先日映画を観た、神様のパズル。
どうしても映画では納得できなくて、小説(原本)を買ってみた。
これがなんと、おちゃらけた表紙の文庫本だった。買おうと決めるまで、20分を要した。問題は一つ。果たしてこれは原作なのか、ノベライズなのかだ。
本の帯を見ると、「映画化決定」と書いてある。ということは、これは間違いなく原作だ。しかも、小松左京賞を受賞したSFだという。なるほど、確かに「宇宙を創り出そう」なんて発想はSFに違いない。しかし、映画を先に観てしまった僕としては、本当に信じていいのか・・・・
まぁ、文庫本だし、これからマレーシア・タイへ出張で、小難しい本は欲しくない。そこで、買ってしまった。
全然違うじゃない、映画と!!!
映画とは、全く二つの違った物語である。登場人物の構成も違うし、肝心の主人公も違う。
天才とうたわれた、試験管から生まれた少女という設定は同じだが、映画では「鼻についた」ロックの彼氏も全く登場しない。まじめに、「宇宙は創造できるか」というテーマに取り組む、大学生と天才少女の物語であった。
僕は少し読後に感動した。
なんて素晴らしい小説だろう!哲学的な発想に、それを証明するための物理学、そしてその周囲で展開される、誠に学生らしい青春と、そして社会に入っていかねばならない大学生の生活が描かれていた。
先日、自分のエネルギーが減退している話を書いたら、ある先輩から、「いつまでたっても世話が焼ける」というコメントを頂いた。ありがとうございました。でも、僕が書きたかったことは、そのような刹那的な思いではなく、本当に自分は、何のために生まれて、何のために死ぬのか。そして、自分が生きていた証は、どのように証明されるのかという、極めて単純であり、かつ、誰にも答えはだせないであろう、「疑問」について考えただけだ。
以前にも書いた。セミは、1年以上の時を地中で暮らし、そして晴れて地上に出てきた時には、メスを、オスを求めてなきじゃくり、子孫を残す行為を行うと、2週間で死んでしまう。では、一体セミという生き物は何のためにこの世に存在しているのか。誰も気づかない、誰もしらない。ただ暑い夏のひと時、暑さを増さんがばかりになきまくり、そしていつの間にか、死んでいくのである。一体セミは、何のために存在しているだろうか。何のために発生し、そして進化して、地中での長い暮らしを送る間に、彼らは何を思っているのだろうか。単純に、「季節がきたら地上へ出て、そしてメスを探し、性交し、子孫を残して死ぬ」それだけをDNAに刻まれて発生するんだろう。
では人間はどうだ? 本当に自分の生きていた証を示せる人間が、生きていたという価値を残せる人間が、そして人間のDNAに変化をもたらすような行動を取れる、そんな人間がどれくらいいるのか。自分はどうなのか。
そう考えてみただけである。答えは、あるか?本当にあるか?自分がこの世に存在せねばならなかった必然は本当に証明できるか?ならば、スケールの違いはあっても、セミと何も変らない存在こそが、人間ではないか。
さて、宇宙はどのようにできたのであろうか。この小説を読むと、文科系の僕には理解できないことが一杯ある。でもその原理や考え方は、理科系でなくても理解できるかも。そういう風に描かれている。宇宙を作ろうなんてやつが、世間に一杯いるわけもない。だけども、宇宙は本当は、人間の力でもできるのではないか。ただ、やってみようと思わなかっただけではないか。
宇宙を創るためには、「無」が必要だ。「無」なんてそこらじゅうにあるだろう。毎日の生活の中でも「無」なんて一杯目にしているんではないか。じゃ、「無」とは何か。「無」とはなにから構成されているのか。存在=質量であるとすれば、「無」にも質量があるはず。であれば、「無」を作り出し、そして「彼(神)」が遊んだと同じようなルールを見つければ、人間の手で宇宙は創れるのではないのか。
そのためのエネルギーをどのように調達するのか。シミュレーションのための、メモリーやストレージをどのように確保するのか。確保すべきエネルギー(電力)やメモリーは膨大な量が必要だろう。ビッグバンを発生させるためのエネルギー、それに続くインフレーションを維持するための膨大なエネルギー。地球上のエネルギーを集めたとして、それでも足りないかもしれない。いや、シミュレーションの段階で既に大量のエネルギーとメモリーが必要になる。本当にPCで宇宙が創れるのか?
バカバカしいと、これを読んだ人の90%以上は思うだろう。ほとんどの人が興味がないと答えるだろう。
しかし同時に、何故自分が生まれてきて、何のために死ぬ運命を背負い、そしてその数十年間を必死に生きている理由はなんだろう。必然?運命?そんなセンチメンタルな言葉では、この問題をTOE(証明終了)へ持ち込むようなことはない。
この小説の秀逸なところは、そんな巨大な疑問を読者に投げつけながらも、ただの農業、田植え、刈り取り等という極めて基本的活動に重ね合わせていく点だろう。
映画では、この小説の10%も描けていない。残念。
ただ、映画のテーマソング、ASUKAの歌う「神様のパズル」は秀逸な曲だ。松本隆、天才だ。
こうして、マレーシアでの夜は更けていく。
明日はタイだ。
「愛」と言う言葉は、一体何を示しているのか?どこへ向かえと示唆しているのか?
「愛」は無限か、あるいは「無」か。そして、僕達はどこへ向かっているのか・・・・
何故人は、死なねばならないのか。望んでも与えられない永遠の生。
一体、どんなパズルを神は遊んでいるというのか。