こんにちは。
『Natural Healing 陽&月』のKAORIです☺
さあ、昨日から突如連載のように始まった
私の盲腸のお話の続きです。
当時の私には、いろんな気づきがあった出来事なので
ちょうど10年経つ今、当時のことを振り返ろうと思います☺
~あらすじ~
10年前、21歳だった私は
原因不明の腹痛に悩まされていた。
痛みがあまりにひどくなり、大学病院を紹介され
CTをとってみるとひどい虫垂炎だったと発覚。
即入院、翌日手術と言い渡されたのだった。
では、続きにまいります~☺
病室は急遽の入院だったこともあり
どこも空きがなく、ひとり部屋になった。
看護師さんはやさしく、部屋を整えながら
「虫垂炎、こんなになるまで我慢していたなんて
本当に痛かったでしょ」と話しかけてくれた。
そうなの! 本当に痛かったの!と思ったけど
まだ体調が悪く、嘔吐が続いていたので
頷くくらいしかできなかった。
でも、やっと理解してもらえたのが嬉しくて
ちょっとだけ泣いた。
・
翌日に手術が決まった私の部屋には
次々とお医者様が入れ代わり立ち代わりやってきた。
一番記憶に残っているのは、麻酔科の先生。
先生は男女一人ずつやってきて、紙を一枚差し出した。
それは、手術の同意書だった。
事前に手術を担当する先生に
私の盲腸は位置が真ん中に移動していること
そして症状がかなりひどい状態であることから
通常の虫垂炎の手術よりも大きく開腹するので
部分麻酔でなく、全身麻酔にすると伝えられていた。
麻酔科の先生は、その全身麻酔の説明に来たのだ。
「チクッと注射をしたら、もう眠っている感覚になります。
術後、このくらいの時間で目覚めると思いますが
一応こんなリスクもあるので、署名をいただきます」と
もう10年前のことなので、はっきり覚えていないが
21歳と若かったからか、不安をなくすように
かなりしっかりと説明してくれた。
けれど、とても冷静だった。
痛み止めが効き、朦朧としていた頭が冴え始めたからか
全身麻酔の説明を、すらすらと話す先生の姿を見て
「ああ、この人たちは日常的にこの説明をしてるんだな」
と、感心していたのである。
「私は(当時)毎日店頭に並ぶ服をおすすめして
販売しているけれど、この人たちは毎日
命の話をしているんだな」って
「私ときっと十数年しか歳が変わらないのに
本当にすごいな」って、尊敬していたのだ。
私の手術の同意書を前に。
・
そして、説明を聞き終わると
私はあっさり署名をしたわけだけど
一番不安になっていたのは両親のようだった。
先生からリスクを聞いて、黙っていた両親がひとこと
「大丈夫か?」と私に聞いた気がする。
私はけろっと「どうせやるしかないでしょ」と
強気な感じで返事をした。
だって、痛み止めが効いているから落ち着いているけど
信じられないくらい、ほんっっっとうに痛かったのだ。
あの痛みは、本当に何とたとえていいのか分からない。
そういえば、CTを取っている間
私はどうにかイライラを落ち着けようと
その痛みを例えるなら何か、ずっと考えていた。
私は出産をしたことがないけど
これは出産と同等、いやそれ以上なんじゃないか。
鼻からスイカというけど
これはもはや鼻からダンプカーなんじゃないか。
もはや、いっそ今車で弾き飛ばされた方が
まだ痛さがマシなんじゃないか。
そんな物騒なことまで考えるほど、痛かったのである。
「この痛さを抱えながら生きられない」と思ったので
私は全身麻酔をするのに、迷いはなかった。
不安そうな顔のまま、両親は翌日に備えて家に帰った。
母は病院の帰り、あんなに怒っていたのに
嘘だったかのようにしょんぼりしていた。
私は慌ただしく過ぎた一日に呆然としながらも
職場のみんなに状況説明のラインをすると
疲れのせいか、痛め止めのせいか
意識をうしなう様にスッと眠りに落ちた。
~つづく~
ちょっと短くなりました☺
やっぱり10年前なので、記憶は薄くなっていますが
あの数日間は私の中で強烈な記憶になっているんだなと
書きながら強く実感しました☺
まだ回顧録ですが、これから面白いことや
その時に感じたことも綴ろうと思いますので
気になったら息抜きに読みにいらしてください♪
・
それでは、今日もみなさんに
たくさんのハッピーが届きますように♡
KAORI☺
✩陽&月・公式HP✩