教師は労働者か~中教審特別部会に思う | なんのこっちゃホイ!

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世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

ず〜〜っと胸に刺さっていることがある。

大学の後輩達との飲み会で聞いた言葉。

「先輩の年収は、そんなにあったんですか?僕らはその半分なんですよ!ひどいと思いませんか?」

僕らが大学を卒業する時には、すでに公務員の給与待遇が民間より低いことは知られていた。

そのかわり「親方日の丸」で、倒産もしないし、解雇もされない。安定した職業ということになっていた。だから、それを承知で公務員になったんだから、今になって民間の給与と比較され苦情を言われても答えようがない。「分かって教師になんったんでしょ?」としか言いようがない。金が欲しければそっちではなく、民間の経済という戦場で戦う道に進むべきだった。

しかし僕がひっかかったのはそこではない。給料が高い、安いの議論でもない。

公務員、ことさら教員の仕事内容は、果たして対価に見合っているのだろうか、という疑問である。

 

中教審報告のニュースを聞いて驚いた。

教員は残業代は支払われず、一律給与の4%を見なし残業代として上乗せされる制度(給特法)で運用されていて、今回それを10%にすることで、教員の処遇改善、ひいては若い教員のモティベーションを高めるとのこと。

え?処遇改善というのは、6%の手当をアップすることで改善されるものなのか?

 

疑問に思ったらすぐ調べる。

そもそも戦後の日本に「労働基準法」が定められたのは、1947年のことらしい。週の労働時間は40時間まで、1日の労働時間は8時間までと定められ、残業や休日出勤、時間外労働については「36協定」を労働者側と会社側が締結せねばならない。

ところが、公務員は部署や職務によって、拘束時間が一般企業とはことなるため、公務員の制度改革が行われた。結果、1971年に給特法が成立し、現在でもそのやり方がまかり通っている。

なぜ教員を労基法から除外したかというと、教員の職務は、自主的、創造的、自立的であることから、労働時間を管理すべき管理職者が、その実態を把握しきれないという理由らしい。例えば、夏休み等の長期休暇中は、概ねセミナーや研修に参加することになるが、その時間はどう監督するのか。命令実行によるものではなく、教師が自主的に参加しているセミナーをどう管理するのか。家庭訪問や修学旅行、遠足等の校外行事において、勤務時間の制限を設けるのは適当ではない等々。

つまり、学校の雇用主側と従業員である教員との「36協定」に基づいた、命令実行を原則とする時間外労働管理ができません。教師が自分達で勝手に決めてやってますんで、管理できませんということか?それでも管理職はいて、管理職手当をもらっているのか?

 

公務員の多くは「エッセンシャルワーカー」と呼ばれ、社会の仕組みを形作る欠くことのできない機能を果たしている。例えば、警察官、消防士、救急隊員等から、ゴミの収集員まで、その人達がいないと、社会の機能が損なわれると思われる職務である。僕は教師もそうだろうと思っている。

エッセンシャルワーカー(公務員)には、スト権がない。そらそうだ。警察官がストなんかやったら、泥棒や犯罪者が大喜びするだろう。消防士がストしたら、誰が火を消すのか。

しかし、それと教師は少しニュアンスが違う気がするのだ。

 

僕は教師でもないし、学校に勤務したこともないから、あくまで外から見ている立場でものを言うが、教師を一般的な企業と同様な勤務体系、勤務時間管理をしても、不都合はないのではないだろうか。

8:00から17:00を就業時間とし、それを超える時間外労働には、その労働に対する対価を支払えば問題なかろう。時間外労働については管理者へ報告し、上長の命令で行う。監理者が「その内容は時間外で行うには不適切。明日でもいい」と判断したら、時間外労働を命じない。

ところが、実は学校の先生というのは、本来の授業以外の仕事が一杯あるらしい。放課後のクラブ活動しかり、夏休みの勤務しかり。運動会や文化祭、遠足や修学旅行。定時では収まらない仕事がたくさんたくさん。でもまてよ。企業だって、国内出張もあれば海外出張もあるし、時差やフライト時間の関係で、定時勤務とはいいがたい。しかし出張手当や実費の負担、日当等が支給されている。

多分、手当は先生達にも支給されているのではないかなぁ?運動会や文化祭は週末や祝日に行われることが多いが、その分、代休で学校が休みになっていたと記憶している。先生も休めばいい。

夏休みも、「在宅勤務」扱いでリモートにすればいいし、なんなら学校に来て仕事すればいい。生徒が休みだから先生も来なくていいというのは少し変。リモート勤務なんて今の企業では当たり前の働き方であるから、それを教師に当てはめることは、それほど難しくないだろう。

 

ここで立ち塞がるのが「そうは言っても教師には」という、学校、教師双方の言い分。

そう、教師の職務の定義が極めて曖昧で広範囲にわたっていることが、問題を複雑にしているのかもしれない。教師の能力や実績をどのように定めるのか。クラスの偏差値を上げることができれば、高評価が得られるのか。入試の合格者の数を目標として設定し、達成度を評価するのか。

「学校」という存在の定義を、今こそ再定義せねば、教師の処遇問題は解決しない。10%もらったって、こんなクソ忙しくて、ガキは生意気で、親はモンスターで、その上、教頭含めて人間関係が複雑で面倒。ガキの家庭環境にまで配慮し、3者面談などで好きなことを一方的に言われて、ストレスは全部教師の側に押しつけられる。ちょっと手を上げようものなら、ハイエナのようなマスコミがよってたかって、ボコボコに攻撃する。そんな職場に、誰が務めたいのか。やってもやらなくても、頑張っても評価されず、前年の民間給与の上昇下降を参考に、年次昇級だけで給与が上がり下がりする。どうしてそんな職業に就きたいのか、僕の理解を超えている。

 

それでも「未来の日本を支える人材育成」であったり「ちゃんと自立した大人になるための知識と教養」を養ったり、なにより子供が好きってな人もいて、高い使命感に燃えて今日も戦う教師もいる。

 

「でもしか教師」なんてのも僕らが卒業するときには話題になっていたが、いまでは一般企業を定年退職した人が、レベル2とかいう教師の支援を行う職に就いているそうな。ところが、英語教育の低年齢化と、「喋れない英語は意味がない」とかでネイティブの外国人(中には怪しいのもいるし、そもそもネイティブとは何人のことなんだろう)にその職を奪われていると怒っている人もいる。

 

学校は授業を行い、知識を教え、結果として高度な試験に合格して、次の学府へ飛躍することを目標としてはいけないのだろうか?クラブ活動なんか、その専門の人を呼んできて責任もってやってもらえばいいような気もするし、そもそも学校のやる事か?(高校野球がなくなるのはちょっと悲しいが)。

荒れる学校や教室問題、いじめ問題は警察OBにある程度までの調査権と送致できる権限を与えて、プロが見張ればいい。なんで教師が心をすり減らして、そんな問題児のケアーまでしなければならないんだろう。

 

一方で、塾と学校の機能分担はどうするのかという問題。

塾では基本的に受験を前提とした学力を養成している場所だったのに、今では「学校の教えるレベルは、中庸な生徒や、低いレベルの生徒の学力に合わせるので、とても受験に勝てないからそれを補う」という本末転倒な場所でもあるようだ。つまり、学力だけを考えるなら、学校なんか行かずに塾に行ってればいい。不良もこないだろうし、いじめもないだろうし、勉強だけをしにくる生徒達であろうから、学力も上がる。するとこの部分は塾に任せて、学校はそうでない生徒。学習意欲がなかったり、不良と遊ぶ方がずっと楽しい子供達や他人をいじめてストレスを発散したり、優越感に浸る生徒達を矯正する場になるのか?ますます教師のなり手が減るような気がする。

 

学校はやはり、勉学がその第一の目的であって、それ以外は学校外で対処するという、欧米的な割り切りが必要なのかもしれない。欧米はかなり割り切っているので、勉強しない子は退学にされてしまう。義務教育機関であれば、技能習得で手に職をつけるか、高学歴を目指すかにはっきり分かれる。どちらが上ということではない。だから「塾」なんてない。

どうも、日本の学校教育は、少し歪んでしまったのではないかと思う。

霞ヶ関あたりで机にかじりつき、古い経験を頼り、現状に理解を示せず、理解しようともしない、頭の固い爺と、事なかれな官僚が考えることなんて、やっぱり所詮「お手当10%でどうですか?なんとかそれで、納めてもらえませんか?」なんだろうな。日本はここからも崩壊に向かうのか。