自己破産を経験したことある友人(40代 経営者の男性)に質問してみました。
ちなみにその友人は、今はとても輝いていて、経済的にも精神的にも自由な人です。
僕の理想の生き方を体現している方だったので質問してみたくなったのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕:「怖くなかったですか?」
友人:「怖かったのは、自己破産の手続きを開始するまででした。開始するまでは気が狂いそうなくらい、怖かったです。」
僕:「他人の目とか気にならなかったですか?」
友人:「それも、自己破産の手続きを開始するまででした。開始した後は、普通にそのことを友人に話していました。」
僕:「手続きが始まったとき、どんな心境だったんですか?」
友人:「うーん、静かな感じでしたね。無というか。」
僕:「震災などで家をなくした方の後のようなイメージですか?」
友人:「ああ、そうですね。そんな感じかもしれません。」
僕:「その無、というのは感情が麻痺しているのとは違いましたか?」
友人:「違いました。本当に清々しいような無でした。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
怖れを怖れているとき、怖れは実現します。
怖れの中に飛び込み、怖れを直視したとき、怖れは幻だったと知るのでしょう。
ひょっとしたら死も同じなのかなと思います。
死を怖れているときがもっとも苦しい。
死を受け入れ、実際に死にゆくプロセスはとても静かで神々しい。
そういえばちょうど5年前の今頃、母の死を怖がっているとき、僕はもっとも苦しく、母の死を受け入れてからは静かで穏やかでした。
母自身もそう見えました。
そして母が死んだとき、不思議と涙は出ず、卒業式にもにた清々しさとともに送り出したことを思い出しました。
The Dragon doesn't live here anymore.
「ドラゴン(怖れている相手の象徴)はもういない」
アランの処女作の本のタイトルでした。
人生は続きます。