「排他的オーガニック暮らし」にならないために | 心理カウンセラーかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

こんばんは!
鹿児島のライフコーチ、亀井弘喜です。


先ほど奥さんと夕食後に話していて気づいたことをシェアしたくなったのでブログに書き下ろしています。


きっかけは今日、奥さんが一人である教育施設を見学にいったときのこと。


そこはとても教育理念が素晴らしく全国的にも有名な所。


お弁当はお母さんの100%手作り弁当だし、日本の教育システムにはまらない独自の教育システムを築いている。


奥さん曰く、そこに通うママたちもみんなオーガニックな素敵な雰囲気だったとのこと。


ただそこでひとつ気になる話題がありました。


奥さんが

「今娘が通っている保育園の給食が素晴らしいんです。有機野菜を使っているし、献立もすごく健康を気遣っていて、しかも美味しいし(^^)。」

と話すとその先輩ママから返ってきた言葉。


「あー、あそこは美味しいみたいですね。でも知ってます?日本の認可を受けた幼稚園・保育園はすべて国の基準があって、野菜を洗剤で洗ってるんですって。」


奥さんはこれを聞いて返す言葉がなくなったとのことでした。


僕はその話を聞いて自分にも思い当たる節があることを思い出しました。


以前、肉を食べるのを控えているとき、周りの人が肉を食べてると不快な気持ちになったものです。


そして少しでも仲良くなった人には肉がいかに有害か、話していました。


でもそのあと、自分も結局肉食を復活したため、その出来事そのものを忘れていました。


今はヨガの修行を終えて再び肉食を控えています。


というか最近では献立に必ず野菜を入れるし、外食で肉が入ってたら避けて食べるようになったほどです。


でも以前の肉食断ちと大きくことなるのは、肉を食べてる人をみても微笑ましく思えるし、自分ももし食べたくなったらいつでも食べようと、気楽に構えているところです。


ベジタリアンが良いこと、という価値観になると、どうしても『同時に』肉食はダメなこと、という価値観がついてきがちです。


ヨガの先生は言いました。

「肉食を否定するわけではありません。肉を食べてる人を否定する必要はまったくないのです。ただ、ヨギーというのは肉を食べないだけです。そしてヨギーになりたければそれを実践した方が修行が早く進むということです。ヨガの修行を積めば、自然と肉は食べたくなくなるでしょう。」



今日の出来事で気づいた大きな学び。


「排他的オーガニックにならないようにする」


確かに、食べ物とか着る物とか洗剤とか電力とか農業とか、オーガニックなものは素晴らしい。と僕も思います。


でもそれと「同時に」ついてくる反対サイドの価値観の否定に、はまらないようにしたいなと。それをした途端、新しい「排他」や「否定」が始まってしまう。


例えば資本主義を否定して、農業が「いい」とかになってしまうのも同じことだと思います。農業はもちろん素晴らしいけど、資本主義も役立つところがたくさんある。


ファストフードも肉食もいいところあるし、オーガニックじゃない洋服や洗剤も便利なところや優れたところがたくさんある。


原子力も確かに危険だし、僕はむしろなくしていったほうがいいと考えているけど、その恩恵を受けた人はたくさんいるし、僕も実際に受けたはず。何より、父はサラリーマン時代、原発の技術の開発者であり、設置推進している部門でした。


僕自身は、最近はヨガに目覚め、食事も考え方もオーガニックなものを好んで選択するようになっています。


でも「同時に」ついてくる反対サイドの価値観への否定的感情に気づいて、とらえなおして、すべての選択肢を肯定できる考え方をより一層深めていきたいなと思ったのです。


自分が選択肢を「選択する」という行為と、選択肢を「肯定/否定する」という行為は分けられる。


自分が取る選択肢はもちろん「肯定して、選択する」ことが多いと思います。


注意すべきは、他人が取る選択肢に対して「否定して、選択しない」になってしまうこと。これを「肯定して、選択しない」にすること。


今日のママの例で言えば、「あそこの保育園の給食も美味しいみたいでいいですね。でも私は自分で作る方がもっといいと考えているので、毎日手作り弁当にしています。」と話すような在り方でいること。


他人が楽しんで(もしくは役に立つと考えて)取っている選択肢を否定しないこと。


最後に、排他的な考え方を否定すると、それも新しい排他や否定になってしまうという罠が待ち受けているので(笑)、今回の記事で決してそのママを否定したいわけではないということと、そのママの発言を体験した僕の中には、そのママのような部分があることを自覚しているんだと、自分のために書いて終わりたいと思います。


排他から、受容へ。


否定から、肯定へ。


争いから、調和へ。


みんなで一緒に進んでいきましょう。