怖れにとらわれているとき、どんな出来事も怖れに見えます。
有名な例え話、「道に迷った暗がりのジャングルで、ロープを蛇と間違えて怯える」ではありませんが、現れる事象に対して心は悪い方向へ、自分を脅かす方向へと"解釈"するのです。
そうは言っても、怖れにとらわれてしまったとき、それをロープだとすぐに見破るにはどうしたらいいのでしょうか。
僕自身もいまだに答えが見えていませんが、体験したパターンから言えること。
それは、
「自ら、蛇(のように見えるもの:怖れの象徴)に向かって歩いていく」
ということです。
ロープを蛇だと思って、ビビって引き返せば、その人の世界には、蛇が実在したことになるのです。
蛇に向かって突っ込んでいったとき、ロープだとわかり、蛇は実在しなかったことがわかるのです。
自分の世界に、蛇を創り出すのも、ロープを創り出すのも自分の心次第だということがわかります。
自分自身に関して言えば、蛇に突っ込んでいく生き方をすればいいとしても。
厄介なのは、自分に近しい他人が、自分のことを「蛇」扱いしてきたときです。
つまり、こちらの言動を怖れて、コントロールしようとか、変えようとしてくるときです。
「お前の言動に見える蛇(怖れ)を見たくないから、お前の言動を変えろ」
という他人からのコントロールにどう対処してくのか。
しかも、このコントロールして来ようとする他人というのは、コントロールの源に、その人自身の怖れがあることを決して認めようとしないものです。
その代わりに、「お前のためだ」とか「お前が心配だ」とか言ってくるわけです。
こちらにできることとしては、その圧力に屈しない力強さを備えることくらいでしょう。
つまり、その相手のコントロールの中に見える自分の蛇(怖れ)
に突っ込んでいくのです。
その相手にコントロールされたところで、一体何を怖れる必要があるのでしょうか。
世界は、自分次第だというのに。
僕らは守られているというのに。
奇跡の中で、すべては起きているというのに。
蛇(怖れの幻)に怯えてるすべての人に向けて、そして何より、蛇に怯えている自分自身に向けて書いてみました。
人生は続きます。