こんにちは。
『Natural Healing 陽&月』のKAORIです☺
お仕事のトラブルも一件落着し
私も新年度にあやかって「今日からまた
心機一転頑張ろう」と思い、朝食を終えたころ
突然の気持ち悪さ、胃の不快感
お腹の張るような感覚に襲われた。
なんか身に覚えのある、この感じ。
ああ、ライター時代に全然書けなくて
徹夜するために深夜ブラックコーヒーを
がぶ飲みしていたら、胃を荒らしたんだった。
姉に「体調が悪い」と症状を伝えると
「昨日の私と一緒だ」と笑った。
どうやら、姉が回復した途端
今度は私がダウンしたようだ☺
*
なかなか体調が戻らず
布団に包まりながら、アレコレ考えてしまう。
一昨日作ったルーローハンに、調子に乗って
ウーシャンフェン(五香紛)入れすぎたせいかな、とか。
ああ、今日やろうとしていたこと全然できないな、とか。
早く体調戻らないかな、早く戻ってよ、とか。
そういえば、最近いろんなことがありすぎて
誰かと比較したり、先のことを考えて焦ったり
これまでのことを振り返って落ち込んだり
そんな事ばかりしてた。
きっと一番の原因は、そこなんだと思う。
気づけば外は雨が降り出して、寒くはないけど
窓から見えるのは真っ白な、少し寂しい空。
また落ち込みモードに入ろうとする私に
「とりあえず仕事とか考えず、頭空っぽにして寝な」
と姉は言った。
素直にその言葉を聴き
私は携帯の電源を切って、また布団にもぐった。
*
それからしばらく。
体調は悪いままだったけど、一向に眠れそうにないので
先日のファンクラブイベントで購入した、本を読むことにした。
坂本真綾さんの『満腹論~明日にかぶりつけ~』である。
発売されてすぐ欲しかったものの
特典が欲しくて3月31日のイベントまで我慢していた。
開くと、中身は前回の『満腹論』とまったく同じ
見開きでちょうどひとつのエッセイを読み切れるスタイル。
内容はまるっと一新されているのに
実際に本を開いて、当時と同じスタイルを見たら
なんだか無性に懐かしくなって
前回の満腹論が書籍化された、約10年前を思い出していた。
10年前、当時私は21歳だった。
とはいえ、あと数か月で22歳になる、5月の頃。
私は急遽、盲腸で入院した。
思えば入院する数週間前から、異変はあった。
でも痛かったのはお腹のちょうど真ん中らへんで
盲腸とは考えられない、きっと胃を悪くしたんだろうと
市販の胃薬を飲んでしのいでいたのだ。
でも、胃薬を飲んでも一向に治らない。
いよいよ辛くて、店頭に立つのがつらいなぁと思っていると
同僚に「そんなにつらいなら早退すれば? 明日も仕事
なんだから、病院にかかって休めば楽になるでしょ」
と言われた。
正直、そのアドバイスを聞いて、すごく驚いた。
前職が「体調が悪くても、這ってでも出勤するように」
といった、精神的にハードな仕事だったので、早退なんて
もってのほか、絶対しちゃいけないと思いこんでいたのだ。
でも確かに、早めに病院に行って安心したいし
薬貰えば、明日の仕事は楽になるはず。
ダメ元で、おそるおそる店長に相談してみると
いい顔はされなかったけれど、案外あっさり帰してくれた。
・
それから駅まで連絡していた
両親が迎えに来て、そのまま病院へ。
ギリギリ午前診療に間に合ったものの
診断結果は「胃腸の調子が悪いんでしょう」というもの。
「え、こんなに痛いのに、そんなあっさりしたものなの!?」
と思うけど、先生にそう言われたなら信じるしかない。
でも、処方されたマグネシウムをもらって
すぐに服用しても、全然体調はよくならなかった。
「どうしたらいいんだ、明日も仕事なのに」と焦りつつ
布団に丸まって、どんどん痛くなるお腹と戦って
ひたすら「痛い、痛い」と呟いていると
母親が、そんなしみったれた私の姿を見て
「そんなに痛いんじゃ、なんで病院で伝えなかったの!」
と怒り出した。
言ったさ! 言ったけど伝わらなかったんじゃん!
じゃあ、床にのたうち回って「痛い痛い」叫べばよかったの?!
と言い返したいけど、お腹が痛すぎてうまく言い返せない。
そんなこんなしていると、急に吐き気がやってきて
とうとう嘔吐が始まった。
あまりに痛がり、衰弱していく私の姿に
さすがに「これはおかしい」と察知した両親は
午後から休診となっていた先ほどの病院に連絡し
無理を言って、もう一度診察してもらえることになった。
・
その頃にはあまりの腹痛で歩くこともままならず
ふらふら支えられて入室した私を見て
症状の変わりように、先生も驚いたようだった。
慌てて腹部のエコーをとるも、異常は分からない。
「何も異常は見られないんですけどねぇ」
そんなわけあるかい! こんなに痛いんじゃい!
とは思えど、もう反論する気力、体力もなかった。
でも、急激に症状が悪化したこと
そして私があまりに痛がっている様子から
「異常はないと思うけど、ここまで痛がっているんじゃ
大きい病院に行った方がいい」と、救急で
大学病院を紹介してもらえることになった。
・
大学病院に着いた頃には支えられて歩くことさえできず
痛さで朦朧とする中、車いすで押してもらって移動した。
あの時、ぐったりとした私を見て
青い顔をしながら、走って車いすを取りに行った
父の顔は今後も忘れないと思う☺
とはいえ救急で到着しても
当初、あまり深刻な雰囲気はなかった。
大学病院の先生も呑気なもので
「たぶん、大丈夫だとは思いますが
本人の痛みの訴えがひどいので、一応CTを取りましょうね。
多分、今日中には帰れると思いますよ」とのこと。
それならよかったよ。
でもとにかく痛いんだ、とりあえず早くしてくれ!
と、割と温厚な私が「早くしてください!」と
イライラするほどの痛み。
(あの時の私、ひどい態度だったらすみません!)
人生はじめてのCTは、そんなこんなで
和やかな雰囲気の中、私の焦りと怒りだけが場違いだった☺
・
しかし、CTが終わったと思ったら
先ほどまでの雰囲気が一転した。
「こりゃひどい、手術だ」と慌ただしくなり
お医者様は顔色が変わっていた。
どうやら、私の盲腸はお腹の中心に移動していたため
CTをとるまで誰も盲腸だと分からなかったらしい。
そして、破裂するギリギリの、かなり際どいところだった。
いろんな人に「異常はないけど、本人があまりに痛がるので」
と言われ続けた私は「ほれみろ!痛みは嘘じゃなかったろ」
と、やっと真実が伝わって安心した。
「でもとりあえず、痛すぎるから痛み止め!」
とにかくこの痛みから抜け出させて欲しかった。
・
「今日中に帰れる」と思っていたのに
「即入院」むしろ「手術」とまで言われて
混乱したものの、痛みで朦朧として頭は回らない。
痛み止めを打たれ、やっと痛みがやら和らいでくると
「本当は今日中に手術したほうがいいんだけど
あいにく今日は空きがなくて、明日の朝一で手術になります」
と伝えられ、なんとなく事の重大さだけ伝わった。
しかも私は炎症がひどく、全身麻酔になるという。
今冷静に考えればものすごく怖いけど
焦る両親をよそに、そのときの私は
「もうこの痛みが治るならなんだっていい」と
半ば投げやりなくらい肝が据わっていた。
そんなこんなで、早退から数時間で
とんでもないことになっていたのである☺
~つづく~
急に私の盲腸の記録になってしまいました☺
いつか書きたいと思っていた話なので
連載のように、そのまま書かせていただきます❀
ぜひ、気軽に読んでくださるとうれしいです~☺
ちなみに今の体調は
ブログを書きながらだいぶ落ち着きました!
しばらく、お話にお付き合いください❀
それでは、今日もみなさまに
しあわせが届きますように☺
KAORI☺