ほんきの自己紹介 〜 その3 〜 <10歳頃の転換期①> | 心理カウンセラーかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

こんにちは!
鹿児島のライフコーチ、
亀井弘喜(かめいひろき)です。


ひそかに記事アップを楽しみにしてくださってる方がそろそろ出てきて欲しい(笑)、自己紹介記事シリーズ、その3です。


その1はこちら↓。
ほんきの自己紹介 ~ その1 ~<0歳~6歳>


その2はこちら↓
ほんきの自己紹介 ~ その2 ~ <7歳~10歳>



今回は小学4年生頃のある日に起きた決定的な出来事を書いていきたいと思います。結構、自分の中では強烈なことでした。


講演会とかでは結構赤裸々に話してるのですが、ブログでは初めてです。あまり家庭内のもめ事など見たくも知りたくもない、という方はこの回は飛ばしていただけたらと思います。


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<弘喜 10歳のある日>


あまり記憶はないけれど、たしか小学校3年生くらいまでは、とても仲の良かったうちの両親。このころからそれが変わっていきました。


神奈川県の平塚市から、父親の勤め先の川崎や品川まではとても遠くて通勤に1時間30分くらいはかかっていたと思います。


そのため父親はいつも帰りが遅かったのです。
一生懸命働く父。頭がいい上に、仕事熱心で会社からもとても評価されていたようでした。僕が大人になってから、本人はよく、「俺が史上最年少で課長になったんだ」と自慢話をしていました(笑)。


毎日遅くて、でもたまに起きてる時間に帰ってくる父。たまに帰ってきた父と話をしたり、勉強を見てもらったり、ファミコンに付き合ってもらったり。仲の良い父子だったと思います。


でもだんだんと、父の機嫌が悪くなっていきます。もともと怒りっぽかったのかもしれませんが、このころからちょっとしたことで怒鳴るようになりました。


印象的ななのがファミレスなどの飲食店。何かにつけて、料理や接客にいちゃもんをつけるのです。で、どんな立派なクレーム対応をされても結局逆切れの材料にされて。


最終的には、「こんな店二度と来るか!」と怒鳴りつけて、母・兄・僕を連れて店を出るのです。そのときのほかのお客さんの視線や、店員たちの「痛い人(家族)を見る目」がとても辛くて。


僕の他人の目を気にする生き方はこのころから根付いてきたのかもしれません。


そして決定打となったある日。


リビングから父と母の揉める声が聴こえてきました。


「浮気をしたのは、パパじゃない!!」


叫ぶ母。


「うるさい。お前だって、悪いところがいくらでもあるだろう!!」


逆切れする父。


しばらく子ども部屋に籠ってるように言われ、兄と二人で子ども部屋でファミコンをしてると…。


出てきた父が一言。


「お前ら、良く聴け。お父さんとお母さんは来週離婚するから。どっちについてくるか来週までに考えておけ!」


そのまま出ていった父。母は台所で泣き崩れていました。


ただただ、「ごめんね。」と僕と兄に謝っていました。


離婚ってどういうことなのかはよくわからないけど、お父さんとお母さんのつながりや、家族のつながりが今まさに切れかかってるということは幼いながらに、よくわかりました。


そして運命の「来週」がやってきたのです。


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次回、ほんきの自己紹介 ~その4~ <10歳頃の転換期②>へ続きます。