仕事をするということについて、考えさせられる事件があった。
仕事と報酬について。
「金のために仕事してるんじゃない!」という意見はよく聞く。「じゃ、ボランティアか?」と聞くと「生活できればいい」と答える。じゃ、生活するための金銭を得るために仕事してるんじゃないか?やっぱり金のために仕事してるんじゃない。
「仕事の目的は、一攫千金。金のために働く」という意見もある。「じゃ、金のためなら、何でもするのか?儲けるためには、手段を選ばないのか?」と聞くと、「ビジネスは生きるか死ぬかだ。だからこそ、生き残ったものはその成果に対する報酬を得るのだ」と言う。負けたものは死ぬしかないのか?負けたものは、報酬を得る事はないのか?それなら、何故労働組合なんてものがあるんだ?
「この仕事がしたい!」とか、「この会社で働きたい!」とか、「この人と仕事がしたい!」とか思うことは誰にでもあるだろう。そんな時、年収が現状よりも下がったとしても、あるいは将来の報酬が不安定であったとしても、その意思を貫くことができる人がいる。それは「一定の安定した基礎的資産を持っていること」が前提である。この安定と基礎があって初めて、「収入ではなく、やりがいのために!」と言い切る事ができるのだろう。そういう基礎がない人の場合、そういう純粋な動機で仕事をすることは、やはり難しいのだろう。不可能とは言わないが。
果たして、夢はあるのだろうか。
夢は大切な動機であり、目的だ。
今から3年我慢して、この成果を出すことができれば、これだけの報酬を得て、地位を得る事ができるという確信。これこそが、現実的な「夢」というものではないか。子供の頃に、「パイロットになりたい」とか「看護婦になりたい」とか、「医者になりたい」という「夢」を持った事があるだろう。それは適わぬ夢である場合もあるし、それを目指して勉強して夢を適えた人もいるだろう。
しかし大人になってしまったら、もうそんな「夢」は追えない。
今日と明日の生活があるからだ。
「夢」を適える実力が自分に備わっているのだろうか。
はたしてその環境で、「夢」は実現するのだろうか。
ここが肝心なポイントなんだと思う。
これを証明すれば、説得はかなうのだろう。