チェ・ゲバラ。アルジェンチンに生まれ、医者の免許を取得。南米を渡り歩く生活を送る。軍事政権による弾圧にあえぐキューバ、祖国の未来を思い、政権打倒を目指すカストロ将軍。そんな二人に友情が芽生え、ついに86名の仲間と共に、キューバへ向かう。ジャングルの中で解放軍を組織。兵士は近隣の農夫たち。職もなく、重税を課せられ、収穫のほとんどは税で持っていかれてしまう。教育もなく、文字も読めない。そんな農夫を組織して、革命軍を作る。「読み書きを学べ。そうでなくては、祖国に貢献できない」と、若い兵士達に寸暇を惜しんで読み書きを教え、一方で、政府軍との戦いの戦術を描く。
彼の中にあるものは、単なるクーデターではない。ましてや国土の占領でもない。地域戦にいくつかの勝利を挙げる。征服した村で、兵士達の暴挙は決して許さない。盗み、暴力、レイプ。それらの罪を犯した兵士達を、自らの決定で処刑を行う。そうまでしても、彼が欲しかったものは、「革命」であった。「革命」には民衆の賛同が必要であり、民衆の解放のために戦うのであって、自らの政権樹立のために起こすクーデターとは違う。
国連会議に出席し、キューバの現状と、自分達が目指すキューバの独立をスピーチする。「祖国に自由を!さもなくは死を!」出席した国連加盟国は大きな賞賛の拍手を彼におくる。
ついに1959年1月1日、ハバナを占領、革命政権を樹立した。
この映画はここまで。
しかしその後、キューバは社会主義へ大きく舵を切り、アメリカの喉元に刺さった、大きな魚の骨となる。そもそもバティスタ政権は、アメリカ資本と組んで成立していた軍事政権であった。これを倒したカストロとゲバラ。一旦はアメリカとの交渉も模索したが、プラヤ・ヒロン侵攻事件により、米国との関係修復を断念、一気にソビエトへと接近を明確にした。この辺は、多分続編である「チェ39歳の手紙」で描かれるのかもしれない。
しかし革命政権樹立後にチェはキューバを離れ、再び南米各地へと旅を続ける。
歴史を扱った映画なので、若干カストロやゲバラを美化する視点も多く見られる。余り知られていないが、ゲバラはキューバの使節団を引き連れて日本にきたことがある。当時のマスコミが大きく取り上げなかったこともあり、これを知る日本人は少ないが、結構精力的に日本企業を訪問したという事実もある。
その後、コンゴに渡り革命を指揮するが、兵士達の士気の低さに絶望し、再びキューバへ戻る。そして、ボリビア革命に力を尽くすが、CIAの後ろ盾を得た政府軍の大攻撃にさらされ、1967年10月、ボリビア・アンデスのイゲラ村で、兵士によって射殺された。最後の言葉は「落ち着いて、よく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」