天国と地獄 | なんのこっちゃホイ!

なんのこっちゃホイ!

世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

人間は死んだら、行いの良かった者は天国へ行く。そこは終始穏やかな場所で、雨もなければ日照りもなく、ゆったりと、のんびりと暮らせるそうだ。一方、罪を重ねた者は地獄へ行く。そこはグツグツと湯だったでっかい釜があり、そこへ逆さ吊りにされて、つけたり上げたりされて、苦痛を味わう。また、川原の石を意味もなく積んだり崩したりを繰り返すが、精神を蝕まれることなく、生涯(死んでるのに?)苦しみ続ける。その他、考えられるだけの苦痛が用意された場所で、そこから逃れるすべはない。いくら過去を悔いても、これからの生涯(死んでるのに?)、他人のためにつくしますと、反省と後悔を示しても、もはや逃れる術はない。

天国と地獄を決めるのは「閻魔大王」という裁判官みたいなのがいて、これが次々と訪れる死者を、「君、天国ね!おめでとう!」といったり、「おめぇは地獄じゃ!」と残酷に判決を言い渡す。しかも、買収は不可能と言われている。なのになぜか、棺桶にお金を入れる習慣がある。「三途の川の渡し賃」とか言っていた。つまり、川があるのであろう。死んでまで、川を渡るのにお金がいるんかと、幼心に思ったものだ。

僕は、死後の世界を信じない。そもそも魂などという存在はないのであるから、死んだら終わりだ。焼かれて骨になって、狭い、冷たい、湿気に満ちた場所に、ツボに入れられて片付けられるのだ。それで終わりだ。

 

だから天国とか地獄とかは、死んだ人の周りの人の中にあるんだろうと最近思う。死んだあと、「あ〜あの人はいい人だったなぁ。お世話になったなぁ」と思う人の心の中に天国があって、そこに行いの良かった人の記憶は残る。逆の人は「あんなやつ、死んでよかった」とか「せぇーせぇーした」という地獄の気持ちに残る。

そんなものだ。だから死んだ自分にとっては、もはやどうでもよいことだ。だが、誰かの記憶に残るなら、地獄より天国がいい。