認知的体験  -61ページ目

定年秘話「あいさつ」

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>2月16日 締め切り
海保博之(人間総合科学研究科教授)
定年あたっての挨拶

本学開学記念日10月1日は自分の誕生日でもある。そんなこともあり、勝手に筑波大学とは相性がよいと思いこんで、ここまで足かけ31年間にわたり居座り続けさせていただいた。
大学の草創期から成長期そして成熟期と、自らの研究者、教育者としての成長とを同期させながら、ここまできた。無い物づくしの草創期、すべてがひとそろいしての活気に満ちた成長期、あちこちにややがたがきてきしみが出はじめた成熟期。それは、筑波大学のことでもあり、自分のことでもあった。
しかし、時と法は無情である。自分は3月で筑波大学を去り、新天地でがんばる。筑波大学は、法人化で新たな草創期へと入る。どこまでも、筑波大学と同期した人生になるようにもみえるが、さすがに、それもそろそろ終わりのようである。
新たな成長に向けて筑波大学の発展と大学構成員の方々の活躍を心より祈念するものである。


匿名の理由が少し分かった

ある人から忠告された。
ブログには個人情報は絶対に載せてはいけないとのこと。
今、削除中だが、削除の仕方がわからない!!

今日の無断引用自分の名前を入れて検索する」(守一雄より)

 Googleに「自分の名前を入れて検索してみる」ことを「見栄の検索(vanity
search)」と呼ぶそうで、有名な世論調査によると利用者の4割がやっていると
いう(『ザ・サーチ』p.46の「検索の40%は見栄の検索」というのは誤訳であ
る)。「Vanity」という言葉には「空虚な」「無意味な」という意味もあり、
「知らないことについて調べる」という検索の本来の意味から考えると、誰より
もよく知っているはずの自分自身について検索するのは確かに「無意味」なこと
のように思える。
 しかし、実はそうではない。「見栄の検索」には少なくとも2つの意味があ
る。一つ目は、自分ではわからない「客観的自己」がわかることである。「自分
が他人からはどう見られているのか」がわかる。これは今のようなガラスででき
た鏡がなかった大昔に、初めて鏡が発明されたことに匹敵する大発明だと思う。
 「見栄の検索」の2つ目の意味は、これを通して有名度が測定できることだろ
う。(毎月1日発行 発行責任者 守 一雄(kazmori@gipnc.shinshu-u.ac.jp)
      http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/dohc/dohchp-j.html)

ガス栓があいたまま3時間!!

どうしてそういうことになったのか
思い出せない。朝、フライパンの水を
とるためにそのガスをつけたのはおぼえているが、
消し忘れは思い出せない。自然に火が消えたのも
げせない。

それにしても、これでもガス漏れしない
安全策が施されていることを知り、安心した。
元栓をあけたままでも安全らしいのでそのようにしているが、
用心のため、これからは、元栓も閉めるようにしよう。

高齢世帯の3つの危険。「火事。空き巣。転倒」

ウオーキング・シューズを買った

ウオーキングがてら店の多いところもまでいってみた。
スポーツ店があってので寄ってみた。
聞いてみると、ウオーキング・シューズがあるという。
すすめられるままに5千円で買ってみた。
それが、足にぴったり、しかも、軽い。
それでうれしくなり、連休2日、
ほぼ1万キロ走破をしてみた。
(万歩計をつけ忘れた!!)
3日目、腰が痛くなり、ウオーキングは中止。
しかし、これなら、また続けられそう。
これまでのシューズは、日曜市で2千円で
買ったしろもの。
スポーツには道具が大切。
そういえば、テニスのラケットも古くなった。
年相応のものに買い換えが必要かも。

TV通販はつい買ってしまう!過剰情報下での購買意思

細かい字が見にくくなってきた。それをねらうかのように、
拡大商品のTV通販。ただちに申し込む。
製品がきてがっかり。子どもだましの製品。これで
2度目。たぶん、今回のものも、あと1週間もすれば
廃棄物箱ではないか。

買わせるための映像の仕掛けがあまりに
よく出来すぎている。
あるチャンネルでは、四六時中、ジュースの
CMをストりー仕立てでやっている。飲むと
いかに健康に良いかを様々な職業の人々
に語らせるもの。知らないと、
本当に自分も試してみようかという気になる。

かしこい消費者になるための情報武装が必要。

「参考」
05/1/25海保

---過剰情報下での購買意思決定に絞って

      筑波大学大学院教授 海保博之



●過剰情報下とは

 ・探せば関連情報がいくらでも出てくるような状況

 ・多彩な情報メディアが多彩な情報を提供してくれる状況

    **サイバー空間の出現が、こうした状況を作り出している



●過剰情報下での購買意思決定の特徴 

 ・判断保留(モラトリアム)が発生しやすい

    **切迫購買、必須購買でもないから急ぐ必要はない

    **まだまだ決定的な情報があるかも

    **もしかすると、知らないで損をしてしまうかも

 ・意思決定の丸投げが起こりやすい

    **誰かが買っている  有名人が、友人が

 ・情報探索が自己目的化しやすい

    **サイバー空間でのウインドウ・ショッピング



●過剰情報下での購買意思決定の支援

 ・情報管理の自己コントロール感の提供

    **アクティブ・ユーザは、過剰さや迷いを感じない

    **余計なおっせかいをしない

 ・理解を助ける情報環境の提供

    **知りたいときに知りたい情報を

    **サイバー空間で迷子にさせない

    **既存の購買空間を作り込む

*************


2586中240位にまで上がってきた。

2586中240位にまで上がってきた。
一日47人のアクセス
こうなるとトップを目ざしたくなる
総合では、まだ1万くらいの順位。
ひさしぶりに、運動会での競争の楽しみを感じている

HPの内容を順次、こちらのほうに移動させている
HPを見ていただいていた方には、内容が重複する
ことがある。ご勘弁を。

「雑事」の熟達者を育てる;大学運営の効率化に向けて

HPよりの転載
@@@@@@@筑波フォーラム 掲載  1999年
「雑事」の熟達者を育てる
----大学運営の効率化のために
 
筑波大学心理学系教授 海保博之

●大学教官の仕事の多彩さ
 大学教官には、研究者としての仕事と教育者としての仕事に加えて、研究と教育にまつわるさまざまな「雑事」がある。研究管理業務はさておき、教育関連の業務、たとえば、入試業務、カリキュラム編成業務、学生指導業務などなど。こうした業務のほとんどが、多くの教官にとって、実は「雑事」感覚で行なわれている。
 ・本業は、研究と教育。更に、言う  なら、研究が本務
 ・できれば、やりたくない
 ・やるとしても、できるだけコスト  をかけたくない
 こんな「雑事」感覚で行なう仕事の質がどんなものになるかは、言うまでもない。仕事の質だけではない。やっている本人の精神状態もはなはだよろしくない。「アーアー。今日も一日無駄に過ごしてしまった」という気持ちの持続が何をもたらすか。想像するのも怖いくらいである。

●教官にとって雑事でも大学運営にと っては重要
 しかし、よくよく考えてみると---当時者の外から見れば、考えるまでもなく至極当然のことだと思うが---、「雑事」感覚で行なうこれらの業務は、大学運営にとっては、少なくとも短期的には、重要業務である。
 目の前で困っている学生がいたらなんとかしなければならない。入試問題を作り採点しなければ学生がこない。カリキュラムを作らなければ授業は成り立たない。
 これらを「雑事」感覚でやられては学生も大学も、そしてやっている本人も救われない。しかし、多くの大学教官にとっては、「雑事」感覚での仕事なのである。「そんなことはない」と異義を唱える教官がどれくらいいるか、実は知りたいところであるが。
 これでは、大学の管理運営の質は高まりようがない。管理職一人がむなしくがんばり、有能な事務官もまた教官の業務遂行能力を小馬鹿にしながら仕方なく自分達が仕事を抱え込むような図式が出来上がってしまう。
 この図式を変えることが、草の根から大学を変えることになると思う。

●「ローテーションだからしかたない」
 が問題
 誰もがやりたくない仕事を何とかやってもらうには、1、2年のローテーション方式が一番。「順番だから引き受けて欲しい」というものである。これを断るのはかなり勇気がいる。かくして、大学の「雑事」は、誰もがちょっとの間だけ我慢してやる仕事の一つとなる。
 たとえば、誰もがその大事さも大変さも知っている業務の一つに入試がある。問題作成から採点、種々の段取りなどなど、慣れない仕事に振り回されることになる。かくして、「1年のローテーションで順番で」となる。いつも忘れた頃に昔やった仕事が回ってくることになる。
 もっと上のレベルでは、管理職を誰がやるかさえも、なんらかのローテーション方式を取っているところが圧倒的に多い。筑波大学だけではなく、日本全国で状況は似たりよったりのようである。学会などで「順番でしかたなく***をやらされていて”仕事”(研究のことを指す!!)が出来ない」と微妙な(?)顔つきをして嘆く友人が、年代のせいであろうが、非常に多い。一般の社会で、「こんど課長にさせられて仕事ができない」などと言う人はいない。
 
●ローテーション方式から熟達者によ る管理方式へ
 そこで、提案は、大学の管理運営業務を、熟達者が行なう方式に転換すべしということである。
 事務組織、さらに、各教官の秘書機能をもっと充実させることも絶対に必要ではあるが、それでも、教育研究の現場を一番良く知っている教官がしなければならない仕事は、どうしても残る。その部分に限って、それをこなすことに熟達した教官を育てるような方式にしないと、大学の管理運営の質は高まらない。進学率50%の時代、大学の管理運営の重要性は、今後、高まりこそすれ低まることはない。
 そこで具体的な提案は、ローテーション方式をやめて、それぞれの教官の好みや得手不得手に応じた業務をせめて3年、出来れば5年くらいは持続的にやってもらうようにする。場合によっては、特権化したり、マンネリ化したりしないようななんらかの歯止めをして、もっと長期間やってもらってもよいと思う。
 ローテーション方式と組み合わせても良いが、1、2年で変わるような方式は絶対に止める。
 同じ事を3年もやればそれに熟達する。コスト・パフォーマンスも高まる。余裕を持って仕事が出来るし、それなりの使命感も沸いてくる。余裕と使命感が業務の質を変える方に振り向けられることが期待できる。
 さらに、ある業務分野に熟達化した教官が増えれば、情報とノウハウも組織の中に蓄積される。いつも素人論議で会議を浪費することもなくなるし、情報を求めてあちこち動き回らなくとも済む。 

●熟達化を支えるインフラ作り
 この提言を実現するためのインフラ作りは、てっとり早いのは、それぞれの組織で、「そうしよう」と決めるだけでよい。なんの規則改正も不要である。
 もう少し制度的なインフラ整備としては、採用昇進人事である。
 大学での採用昇進の審査では、圧倒的に研究業績重視である。教育業績や管理運営への貢献は、刺身のつまのごときものである。「この教官は、この分野の”業務”のエキスパートである」という評価も、積極的に---研究業績の不足を補う形で---採用昇進に使うようにすれば、強力な誘因にもなる。 こうしたインフラ整備によって、大学教官が、自分はどの業務分野で「もう一つの」専門を持とうかと考えるようになるはずである。そうなれば、大学の管理運営の質の底辺を高めることになる。
(かいほひろゆき 認知心理学専攻)
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7日は、47人がアクセスしてくれた。日ごとの人数がわかるのは
楽しみである。
HPでは、一日100人のアクセスがあった。
それをこちらに誘導すれば、一気に倍になる。
その誘導の仕方がわからない。

ニュース報道に情動喚起は無用

犯罪被害者についての近隣の人々のコメントやひどいときは
葬式まで報道されるのが、最近の定番になっているようだ。
しかし、ニュース報道はもっと事実だけをきちんと
報道することに徹するべきではないか。
悲しみ、同情は当事者だけが静かに占有すべきことで
見ず知らずのものにとっては、一時のなぐさめ
でしかない。へたをすると、その犯罪の本質隠し
にもなりかねない。

最近のニュース放送のリテラシーのごとくなっているだけに
また、被害者名は警察が公表することに異議をとなえる声が
マスコミにあるだけに、こうした報道リテラシーを点検して
ほしい。