こんにちは!
鹿児島のライフコーチ、
亀井弘喜(かめいひろき)です。
自己紹介記事シリーズ、その2です。
その1はこちら↓。
ほんきの自己紹介 ~ その1 ~
今回は記憶が結構戻ってきている小学校1年生~4年生までの「プチ黄金期」を振り返ってみたいと思います。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
<弘喜 7歳~10歳まで ①>
神奈川県平塚市立勝原小学校に入学。小学校1年のときから、ドイツに2年単身赴任をして英語の必要性を痛感した父の勧めで英会話スクールに入る。
英会話がとても楽しく、英語はめきめきと上達。当時の先生にもよく驚かれていたのを覚えています。
勉強も教育熱心かつとても頭がいい父の教えに従っているだけで、さくさく100点が取れていく。小学校低学年の頃は、テストで100点を取るのが当たり前でした。
さらに、当時大人気だった「キャプテン翼」の影響をもろに受け、小学校1年生の頃から地元の少年サッカー団に入部。運動神経の良かった僕はチーム編成がしっかりしてくる3年生のころには上の学年の試合に出るなど活躍していました。
「キャプテンで中盤(センターハーフ)で10番」というのがみんなのあこがれの時代。僕はそれを地で行くような活躍ぶりでした。
また、友達がとても多くて、小学校1年生のときに流行り始めたファミリーコンピューター(通称ファミコン)では、どのゲームをやっても圧倒的に早く、うまくできました。
とくにスーパーマリオブラザーズでは、まったくノーミスで最速でクリアすることができ、友達たちがわざわざ見に来るほど。その精密さから、友達からは高橋名人と同じように崇められたことを覚えています。
女子からも一目置かれる存在だった僕。
雲行きが怪しくなってきたのが、水泳でした。
小さいころに水泳教室に通っていなかったことに加えて。
小学校2年生くらいのときに実家の仙台の広い庭の池に、なんと頭から落ちるという体験をしたのです。
頭からまっさかさまに落ちて、しかも思いっきり泥池の水を吸い込んだ僕はパニックになり、そこからしばらく水恐怖症に陥りました。
水泳の授業でその水恐怖症からか、まったく顔を水につけられない僕。気づけば、水泳の授業でひとりポツンとクラスメイトから浮き始めました。(クラスメイトは対象的にとてもはしゃいでいるのです。)
心配した母親が、スイミングスクールに通うことを進めてくれました。でも、水が怖かった僕の恐怖症はスイミングスクールで余計に強化されてしまったのです。
通い始めたのが小学校4年生。
でも顔を水につけられないレベルの僕が入ったクラスは、3歳児とか4歳児とかがいるクラスでした。
このとき、強烈にとなりに並んでるちびっこたちを見て、「こいつらと一緒か。嫌だ!」と思った僕は、母親に理由も言わずに、「スイミングスクールは行かない。辞める。」と告げました。
ここが一つ目の下り坂の始まりでした…。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
次回、ほんきの自己紹介 ~その3~ <10歳頃の転換期①>へ続きます。