世田谷八幡宮前の道を
歩くこと数分
世田谷線宮の坂駅に
下高井戸方面のホームに隣接して、世田谷区宮坂区民センターがあり
かつて玉川線で活躍し、その後江ノ島電鉄へ譲渡された
2代目87号(江ノ電601号)電車が展示されていました
一般公開されて、日中は車内に入ることが可能です
外観見学で一周した後、せっかくなので車内へ
板張りの床
簡素な運転台
乗降扉のスイッチ、͡「此の戸」と「他の戸」と記されてる
レトロ感にみちている
世田谷線に乗りたい気分を、まだまだ我慢
招き猫で有名な
(招き猫も諸説あるようで)
豪徳寺門前を
境内は外国人観光客で賑わっているようだ
更に道なりに進むと、世田谷城址公園に
世田谷城址公園は
中世の世田谷吉良氏の居城であった世田谷城の跡で
吉良御所、世田谷御所とも呼ばれていたそうです
小田原の北条氏と親戚関係を結んだ吉良氏の城は
豪徳寺付近に本丸を置き、土塁・丘・壕が残される城阯公園付近まで
城が拡がっていたものと考えられているそうです
土塁跡、石垣は公園として整備するときに近年作ったもののようです
公園の高台にあたる曲輪は、ちょうど樹木の剪定中により立入禁止
天正18年(1590年)、吉良氏朝の代に豊臣秀吉の小田原征伐により接収
下総国に逃れ、徳川家康の関東入封後は家康に仕え
氏朝の子・吉良頼久は、天正19年(1591年)旗本として上総国に所領を与えられ
世田谷の大部分は天領となり世田谷城は廃城となったそうです