台東区のバスコミュニティバス「めぐりん」に乗り

荒川区に近い清川地区にやってきましたうずまき

玉姫稲荷神社神社にやってきました

次週が、春・秋の2回行われる「靴まつり市」キラキラ

春の開催だったようです口笛

 

久しぶりに寄らせて頂くことにあしあと

 

前回は下矢印

 

 

境内社、八神殿神社

 

境内社、口入稲荷神社神社

 

 

手水舎、龍神の水口タラー

使われていないようで・・・少し侘しいですねショボーン

 

ご祀神は、    宇迦之御魂

境内社に、    口入稲荷神社、猿田彦神社、白山神社、金刀比羅神社、八幡神社

       松尾神社、八坂神社、天祖神社、春日神社、王子神社
 

ご住所は、    台東区清川2-13-20

 

参拝お願い

 

さて、

神社から東へ数区画あしあとと、立派な塀に囲まれた?

戸締りをしっかりすれば・・・見学OKOKだそうでうずまき

入ってみた!

 

「平賀源内先生墓入口」びっくり

 

平賀源内は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した発明家で

エレキテル(摩擦起電機)の復元製作や、火浣布(石綿の耐火布)の発明で有名キラキラ

 

本草学・医学・儒学・絵画を学び、事業面では成功しませんでした

一方で風来山人・福内鬼外などの号名をもち

滑稽本や浄瑠璃などの作品も残すなど、

今風に言えば、マルチな才能な人だったようです

 

安永8年(1779年)にナイフ殺傷事件を起こしガーン、小伝馬町の牢内で獄死もやもや

この地にあった総泉寺に葬られたといい

総泉寺が板橋区小豆沢にトラック移転した後も墓は当地に保存されうずまき

昭和6年(1931年)には松平頼壽(旧高松藩当主)により築地塀が整備キラキラ

後に国史跡に指定されたそうです

鞘堂の中に平賀源内のお墓がありカメラ

 

源内の墓の後ろ隠れるように、従僕福助の墓もありますうずまき

 

「平賀鳩溪先生墓域修築之碑」

裏面に

「嗟非常人 好非常事 行是非常 何死非常」

 (ああ非常の人、非常の事を好み、行ひこれ非常、何ぞ非常に死するや)

と杉田玄白の墓碑銘が刻まれています

 

源内は安永2年(1773年)には出羽秋田藩の佐竹家に招かれて鉱山開発の指導を行い

また秋田藩士小田野直武に蘭画の技法を伝えたとされうずまき

後に、前野良沢・杉田玄白らによる「解体新書」の翻訳作業の中!

図版を印刷するため、「ターヘル・アナトミア」などの書から図を写し取る必要があり

源内の紹介!?によって、直武がその作業を行ったそうだびっくり

 

 

そういえば子供の頃に読んだ本「ズッコケ三人組」シリーズに

江戸時代にタイムスリップして、平賀源内と絡む話を

読んだことあったけてへぺろ