最近、セミナーやコーチングセッションでよくクライアントさんに話す言葉です。
何かの問題を解決するとき。
前提として「悪者がいない」という発想を持つようになると解決のアイディアは変わってきます。
悪者がいない、というのは自分自身も含めてです。
問題を抱えているとき、人はおおまかに言うと2種類に分かれるように感じます。
①怒りタイプ(誰か(何か)が悪い)
「怒り」や「苛立ち」という感情があがってきたとき。
「誰か(何か)が悪い」という立場をとっていることが多くあります。これをやるとと解決の難易度が一気に上がってしまいます。
・上司が悪い
・部下が悪い
・親が悪い
・配偶者(恋人)が悪い
・子どもが悪い
・教育が悪い
・政治が悪い
・経済が悪い
・過去の出来事(トラウマ)が悪い
などなど…。
怒りや苛立ち、不満系の問題を抱えているときは、大体この「誰か(何か)が悪い」から始まっています。
もちろん、その怒りを抱えちゃいけないわけではありません。
むしろ怒りを持っているなら、積極的にその感情を感じ尽くしたほうがいいでしょう。
こんなことを書いている僕も今朝、奥さんとささいなこと(子どもの遅刻)で言い合って、久しぶりに怒りの感情にまみれました。
感じ尽くそうと思って、ひとり壁を殴ってみました(笑)。その後で、「誰か悪いんだっけなぁ?」と思い返してみると、悪者はそこにいませんでした。
僕も奥さんも、遅刻した子どもたちも、みんな「家族仲良く幸せに暮らしたい」から、それぞれの立場で行動していたのです。
何て微笑ましい家族なんだろう。我ながらそんな風にとらえ直したとき、怒りはスーッと浄化されていきました。
②「罪悪感タイプ」(私が悪い)
何か問題が起きると、すぐに「すみません」とか「私が悪い」という立場を取るケースです。
気にし過ぎな人、気遣いができる人は、この立場をとることが多いように思います。僕はこの立場が大好きです(笑)。
罪悪感タイプの方が認識するといいのは、
「罪悪感を感じる立場のメリットを感じている」ということ。
「私が悪い」と言ってたら、どんなメリット(良いこと)があるのでしょうか。僕が思いつく限りでも、例えばこんな良いことがあります。
・それ以上責められない
・自分で責任を全部負える
・お詫びとして誰かに尽くす体験ができる
・悪い今、という立場から良くなるステップを体験できる
・成長しなくても責められない
などなど…。
でも実は、それらのメリットは、罪悪感を感じていなくても味わえるのです。
・罪悪感を感じていなくても、それ以上責められない。(逆に感じていると、余計に責められるように感じる)
・罪悪感を感じていなくても、自分で責任を負っていい。(責任は負わされるより、負った方が果たせる度合いはあがります)
・罪悪感を感じていなくても、お詫びではなくて純粋な感謝とか愛で誰かに尽くしてもいい。
・罪悪感を感じていなくても(今が悪くなくても)、どこまででも良くなるステップは体験できる
・罪悪感を感じていなくても、成長しなくても責められない(逆に責めてくる人は罪悪感を感じていると、余計に責めてくる(ように感じる))
誰も悪くない、というのには、自分自身も含まれるのです。
過去の自分自身も。過去の出来事も。
「今抱えている状況は、すべて完璧なクリエーター(創造主)によって形作られたとしたら。」
最近の僕は、セミナーをやるときでも相談会やコーチングセッションをするときでも、いつもこのスタンスで物事をとらえるようにしています。(写真はそんな風にとらえてるモードのときの僕です)
そうしたら何だか結果が変わってきました。
みんな、楽しく解決し、楽しく成長できるようになったのです。
以前は、苦しく解決し、苦しく成長することを提供していました。
問題を楽しく解決して、人生で楽しく成長するためのワード。
「悪者がいないとしたら、どう解決したらいいだろう?」
読んで下さった方のお役に立てたら嬉しいです(^^)。
※この投稿は、セッションしてて気づいたことをアップしています。シェア自由ですので、悩みを抱えてる友人がいる方は良かったら転送・シェアしてくださいね。