福岡で友人の講演会に出て、ホテルへ帰ろうと高速に乗ったとき。
とめどなく、涙があふれてきました。
そのまま運転することができないくらい、涙があふれてきました。
車を止めて、肩をふるわせ、声をあげ、嗚咽をもらしながら、泣きじゃくりました。
20分間にも渡って、泣きじゃくりました。
こんなに泣いたのは、覚えてないけど、小学生の頃かもっと前かそれ以来。
新月で旧正月で亡き母親の誕生日でマンションのローンが満額降りた奇跡の一日だった昨日。
去年マウイ島で出会った大切な友人が、肉体としての人生を終えたのです。
彼女は、昨日が誕生日で、そして命日となりました。
僕の母の誕生日と同じ誕生日だったことも昨日知り、そして命日となりました。
彼女は、なぜか僕がタイから修行で帰国したときも空港まで迎えに来てくれて...。
そして最後に会ったのは年末でした。
まだ癌であることを告知する前、僕は彼女の病気のことを全く知りませんでした。
彼女は小さな声で一言、「ひろきさんのクリスタルボウル、触らしてもらっていい?」と。
喜んで貸すと、そこからずっとクリスタルボウルを触り、鳴らしていました。
まるでクリスタルボウルから愛を受け取ってるかのようなその彼女の光景が不思議と目に焼き付いていたのです。
そして厳しい闘病生活を終え、昨日旅立ちました。
マウイでも、タイから帰国した空港でも、その年末のときも。
まるで、母親の生き写しかのような温かく柔らかいエネルギーで僕を包んでくれた彼女。
肉体を離れるのは悲しいことじゃない。
スピリチュアルな本や教えで何度も教わってきたことです。
「天使になった」というのも頭ではわかっています。
でもやっぱり悲しいです。
たった4回しか会っていないのに、どうしてこんなに悲しいのか、不思議に思うくらい悲しいです。
だから泣きました。
これ以上ないくらい情けない顔して泣きました。
ホテルに着きました。
もう悲しみは空っぽになって、かといって喜びや嬉しさがあるわけでもなく、プラスマイナス0になった感じです。
僕のこの肉体としての人生はまだまだ続きます。
明日も日は昇るだろうし、きっと沈むでしょう。
明日もコーチングを教え、仲間と繋がり、そして鹿児島に帰って、寝るでしょう。
この何でもない一日がどんなに素晴らしいことなのか、空っぽになった今、見えてくるようになりました。
何でもない一日が、どんなに素晴らしいことなのか。
何でもない一日なんてなかったのです。
昨日が奇跡の一日だったんじゃない。
奇跡じゃない日なんてなかったのです。
最後に、友人(はるみちゃん)へ。
ありがとう。
本当にありがとう。