誰のでもない、私だけの人生論。 | Natural Healing 陽&月

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『陰と陽』どちらの私もやさしく抱きしめて、明日はもっと愛せるように

Natural Healing 陽&月(ひづき)は
自然や植物、香りから心と身体を癒していくサロンです

こんにちは。

『Natural Healing 陽&月』のKAORIです☺

 

 

 

 

今日はまた、朝から少しだけ凹みました☺

 

 

それは、また周りと自分を比べてしまったから。

 

私の大切な気持ちは、その人にとって

そこまで大切なものじゃなかったんだと

気づいてしまったから。

 

長く会っていない友人が

私の叶えられなかった夢を叶えていたから。

 

小さな失恋をしたから。

 

 

どれも、小さなもの。

なんてことないもの。

 

美味しいものを食べて、寝れば

忘れちゃうくらいの引っかき傷。

 

でも、それが一度に重なったら

ちょっとだけ泣きたくなった。

 

 

 

 

裏を返せば、それはどれも「誰かの幸せ」。

 

なのに、どうして私は素直に喜べないんだろう

なんで人の幸せを不幸の材料にしちゃうんだろうと

いたたまれなくなって、慌ててノートを開いた。

 

 

私のノートは、こういう時の大切な相談相手だ。

 

大人になって、親友にも話せない悩みや

誰にも見せたくない、自分の情けないところを

全部ぜんぶ受け止めてくれる。

 

 

私はいつものようにペンをとり

支離滅裂な、うまく言葉にできない感情を吐き出した。

 

心に溜めておくと、濁ってヘドロのように溜まる

気持ち悪い感情を、そこに吐き出した。

 

 

「私も愛されたかった」

「同じように見て欲しかった」

「同じものを返して欲しかった」

 

 

恥ずかしい、自分よがりな言葉の数々は

読み返してみれば、それは他人に向けて言っているようで

全て私自身に宛てた言葉だと気づいた。

 

 

 

 

小さいことからずっと

みんなに好かれる人たちが羨ましかったんだ。

 

 

私は心に作った壁をなかなか壊せなくて

人と一線を引いて生きてきたし

 

大切な人が離れていく悲しさを知ってから

どうしても警戒心が強くなって

誰にも心を踏み込ませないようにしていた。

 

誰にも心の内側を見せないようにしてた。

 

 

でも、私の周りには

誰からも愛される人たちがいっぱいいて

羨ましかった、私もそうなりたかった。

 

だから、なってみようとした。

 

でも、全然うまくいかないし

どんどん「自分」はどこかへ行ってしまった。

 

結局、どんどん「自分」が嫌いになった。

 

 

そうしていろんな紆余曲折があって

誰かを真似するのをやめて、少しずつ

「今の私」になったわけなんだけど☺

 

 

 

 

 

たまに、私を引き戻そうと

いろんな現実が心をかき乱す。

 

「お前はそれで愛されるのか?」

「お前の生き方は間違っているんじゃないか?」

「その証拠に、お前は何も持っていないだろう」

 

呼んでもないのに、どこからか現れる声が

私を揺さぶってくる。

 

そうしていつも、あの一言を待っている。

 

「やっぱり私はダメだ」

 

でも、ノートがそんな声をも吸い取ってくれた。

 

 

そして、大切なことを教えてくれた。

書きながら、気づかせてくれたのである。

 

私はたくさんの人に愛されたいわけでも

誰かから愛されて、心を埋めたいわけでもない。

私は私に愛されたい、ということ。

 

 

 

 

振り返ればずっと

私は「誰かに愛されたい」と思って

それを基準に生きてきた気がする。

 

 

だから、私の毎日は日々大嵐である。

 

誰かにきついことを言われれば

「生きている価値ない」って落ち込む。

 

気持ちが返ってこなければ

「やっぱり私は愛されてない」と

「愛されない」証拠探しをする。

 

自分の心に舵がないから、外に振り回されて

あっちへ行ったりこっちへ行ったり

危ない航海をし続けていた。

 

だからそれなりに傷つくことには強くなったけど

そんな船に乗っているんだもの、心はふらふら疲れていた。

 

 

 

 

本当の自分を受け入れていくのは

本当は少し怖かった。

 

周りとはぐれて、孤独を感じた。

周りにちっとも追いつけない自分に凹んだ。

みるみるみんなから置いて行かれる気がした。

 

誇りを保っていた肩書きも手放して

私はますます「誰かから愛されない」と思った。

 

でも、肩書なんてそんなもの

私にとっては「誰かから愛されるツール」で

別に「自分を愛するためのもの」ではない。

そう思ったら、別になくていいと思った。

 

私は多くのものを失ったけど

たったひとつ「自分が好きな自分」に向かって

本当に少しずつ、内側が変わっていった。

 

 

だから今日、またノートにたくさん吐き出しながら

 

「もう私ひとりでもいいや、誰にも愛されなくても

私だけは私のことを目いっぱい愛して、生きていけたら

それはそれで幸せな気がする」

 

と、書けたとき、ふっと心と身体の力が抜けた。

 

 

 

誰に愛されたいとか、愛されないとか

振り回されて泣いて嘆いているなら

もう誰からも愛されなくたって、私がたったひとり

私自身を溺愛して、私の幸せを叶えてあげる。

 

そう思ったら、もうそれはそれで幸せだと思ったのだ。

 

 

誰に笑われても、誰にバカにされても、どう思われようと

それは誰かのものさしで、私の幸せは測れない。

 

やっとそこまで、心が納得した時

すごく、安心した。

心が軽くなった。

 

また自分を許せた気がしたんだ。

 

 

 

小さい頃、思い描いていた自分じゃないかもしれないけど

うまく生きれない私も、これはこれで愛おしい。

 

人から見たら、滑稽に見えるくらいでいい。

 

 

 

 

人生は、どんどん心に積み重ねたアレコレを

許して手放していくことな気がしてる。

 

語りたがる私は、20代の頃から

やたらと「人生について」を話すのが好きだったけど

あの頃の私は何も分かっていなかったと、今振り返れば思う。

 

 

そういえば昔、店長をしていた時、退職する子に

「周りにどう見られようと

あなたの好きなように生きればいい

あなたはあなたの幸せを生きなね」

って言ったっけ。

 

いっちょまえなことを言っておきながら

私自身が一番できていなかったのである。反省。

 

 

きっと、今も人生のことなんて全然分かってない。

これからも、分からないのかもしれない。

 

 

でも、いいのだ。

人生論なんて、統一されるものじゃない。

 

みんな全然違うから、覗いてみると

どれもおもしろくて、魅力的なんだ。

 

だから、真似しても意味がない。

 

自己満足でいい、自分らしい人生論を

一冊の本を、一生をかけて作るように

ペンを持って、「今」書こうとしている物語を

精一杯大事に生きていこう。

 

 

 

 

と、今日はそんな自己満足ブログでした☺

 

 

KAORI☺

 

 

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