて東西の違いはかなり大きく、ウクライナ人としての統合、アイデンティティの形成を困難にしている。

 そして、首都キエフなど中部は10世紀にスラブ系民族が初めて正教を受容したキエフ・ルーシの地であり、「ロシアの母なる都市」(プーチン大統領)とされているが、今日では東西のそれぞれの特徴が入り混じった状況になっている。

 ウクライナが1991年にソ連解体で独立する前に独立を経験したのは、ロシア革命で帝政ロシアが崩壊した1917年3月からソ連邦が形成された192212までの短い期間にすぎない。しかもこの間、第一次大戦末期でドイツ軍に占領されたり、内戦で支配者が頻繁に交代したりして、混乱の中にあって、本格的な国民国家の建設はできなかった。この点も無視できないことだろう。


 さらに第二次世界大戦の歴史認識、記憶でも、東西では大きな差、対立がある。

 東部、南部の多くの市民にとって、第二次世界大戦の記憶は「大祖国戦争」でファシスト・ドイツを撃破した民族の「団結」による勝利である。ウクライナ民族主義勢力はナチスの協力者とされている。

 一方、西部の多くの市民や2014年2月の「流血の政変」で権力を掌握し、現在のポロシェンコ政権へとつづく側では、この戦争は民族主義勢力の指導でウクライナ人がヒトラーとスターリン両方に対して民族独立のために戦った時代とされる。世界大戦の結果はソ連軍が民族解放の願望を打ち砕いたものであり、ソ連解体でようやく民族独立が実現したと解釈されている。

 ウクライナ政府軍の東部での攻勢はこうした「物語」を押しつけるものだ、と東部、南部の市民は見なしている。歴史認識での東西の市民間の溝は従来から深かったのだが、この東部での内戦状態でいっそう深まっている。

 この問題との関連で、第二次大戦中に西部でナチスと協力した極右民族主義グループのバンデラ派の存在を忘れるわけにはいかない。反ユダヤ、反ロシアを掲げてウクライナでの100万人超のユダヤ人虐殺に深く関与しているし、1950年代まで反ソ武装闘争をこの地域で行っている。それが今日のウクライナの極右勢力と歴史的に、イデオロギー的につながっていることは否定できない。

 問題は、こうした国内の東部、西部における深い溝、対立を克服して国民統合の方向に向かわせるのではなく、逆に独立後も、親EUとか親ロシアといった対立を激化させる政治が一貫してつづいてきたことである。

つづく



日ロ領土問題、「双方受け入れ可能」への障害


ウクライナ危機、安保法制・・・

 9月、久しぶりに日ロ外交交渉・会談が行われた。モスクワでの岸田・ラブロフ外相会談、それにつづくニューヨークでの安倍・プーチン首脳会談である。108日に日ロ平和条約締結問題に関する外務次官級交渉を再開することになった。



 ウクライナ危機をはさんで1年以上、日ロ交渉は事実上の休止状態だった。それだけに、領土問題を解決して平和条約の締結をめざす交渉の枠組みが整ったように見える。だが、それは表面的でしかないようだ。

 それは、機運が盛り上がって首脳や外相による会談が行われたわけではないからである。日本側は安保法制強行で追い込まれた安倍首相が外交問題での“得点”を狙う思惑があったからであり、ロシア側にはウクライナ危機による制裁包囲網に風穴を開けたいプーチン大統領の思惑があったからである。しかし、双方の思惑は交差することも接近することもなかったようだ。



 それを端的に示したのが、岸田・ラブロフ外相会談だった。

 会談後の共同記者会見で、岸田外相は領土問題を協議したと発言した。ラブロフ外相はこれを全面否定、「北方領土問題については協議しなかった。協議したのは平和条約締結問題だ」とした。領土問題の協議を拒否したわけだ。

 さらに、ラブロフ外相は「日本が国連憲章を含む第二次世界大戦後の歴史的現実を受け入れて初めて、問題を前進させられる」と強調した。戦争で日ロの国境は決着しているという強硬な論理だ。ペレストロイカ以前のソ連時代の論理を彷彿させる。



 実はこの外相会談に先立って、この夏ロシア側はメドベージェフ首相が択捉島を訪れたほか、副首相兼極東管区大統領全権代表、保健相、農業相、交通相らが相次いで係争の島々を訪問、クリル発展計画の具体化やテコ入れを行った。日本政府は抗議したが、無視されていた。

 対日担当のモルグロフ外務次官はこれに関連して、領土問題について「日本側といかなる交渉も行わない。この問題は70年前に解決された」と言明していた。

 ラブロフ外相の姿勢はこうした流れの中にあるのだ。



 「双方が受け入れ可能な解決策を探る」とした134月の安倍・プーチン合意とは、ほど遠い状態になっているわけだ。

 その障害になったのは、ウクライナ危機である。日本が欧米と共同で対ロ制裁を実施しているからだ。自国を制裁している国家と領土で譲歩などできるわけがない、という塩梅である。もう一つは日本の安保法制だ。ラブロフ外相は「近隣諸国の懸念を注視している」、「北東アジアでの米国の軍事プレゼンスが増すのと軌を一にして進んでいる」と、強い警戒を示した。両国政府の信頼感が低下しているのだ。


 一方、水面下では両首脳の側近である谷内国家安全保障局長とパトルシェフ安全保障会議書記が7月と9月、モスクワと東京でひそかに協議している。ここで、日本側が「半分ずつ分け合うという奇妙な提案をした」という報道も一部で流れている。

 米ロ対立が増すなか、米国に歩調を合わせつつ、ロシアにもいい顔をする安倍流外交は実を結んでいない。


堀江則雄