自衛隊実弾演習事件 | なんのこっちゃホイ!

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世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

この問題では、演習時の安全管理体制の問題、実弾装弾までの手続きの問題など、ニュースショーやワイドショーで散々騒がれたが、どれも核心ではない気がするのです。

この問題を考える時、最低限理解しなければいけないのは、自衛隊は政治家がなんと言おうと、武器を持ち、装備を持ち、有事の際には敵を殺す、そういう宿命を持ったものだということ。どんな美辞麗句で語ろうが、「戦闘、戦争」が前提にある集団だということ。

だから最大の問題は、「自衛官が自衛官を射った」ということ。これは戦闘・戦争集団は、「味方は自分を攻撃しない」という暗黙の了解の上に成立しているからだ。この了解を堂々と破壊し、味方を射殺した。この事実は、「ひょっとして他にもおかしな奴がいるかもしれない」という疑念を集団に抱かせる。味方の誰かが自分を射つかもしれないという不安と恐怖は想像できますか?
フィリピンの射撃場で拳銃を射ったことがある。お客は横並びに並んで、前の標的を射つ。一人、頭のおかしいのがいて、前ではなく横へ射ったら、それで横の人は死ぬわけね。僕は銃を射った衝撃より、その方が怖かったのを覚えている。

 

次に、彼が味方を射った時、なぜ周囲の味方は彼を射たなかったのか。なぜ3人が倒れるまで、誰も彼を倒さなかったのか。つまり、味方であっても味方を守ってくれる味方がいないということだ。今回は3人だったが、連射や掃射してたらもっと多くの隊員が射たれたかもしれない。なぜ射殺しなかったのか。できなかったのだとしたら、これは大きな問題だ。戦闘集団が戦闘できないということの証である。
むかし「ウォーゲーム」というアメリカの映画を観た。もしソ連が、アメリカに向けて大量の核ミサイルを発射した時、アメリカはそれより多くのミサイルを発射して反撃する。これが抑止力。ところが、演習でやってみたら、命令に反して発射ボタンを押せない兵隊がかなりいた。そこで、発射に人間の判断を入れずに、機械的に全弾発射できるシステムを構築するみたいな内容だった。これと同じ。味方を射ったらそれは敵だ。なぜ敵を射たない?まさか、その場に護衛として武器を持った隊員が、いなかったのではないだろうな?今でも実弾演習は続いているはずだが、まさか今でも武器を持った護衛がいないなんてことは、ないだろうな?

 

ここに書いた内容は、多くの人には、異状な内容に思えるかもしれない。しかし、日本のメディアでは映さないが、ウクライナでは多くの兵士が実際に射たれて死亡し、爆弾やミサイルの破片で切り裂かれて死んでいる。戦闘とはそうしたものだ。もちろん、そういう戦闘=戦争を起こさないことこそが、外交を担う政府の重要な職務だし、首相たる人物の責任だと信じている。「国民の生命と財産を守る」と次々出てくる首相は言うが、関西淡路大震災、東北大震災の時に、戦闘機はなんの役に立った?今度アメリカから買う「トマホーク」は、なんの役に立つ?戦車で原発を津波から守れたか?メルトダウンする前に、装甲車で瓦礫を撤去できたか?そう。これらの装備は国民を災害から守るためのものではないのです。相手を殺して戦闘に勝利するためのものなのです。それを操るのは、自衛官なのです。