ほんきの自己紹介 〜 その1 〜 <0歳~6歳> | ライフコーチかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

こんにちは!
鹿児島のライフコーチ、
亀井弘喜(かめいひろき)です。


突然ですが、ほんきの自己紹介をしてみたいなって思い立って記事を書いています。
どういうことかというと…。


セミナーとかで僕が講師のとき、「自己紹介をほんきでやるとそれだけで3時間くらいかかるので割愛しますが」といつも言ってたのです。


ほんとうに3時間分あるのかな?
って自分で確かめたくなりました(笑)。


だからシリーズいくつまで続くのかわかりませんが、続く限りこの34年間の人生をできるだけ瑣末なところも拾い上げて紹介していきたいと思います。完全に自己満足なので、その点ご理解いただけたら嬉しいです。(あと一部のマニアックな僕のファンの方は喜んでいただけるかと思います)


なお、僕は最近とくに記憶力が低下しているため(笑)、起きた出来事のほとんどは幻想な可能性がありますが、それもご容赦ください。僕が認識している過去としては事実ですので。


では始めていきます!
シリーズそのいくつまで続くかな。


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<亀井家について>
祖父(2002年他界)、父ともに、地元の名門「宮城県仙台第一高等学校」卒業のいわゆる地元のエリート家系に生まれる。祖父はそのまま陸軍士官学校を主席で卒業するなど、軍隊のとっても偉い人だった。酔っぱらうといつも戦争の話題に。部下が何百人もいる部隊を率いており、硫黄島から最後に帰還した日本兵だったらしい。


祖父は、仙台に戻ってから電話線工事などを行う通信業の会社を起すも倒産。再起してまた起業するも倒産、を繰り返す。その頃はとても家計も貧乏で、父は幼稚園を泣く泣く退園させられたのだとか。その頃の影響からか、祖母(88歳)はお金に対して異様なまでの執着と恐怖を持ち、これが後に母 俊子(2010年他界)と嫁・姑間の問題へとつながっていく。

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<弘喜 0歳~6歳まで>
1978年11月12日。
宮城県仙台市に生まれる。


生後まもなく神奈川県平塚市の高村団地に移住。
父、母、兄とともに暮らす。


1歳のとき、大手電機メーカーでエリート街道まっしぐらだった父が、ドイツに単身赴任で2年間行ってしまう。


そのとき仙台の実家に僕を預けるか否かで家族が揉めたらしい。
そのときのトラウマからか、「自分は家族に迷惑をかける存在」と認識するようになった部分も。


父がずっと不在だったためか、小さい頃、父親に抱っこされたり、あやしてもらった記憶に乏しい。その代わり母にめちゃめちゃ懐いていたようで、生前の母(2010年6月30日に他界)からは、よく「弘喜は、3歳になるまでおっぱいを吸ってたんだから」と言われた。


※ちなみに、まだ僕自身が今のように自己開示できるようになる以前、この話を人前でされることが一番の苦手でした…。


小さい頃から人見知りで、大人の目を射抜くように見る得たいの知れない子どもだったよう。親戚のおばちゃんからは、「弘喜くんと目が合うと、こっちが考えてること全部見透かされてるようで怖くて見れない」と言われたことがあり。


地元の清水幼稚園に入園。幼稚園時代の記憶はほとんどなく、新幹線の線路沿いの幼稚園だったこと、幼稚園に全然行きたくなくていつも泣いていたことくらい。


アスレチックジムがあって、ロープの網をかけのぼるのが大好きでした。
幼稚園時代はほんとに抜けたように記憶が少なく、きっとその頃からすでに感情のスイッチをオフにする術でも身につけていたのかもしれません。


ってことで6歳まで編はこのあたりで…。
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次回ほんきの自己紹介 ~その2~ <7歳~10歳>へ続きます。