消えていくエネルギー | なんのこっちゃホイ!

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世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

最近、どんどんエネルギーが消えていく気がする。

昨日観た、「神様のパズル」で天才少女が半端なロッカーに叫ぶ言葉。(天才少女は自分を「僕」と呼ぶ)

「僕は、自分で天才だなんて言ったことはない!一体僕は、何のために生まれてきて、何のために生きているんだ!」この言葉が胸に突き刺さった。


もう、年も重ねてかなりになるが、一体僕は、何のために生まれてきて、何のために生きているのだろう。僕が生まれてきたことの意味や、今こうして生きている事の意味は、一体何なのだろう。


人間の寿命には限りがあり、生まれた瞬間から、死ぬ事へ向けての旅を始めるようなものだ。つまり、生まれてから今日までの日々は、ひたすら死ぬ事を目指して生きてきているようなものだ。自分が生まれてきた事、生きてきた事の意味や意義は、どう残せるのだろうか。平凡に生きてきたように思う。特に、これと言って世の中のためになるようなことをしたわけでもないし、別に世の中に悪い事をしてきたわけでもない。だが、死んでいくまでの70数年間というものは、一体なんのための日々なのだろう。


何故、神様は死ぬために人間を作ったのだろう。もし、人間が価値あるものだとすれば、何故死ぬようにプログラムしたのだろう。一部の優秀な人間達は、文明を発展させて、人類の進歩に貢献したのであろう。それは一人の努力ではなく、恐らくは多くの人間が関わっているのだろう。それにしても、これまで生まれて死んでいった人間の数からすれば、極々わずかな数の人間がやったことなのだろう。では、大半の人間は何故生まれてきて、死んでいったのだろう。


一人の人間として、これまで生きたきた日々を考えれば、それなりの意味は見つかるのかもしれないが、所詮は一人としての価値であり、それ以上でも以下でもないのではないか。これから、まもなくやってくる死を目指して、加速度的に旅の速度を上げるのだろう。若い頃より年を重ねてからの方が、一日が早いような気がする。時間が流れる速度が速いような気がする。


ただただ慌しく、思うに任せず、集団の中で生活し、生活の糧を得る。幸福などというのは、一時の感傷で、形に残るものでもない。死して残るのは墓のみであろうが、それすらも時間の流れの中で、置きざられて忘れ去られるものであろう。記念碑には、現実的な意味など、ありはしないのだから。


毎日の生活の中で、どんどんエネルギーが失われていくような気がする。自分を成長させ、価値を上げるために、読書をし、勉強をし、学ぶ。そんなエネルギーも、行き場が無ければ、意味も薄れる。


モティベーションを高める方法を、見つけなければならない。