原爆開発のリーダー、核物理学者オッペンハイマーのドキュメンタリー映画でした。この映画を語るとき、必ず出る話題が、「世界で唯一の被爆国である日本への配慮から」公開が遅れたとか。広島、長崎の爆弾投下のシーンが描かれていないとか。産経新聞の評論の中には「この映画の試写会で、ポップコーンを食べ、コーラを飲みながら観ている若者がいたのに驚いた」とか。
全く当たってないし。この映画が描きたかったのは、広島や長崎の惨状などではなく、終わりのない核分裂により地球が滅びることはコントロールできても、それを兵器として持ってしまった国のコントロールは開発者ではきかないということだ。それは政治の具となり、他国への牽制、同盟国からの信頼等、開発者の手の離れた所で動き出してしまう危険性について警鐘を鳴らすことではないだろうか。
日本人は、非常に核について自意識が強いし、被害者意識が強い。これは代々語り継がれてきた、あるいは教師を通じて教科書から学んできた核を生理的に嫌う国民性によるものだろう。それを悪いとはいわない。それは持ち続けるべきだとむしろ思う。だが、それでこの映画の本質を見間違えてはいけないと思うのです。
オッペンハイマーは子供の頃から頭のいい少年で、ハーバード大学で化学を学び、飛び級で3年で主席卒業。物理を学びたくて、当時アメリカより研究が進んでいた、イギリスのオックスフォード大学へ留学。実験を伴う化学から理論中心の物理学の世界へと入っていくことになる。彼は実験物理学が発展していたケンブリッジから、理論物理学が発展していたゲッティンゲン大学へ移籍して、博士号を取得した。その後はアメリカに戻り、UCBやカリフォルニア工科大等で教鞭を執りながら、宇宙物理学を研究し、星の終焉で起こる爆縮により、非常に大きな質量で小さな星、つまりブラックホールについての研究発表等を行っていた。
その頃、世界情勢は不安定な様相を呈しており、ナチスドイツが原子爆弾を開発しているという情報を得たアメリカは、ナチスドイツより先に原爆を開発して、ドイツを牽制する必要がある。そこでオッペンハイマーをリーダーとするマンハッタン計画を立案し、ロスアラモス国立研究所の初代所長になり、原爆の開発チームを率いることに。この頃からオッペンハイマーは、科学者としての顔より、むしろ政治家としての顔を出した活動をする。彼のチームでは、ある大きな不安が議論になっていた。ウラン型もプルトニュウム型も、元素に中性子を衝突させ、その分裂するときのエネルギーを利用する。中性子がぶつかると元素は壊れて分裂を始めるが、その時、新たに中性子を2.5個出す。これが別の元素にぶつかり核分裂が連続して起こると、それは制御できなくなり、地球が滅ぶまで、核分裂が繰り返されるのではないかということ。アインシュタインともその話をする。アインシュタインは、そのことより、核自体が持つ政治的なリスクの方が高いと意見を述べる。池の畔で天才二人がほんの立ち話を交わしたあと、立ち去るアインシュタインの表情は、凍り付いていた。
彼のチームはついに原爆の開発に成功し、ニューメキシコで爆破実験を行う。トリニティー実験と呼ぶ。その威力は開発者の想像すら上回るものであり、結果は大成功であった。しかしすでにナチスは終焉の時を迎え、原爆を開発することができないまま、ヒトラーは自殺を遂げた。必要のなくなった原子爆弾は、そのまま葬りさるべきだと彼は主張するが、時の大統領のトルーマンは、日本との戦争を早期に終結させ、かつ被害者が多い、地上戦を避けたがっていた。オッペンハイマーが恐れていたとおり、巨大は爆弾は一度は利用しなければ、国際的なパワーの均衡、つまり抑止にはならないとする政府の方針で、日本への投下が決まる。
オッペンハイマーは、原爆投下の30日後に、その惨状をフィルムで目にする。彼の表情は凍り付き、その顔には恐怖がはりついていた。