数年前のことだった。
山陰地方のとある山に、「古い廃バスがある」との情報が入った。
情報のある場所を探したが、見つからない。
もうないのかな、と思っていたら探していた地点から少し離れた場所に存在すると判明した。
再度探索を敢行することにした。
ある夏の日、ヒグラシが鳴き始める頃に目当ての山へと車を向かわせた。
目当ての廃バスまでは、廃林道を歩いていく。
路盤は崩れ、法面から生えた木々は倒れ、歩きづらくなっていた。
夏場の訪問も災いし、蚊や蜂が容赦なく飛来してきた。
しかも、なかなか見つからない。
諦めかけていたその時、視界の隅に怪しい影。
あった。廃バスだ。
廃林道からはちょうど稜線のような位置関係で屋根だけがかろうじて見える状態だった。
足早に廃バスの正面に回り込んでみて、私は絶句した。
希少な廃バスの姿がそこにあったからだ。
いすゞ・BA741(防長交通)
バスは山口県のご当地バス会社「防長交通」のものと分かった。
今や非常に希少な廃車体である。
車体後部側面に「防長バス」の文字を確認。
後姿。
いかにも古バスらしく、後面2枚窓と切り分ける前の食パンのような丸み、円形の通気口が特徴的。
車内は、座席も外されて伽藍堂であった。
どういった用途だったのかは不明だ。
この廃林道には他にも草ヒロが取り残されていた。
こちらはどちらも三菱自動車の車輛だった。
帰り際、近くにお住いの方にお話を聞いてみた。
どうやら、かつてこの山麓一帯に別荘地を造ろうと計画されたことがあったようだ。
林道跡や廃車体はその頃に持ってこられたようである。
しかし、いつの間にか計画は頓挫し、草ヒロたちは別荘の夢とともに忘れ去られていたのだ。
おそらく、このバスの用途は造成工事期間中の休憩小屋や現場事務所的な物だったと思われる。
乗用車の方は、構内車的なものだったのか、あるいは無関係の人間が勝手に捨てていっただけかもしれない。
仮に計画がうまくいって、別荘地になっていたら今頃この草ヒロたちはどうなっていたのだろうか。
役目を終えて撤去され、造成工事を陰で支えた廃バスがあったことなど利用者は知る由もなかったかもしれない。
今でもほとんどの人から知られることなく眠り続けているという意味では、同じ結果とも言えなくもないのだが。
おしまい。