武蔵新田駅
から商店街(武蔵新田商店会)を歩き![]()
駅名の由来ともなった、新田神社
に
ご祀神は、贈従三位左兵衛佐源朝臣新田義興公![]()
新田義貞の次男で元服に際して後醍醐天皇により
「誠に武勇が器用である。義貞の家を興すべき人なり」として
義興の名を給るほど、無類の勇将・南朝の忠臣ともされる![]()
「逃げ上手の若君」にて、北畠顕家軍で北条時行と轡を並べていたけ![]()
さて
鳥居
を潜り、境内左手に
宝物殿と神輿庫
右手に、ご神木
樹齢700年といわれるケヤキの古木
第二次世界大戦の空襲
を受け
雷に当たって引き裂かれてしまったが奇跡的に枯れず![]()
新緑の頃になると若葉が茂る上部に宿り木が寄生している
このため、この神木に触れると健康長寿、病気平癒、若返りの
霊験があるとされるそうです![]()
境内社の稲荷神社![]()
江戸時代に矢口村の農業を守護するため、伏見稲荷大社
より
分霊を勧請して祀られたと伝わるそうです![]()
そして、手水舎は花手水![]()
左の狛犬さんの横![]()
巨大な破魔矢![]()
宝暦年間(1751年〜1764年)の末頃
義興の矢と称して門前の茶店
で売られたものをヒント
に
平賀源内が新たに魔除けとして考案したという![]()
平賀源内については![]()
御塚の外には決して生えない
という
不思議な篠竹を用いて五色の紙で矢をつくり
新田家の旗印を付けた「矢守」は
正月の名物となったそうで
参拝客は2本の矢を買って1本は神殿に供え![]()
もう1本を持ち帰って魔除けとした![]()
これは新田家伝来の「水破兵破」の二筋の矢に由来しているそうで
後にこの矢守が全国に拡がり「破魔矢」の元祖となったそうです![]()












