ウクライナで何が起きているのか――ロシアが取った態度をどう見る。
堀江則雄(法政大学講師)
ウクライナで2月、流血の政変が起こったのを機に、ロシアがウクライナ南部のクリミア半島を自国の領土に組み入れました。ロシアが軍事的圧力をかけるなか、クリミア半島で住民投票が行われ、「ロシア編入」に9割以上が賛成したとして、3月18日ロシアがクリミア半島の独立・編入を承認しました。欧米各国や日本はこれに対し「経済制裁」を発表し、国連総会はクリミア半島のロシア編入を「無効」とする決議を採択しました。どうして、このような事態が起きたのでしょうか。
市民デモと流血の政変
この問題のきっかけは、ウクライナのヤヌコビッチ大統領が昨年11月にEU(欧州連合)との関係強化をすすめる協定への調印を取りやめたことでした。EU側からウクライナの経済支援に緊縮政策などを義務とされたこと、ロシアが130億ドル(約1兆3000億円)の融資と供給天然ガスの値段を30%安くすることを約束したことが、その背景にありました。
ヤヌコビッチ政権の腐敗や経済失政を批判し、EUやNATO(北大西洋条約機構)との接近を求める野党勢力はこれに強く反発し、11月末から抗議行動を始めました。経済不振で生活に苦しむ一般市民の多くもこれに加わり、新年をはさんで大規模な抗議行動に広がりました。
首都キエフの中心部の独立広場にはテント村が出来て、数千人が泊まり込み、付近の市庁舎、政府施設がデモ隊に占拠されました。このなかには、反ユダヤ、反ロシアを掲げる排外主義的なグループ「右派セクター」が結成され、その一部には武装集団も含まれていました。
ヤヌコビッチ政権は2月中旬、治安警察を動員して、都心部のデモ隊を強制的に排除しようとしました。これに、デモ隊が激しく抵抗し、治安部隊と一部の武装勢力との銃撃戦の様相さえ見られ、100人以上の死者が出ました。
こうした流血の事態をうけて、ヤヌコビッチ大統領と野党側が2月21日、危機打開のための協定で「合意」しました。それは①大統領権限の縮小②与野党による「暫定国民連合政権」の10日以内の樹立③大統領選挙の前倒し、5月末実施など、というものでした。この「合意」は独仏両国の外相などEU代表とロシア政府特使の仲介で成立しました。
ところが与野党「合意」から一夜明けた22日、大規模なデモ隊が実力で大統領府など政府施設を占拠して事態は急変し、政権は崩壊し、議会はヤヌコビッチ大統領を解任、野党勢力とデモ隊参加者による暫定政権が樹立されました。与野党「合意」は覆されたのです。ロシア政府は「クーデターだ」としてこの政権を認めていません。
ヤツェニュク首相ら暫定政権は腐敗の一掃や生活の安定を訴えていますが、地方政府が認めているロシア語の公用語化を否定するなど、ロシア系市民に大きな不安をもたらす政策を採択。排外主義的な右翼グループが反ロシアの機運をかきたてました。
国連が無効としたクリミアのロシア編入
こうしたなか、ウクライナ南部のクリミア半島にロシア軍と見られる武装部隊が入り込み、空港や港湾、軍事拠点などを一気に掌握しました。配備されていたウクライナ軍は基地内に閉じこもり、ほとんど抵抗しなかったため、軍事衝突は起きませんでした。さらにプーチン大統領は3月1日上院から、大統領の判断でウクライナにいつでも軍事介入できる権限を手に入れました。
クリミア半島は人口約200万人、面積は九州の三分の二ほどで、クリミア自治共和国と特別市のロシア黒海艦隊が駐留している軍港セバストポリから成り立っており、ロシア系住民が6割を占めています。首都キエフで政変が起きると、自治共和国の議会はロシア系のアクショノフ首相を選出し、ウクライナからの独立を宣言、ロシアへの編入の可否を問う住民投票をクリミア半島全域で実施することを決めました。
ウクライナの議会は、住民投票は無効だとして中止を求めました。ウクライナ憲法によると、「領土の変更問題は国民投票のみで議決できる」としているからです。米国やEU、日本なども実施に反対しました。住民の1割を占めるクリミア・タタール人は投票ボイコットを呼びかけました。
しかし、3月16日クリミア半島の全域で住民投票が行われ、自治共和国の発表によると、投票率83%で「ロシアへの編入」賛成が96%と圧倒的多数でした。ロシアの軍事的圧力が強いなかで強行されたもので、ウクライナ暫定政府は「憲法違反だ」と住民投票を無効としました。ただ、ロシア人とロシア語を母語とする市民が住民の圧倒的多数になること、歴史的にロシアとの強いつながりがあることも、こうした選挙結果の背景にありました。
クリミア自治共和国の議会はウクライナからの独立を宣言し、3月18日プーチン大統領はクリミア自治共和国と特別市セバストポリをロシア連邦の連邦構成体に編入しました。
これには世界各国から「主権の侵害」、「国際法違反」という非難、抗議の声があがりました。国連総会は3月27日、クリミア半島の住民投票は正当性がなく、ロシアによる併合は無効だとする決議を賛成100カ国、反対11カ国、棄権58カ国で採択しました。国連盟国は193カ国。この決議は国際社会の総意を示したもので、武力による威嚇や武力行使によるウクライナの国境変更の断念と直接対話によるウクライナ状況の平和的解決を求めています。
米国やEU各国の政府は、ロシアに対して政府高官の入国禁止やその資産凍結などを柱とする「経済制裁」を発表。日本政府もビザ免除交渉の凍結などを決めました。これらの「制裁」は現在のところ、あまり効果はありませんが、ロシアはこれに“仕返し”とも言える{制裁}で対抗しています。欧米各国と日本は、G8(主要国首脳会議)からロシアを排除することも決めました。
経済危機で深まる生活困難
双方ともスラブ系民族のウクライナとロシアの歴史は長く、深いものがあります。現在のウクライナの首都キエフは、10世紀にロシア最初の国家とされるキエフ・ルーシが成立したところです。「キエフはロシアの母なる都市」と言われる由縁です。その後、17世紀には帝政ロシアが東部ウクライナを併合します。クリミア半島は1873年ロシア・トルコ戦争を経て、ロシア領土となります。
そしてロシア人がウクライナの領域に入り、一方ウクライナ人もロシア各地の大都市やシベリア、極東に多く移住し、社会的にも、文化的にも融合がすすみました。たとえば、日本でロシア料理として有名なボルシチは、元来ウクライナの郷土料理でした。ただ、ロシアが経済的にも社会的にも、いろんな面で支配的な状況でした。ウクライナ人が「小ロシア人」と一般的に呼ばれたのも、その象徴的な表われでした。1991年のソ連邦解体でウクライナが独立するまで、基本的にそうした構図がつづきました。
ウクライナは面積で日本の約1・6倍、人口約4500万人で旧ソ連や中東欧地域では有力な国です。民族的には8割がウクライナ人で、残り2割がロシア人とされていますが、歴史的経緯からロシア語を母語とする人がはるかに多いのが特徴です。豊かな黒土地帯で“欧州の穀倉”と言われる農業、製鉄などの鉱工業などが主な産業です。
ウクライナは独立後の体制転換で、その地政学的位置からロシアと欧州の間で揺れ動いてきました。民営化や自由価格など市場経済の導入を柱とする経済再建の苦闘がつづき、国民生活、経済の低迷は打開されないままでした。2004年の大統領選挙で、新自由主義的な「改革」に反対しロシアとの関係改善を訴えたヤヌコビッチ氏が欧州への接近と急進的「改革」の推進を掲げたユーシェンコ氏を破りましたが、選挙不正があったとして市民の大規模な抗議集会が連日吹き荒れ、選挙結果は無効とされました。05年のやり直し大統領選でユーシェンコ氏が当選しました。この政変が「オレンジ革命」と呼ばれ、その立役者となったチモシェンコ首相とともに、ウクライナは新自由主義経済改革とEU・NATO接近への道を歩みます。
だが、この「オレンジ革命」は失敗しました。2010年の大統領選で「オレンジ革命」の旗手だったユーシェンコ氏はわずか約6%の得票で惨敗しました。新自由主義の経済政策、NATO加盟の外交路線の破綻が明白になったのです。
決選投票では、ヤヌコビッチ氏が中間派のチモシェンコ氏をおさえて勝利しました。
しかし、08年のリーマンショックの直撃であらわになった経済危機の構図は、ヤヌコビッチ政権の3年間も変わらず、いっそう深刻になりました。昨年から貿易収支が大幅赤字となり、外貨準備高が激減、1年以内に債務返済が650億ドルとなり、デフォルト(財政破綻)が迫っています。
市民生活も改善されず、一人当たりGDP(国内総生産)はロシアの四分の一にすぎません。平均月収もロシアの6万3700円に対し、ウクライナは2万7700円、平均年金でもロシア2万4700円、ウクライナ1万4100円という調査があります。それほど豊かでないロシアに比べても、ウクライナ市民はその半分程度の生活水準に甘んじているわけです。そして、行政機関だけでなく、体制転換以後、社会生活に深く根差した汚職・腐敗の横行です。今回の流血の政変の底流には、こうした政治に対する広範な市民の怒りがあったわけです。
ヤヌコビッチ氏は外交政策として、欧州との統合、ロシアとの関係改善、軍事同盟への不参加を柱としていました。ヤヌコビッチ氏は必ずしもロシア一辺倒ではなく、欧州とロシアとの両にらみ外交でした。ウクライナにとって、ロシアは最大の貿易相手国であり、最大の債権国であり、天然ガス供給国です。経済的には切っても切れない関係です。魅力あるEU市場とも、ロシア市場とも関係改善することがウクライナの経済成功に不可欠だとされます。
深まる東部と西部の対立
欧州とロシアの間で揺れてきたため、ウクライナの東部と西部の対立も際立つようになりました。クズネツク州など東部は300年以上も前から帝政ロシアに併合されてロシアの強い影響を受けているだけでなく、経済的にも鉱工業がロシアとの結びつきのなかで発展してきました。住民もロシア人が多く、ロシア語を母語とする市民が多数となります。
ところがリボウ市を中心とする西部のほとんどは、第二次世界大戦後にソ連に併合された地域で、ポーランド、オーストリア=ハンガリー帝国の文化、社会の影響が強く、反ロシアの機運と欧州への帰属意識は深いものがあります。この地域では、戦中、戦後に反ソ武装組織が活動したこともあります。そのなかで、今回の大規模な反政府デモで暗躍した排外主義的な武装グループが生まれたのです。
クリミア半島はウクライナでも特殊な歴史があります。1873年帝政ロシアが併合した後、帝政ロシア、ソ連のロシア共和国の一部でした。この間、先住民のクリミア・タタール人が中央アジアに追放され、ロシア人が入植するなどありました。それが1954年にウクライナ共和国に編入されました。当時はソ連国内での行政的な変更にすぎませんでした。
しかし、ソ連邦が解体される際、クリミア半島の帰属がロシアとウクライナとの間で重大問題になりました。結局、両国はロシアの黒海艦隊が軍港セバストポリを使用する協定を締結し、クリミア半島はウクライナに帰属することで合意しました。
黒海に囲まれたクリミア半島はロシアにとって要衝の地であり、とりわけ大規模な黒海艦隊基地を置いています。両国協定によると、ロシアの基地使用は2017年までの期限でした。それをヤヌコビッチ政権は25年間延長していました。政変で反ロシアの政権ができ、駐留・基地使用が危うくなってきました。要衝のクリミア半島を失わないため、プーチン大統領は軍事力で圧力をかけて、半島をロシアに併合したのです。
ウクライナ・ロシア・EUで政治的解決を
国連総会の決議が述べているように、軍事力で主権国家の一部の領土を一方的に併合することは、認められません。関係するウクライナ、ロシア、EUがそれぞれの主権を尊重して話し合いで、外交的に政治的解決を探っていくべきです。ウクライナはロシアの“弟分”国家ではなく、対等な主権国家です。だが、歴史的な深いつながりから見て経済的、文化的にウクライナがロシアと断絶して存在することは想定できません。ロシアとEUも天然ガス・パイプラインだけではなく、13年の貿易総額4600億ドルと米ロのそれの11倍と深いつながりがあります。ウクライナ・ロシア・EU三者協議による政治的解決の可能性には現実的基盤があります。
(4月15日記)