ウクライナ危機をどう見るか
――プーチン戦略を踏まえて(中)
3、失われた20年
独立して以降のウクライナの経済破綻は、異常なものと言える。2012年のGDP(国内総生産)はソ連解体で混乱していた1992年のそれの84%にすぎないのである。あの大混乱の時期よりも20年間で経済規模が縮小しているのだから、驚きだ。ウクライナは独立して以来、1999年までマナス成長がつづき、経済規模はソ連末期の1990年の41%に激減していたのである。
ソ連解体で独立した15カ国のなかで、ウクライナは最悪レベルの経済状況なのである。GDPが独立後、今日にいたるまで減少した国家はCIS(独立国家共同体)のなかにはない。ロシアも2000年ごろまでは芳しい成長を遂げなかったが、その後、石油・天然ガスの価格高騰もあってGDPを約4倍にしている。
国家財政もデフォルトの危機がつづいてきた。EUからの支援やロシアとのガス交渉による事実上の支援などで難局を乗り越えてきたが、今日もデフォルトの危機は深まっている。
15年3月、IMF(国際通貨基金)はウクライナ向けに4年間で総額175億ドルの支援プログラムを承認した。直ちに50億ドルの供与が開始されたため、危機は一息ついて、底をついていた外貨準備高は4月末で96億ドルとなった。だが、短期の債務残高は14年末で約700億ドルにのぼっている。
こうしたマクロ経済の危機は国民生活を直撃している。14年のウクライナの国民一人当たりのGDP3055ドルは、ロシアの12926ドルの四分の一にしかならない。隣国ベラルーシの半分であり、ウズベキスタンとあまり変わらない。
2013年の平均月額給与も、ロシアの941ドルに対して409ドルで、半分以下である。しかも14年以降の通貨グリブナの大幅下落で、ドル替算で給与は半額以下になりそうだ。それは、ウクライナをCIS各国のなかでも最低クラスの所得国にするだろう。
14年のウクライナの公式失業率は9・3%だが、これは現実を反映しておらず、現地のエコノミストは20%前後の数字をあげている。ロシアには最低のものだが国民健康保険が一応あるが、ウクライナにはそれはない。
こうした国民生活を破壊している経済破綻が、武装闘争とか軍事的戦術が一部の人々のあいだで支持されている背景にあることは見逃せない。クリミア半島の住民の大多数がウクライナからの独立・ロシア編入を支持した要因の一つである。実際、編入3ヶ月後にはクリミア住民の年金が2倍になっている。
ソ連時代にはロシアに次いでの経済規模と成長を遂げて、鉄鋼業、農業を世界に誇っていたウクライナがこうした危機に陥った背景に何があるのか――。
一つは、クチマ、ユーシェンコ、チモシェンコ、ヤヌコビッチら歴代大統領・指導者の激しい権益争いである。例えば、チモシェンコは女性首相だったが、「ガスの女王」と呼ばれていた。ロシアから天然ガスを輸入する際に、家庭向けには安く、企業には高く売って、その差額を自分の懐に入れて財を成していた。そうした腐敗・汚職が政治家グループごとにまん延していたのである。親EUを志向する政治家であれ、ロシアも重視する政治家であれ、その構図には変わりはなかった。
しかもこうした政治指導者、政府と癒着していたのが、旧国営企業を安く手に入れるなどソ連解体に乗じて財を成したオリガルヒ(新興財閥)である。東部のエネルギーや冶金の分野を牛耳っている資産150億ドルのアフメトフ、極右勢力と結んでいる資産24億ドルのコロモイシキー。そして“チョコレート王”の異名をもつ現職のポロシェンコ大統領も食品、メディア産業を独占してのし上がってきたオリガルヒである。彼らは現実政治にも否定的影響をあたえている。
ウクライナは石炭と鉄鉱石によって世界第三位の鉄鋼の輸出国であるが、投資がないのでソ連時代の古い設備で生産しているため、利益があがらない状態にある。総じて工業の近代化はCIS各国のなかでも遅れている。
4、NATO・EUの東方拡大vsユーラシア連合
ウクライナ危機の底流には、米ロの戦略的思惑の対立が流れている。NATO・EUの東方拡大とそれに対抗するプーチン大統領のユーラシア連合構想である。これが直接的にはウクライナ危機の最も大きな背景である。
ソ連崩壊でワルシャワ条約機構が解体され、東西ドイツが統一された際、米国はNATOの東方拡大はしないと約束(ロシア側はそう思っている)したにもかかわらず、中東欧各国が相次いでNATOに加盟していった。
1999年 ハンガリー、ポーランド、チェコ
2004年 ブルガリア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)
2009年 アルバニア、クロアチア
これらのNATO新規加盟国は、前後してEUにも加盟している。
そして2008年のNATO首脳会議で米国はウクライナ、グルジア両国を加盟候補国として加盟交渉を開始するよう提案したが、ドイツ、フランスがロシアの強い反発を懸念して反対、時期尚早となった経緯がある。つまり、CIS諸国にまでNATO拡大の波が押し寄せようとしていたのだ。
これらの新規加盟国は数百人規模であるが、集団的自衛権の発動としてアフガニスタンに派兵している。各国内にはNATO軍の施設や補給基地が設置されている。米国はイランの核ミサイルに備えるとしてポーランド、チェコにMD(ミサイル防衛)基地を建設しようとしている。ロシアは自国の核戦力を無力化し米国の核優位を狙うものだとして強く反対している。
米ソ冷戦後、こうした軍事ブロックの拡大が実は欧州では進行しているのである。
米国の戦略としては、旧ソ連内での「民主化」支援戦略がもう一つの柱である。2003年のグルジア・バラ革命、2004年のウクライナ・オレンジ革命、2005年のキルギス・チューリップ革命。いずれも大統領選挙結果の不正などに乗じて、市民運動をテコ入れして、親欧米・反ロシア派を台頭させている。「カラー革命」と呼ばれ、ロシアは強く警戒していた。
そして今回の14年2月の「流血の政変」でも、米国のヌーランド国務次官補(欧州ユーラシア担当)が現場で陣頭指揮をとって、抗議運動を盛り上げて政変を後押ししたとされる。
こうした米国の戦略にロシアが明確に対抗しだしたのは、2000年以降経済が回復の兆しを見せ、プーチン大統領が登場してからである。
プーチン大統領は14年3月のクリミア編入の際の議会演説で、NATO不拡大の約束は反故にされ、今や「ロシア世界」にまで拡大しようとしていると、警戒と危機感をあらわにしたのだ。ウクライナ暫定政権がNATO加盟をちらつかせていたため、クリア半島を素早くロシアに編入したのは、セバストポーリの黒海艦隊基地を確保して、黒海地域での軍事プレゼンスを維持するためだった。
米国の戦略に対抗するロシア側の動きとしては、「ユーラシア連合」構想がある。「ユーラシア連合」構想はユーラシア各国の国家連合をめざすもので、1990年代からカザフスタンのナザルバエフ大統領が提唱してきた。ユーラシア経済共同体の結成の動きもあったが、本格的なものにはならなかった。
それが本格化したのは、プーチン大統領のユーラシア戦略の始動からである。2012年に大統領に復帰したプーチンは、「ユーラシアのための新統合プロジェクト」として「ユーラシア連合」を打ち出した。これは「現代世界の多極の一つ」になるとし、「欧州とダイナミックなアジア太平洋地域を効果的に束ねる役割を果たす」としている。いわばEUと並び立つ、地域共同体としてのユーラシア地域の国家連合を志向しているのだ。
15年1月、ロシア、カザフスタン、ベラルーシ、アルメニア四カ国が「ユーラシア経済連合」を発足させた。キルギスやタジキスタンも参加を表明している。これによって、ユーラシアの広大な空間に関税が基本的に撤廃されただけでなく、商品、資本、労働力が自由化された統一経済圏が成立したことになる。
実は、プーチン大統領はこの経済連合にウクライナの参加も想定していた。これを踏み台にして政治・経済共同体である「ユーラシア連合」へ――。同大統領は「ソ連を復活させるのではない」と言明しているが、ロシアを主軸として旧ソ連の版図にあったユーラシア各国の国家連合をめざしていることは疑いない。それだけにこの地域の第二の大国とされるウクライナの離脱は痛手だろう。
ここで、ロシアの領土拡張として非難されているクリミア編入問題について言及しておきたい。
ロシアとウクライナは国境を画定していたので、クリミア半島のロシアによる編入は「領土保全」という国際法に違反することになる。だが一方では、クリミア自治共和国がウクライナから分離してロシアに入りたいという「自決権」の問題もある。二つの原則のせめぎ合いだ。
プーチン大統領は、欧米各国が支援したNATO空爆下でのコソボ自治州のセルビアからの独立を例にあげて、クリミア半島の独立・編入も同じ論理だと正当化している。コソボ独立を強行した欧米各国がクリミア編入を非難するのはダブルスタンダードだというわけだ。
ロシアは、クリミア半島編入によって「固有の領土」を回復したとして、ロシア・ナショナリズムを鼓舞する機会とした。プーチン支持率は一気に80%を超えた。
国連総会は14年4月、ロシアのクリミア半島編入を無効とする決議を193カ国中、賛成100、反対11、棄権58で採択した。総会決議なので実効性はないが、予想外に賛成国が多くなかった。中国、インド、ブラジルなど有力新興国が、そしてイスラエルが棄権に回ったのが注目された。
(つづく)
堀江則雄