本尊岩隧道の内部はフェンスで固く閉ざされていた。
ここも例に漏れずトンネル断面が狭い。大型トラックは離合できないだろう。
このまま引き返して帰るのも不完全燃焼だから左端に写る足場のところを通って反対側へ抜けてみよう。
あ、ここ歩道だったのね。
チャリが通るにはキツい幅員の為に2輪車も全部車道走れってなっていたことを考えると車もチャリも怖い思いをしたであろう。
しはらく歩道を歩いて振り返る。壁の出っ張りのところが現トンネル断面と未成トンネル断面の結合部といったところか。
ここから先は歩道も十分な幅員を得てかなり歩きやすくなる。
そして反対側へ。
こちらは申し分ない広さの断面だ。
反対側もこの幅員が確保できていれば、揚川バイパスは作られることはなかったのだろうか。
この区間の命運を分けた、と言っても過言ではない本尊岩隧道の存在がいかにボトルネックとなっていたのかが垣間見える。
ここから黒岩トンネルにかけては歩道付きの改良道路がずっと先まで続いていた。
本尊岩さえなければあと半世紀は永久活用が約束されていただろうに、運命というのは残酷なものだ。
磐越西線の道床下のコンクリの壁に、何やら写真が…"良き道たどれば良き郷あり"────────対岸の山から俯瞰した写真が本尊岩の険しさと美しさを写していた。
三島通庸という男がこの狭隘な土地に道を拓いたこと、その道を拓くことは容易いものではなかったこと。鉄道模型のジオラマばりの美しさがここには存在するのだ。
ここから視界の奥までずっと廃道が残されている。
まもなく日没を迎える。今から引き返せば暗くなる前に車まで戻れるはずだ。
まだこんなにも状態がよくて現役の国道さながらの光景が残されていたが、車も人もいない。ちょっと前までは大型トラックが行き交った道路の真ん中を悠々と自分の足で歩くことができる。これが廃道探求の醍醐味なのである。
この山に挟まれた阿賀野川の上を吹き抜ける風のこだまする音しか聞こえないこの廃道、引き続き探索できる日は来るのだろうか?