苦しかったが貴重な経験だった
平成13年に開業し、場所を変えながら治療院を運営してきましたが一旦平成29年に治療院を一時閉鎖。
その後令和元年に今の場所で再開業したのも束の間、令和元年の年末から怪しい感染症が世界に広まり始めました。
年が明けた頃からは、コロナ禍と言われるまでに感染症は広がり、あっという間に大阪市内もロックダウン。
全く人のいない難波を見ることになるとは…。
まだ患者さんが十分に増える前でのコロナ禍突入で、酷い時には1日の来院者が0(ゼロ)の日もありました。
前年の5月に開業した私は、コロナ禍に開始された給付金に応募したくても出来ず、結局のところこの期間に受け取った給付金は0円でした。
売上がそれほど無いにも関わらず給付金は受けられず、追加融資まで受ける事態になってしまったほどです。
実は厳密に言うと、「受けようと思えば受けることが出来た」のですが、その為には治療院を一時的に閉鎖する必要があったのです。
通院中の眼科疾患の方がいらっしゃるのに、給付金を貰うために治療院を閉めるべきかはとても迷いました。
コロナ禍という言い訳も出来ますし、治療院を閉めるだけで給付金がかなりの額頂けるのですから、廃業のリスクを冒してまで、数少ない通院患者さんのために治療院を開けておく必要があったのかは分かりません。
ただ今となっては、あの時に閉めずにいたことが笑い話になる程度には経営が回復しましたので、まぁ良しとすることにします。
何よりも、コロナ禍の中通院し続けて頂いた患者さんに対しては、ある種の心意気は示すことは出来たかと思うから。
あんな時に要領よく立ち回って小金を稼ぐより、目の前にいる患者さんとしっかり向き合えたことはいい思い出です。
出勤して必死にブログやHPを書いていただけだったのも、今となっては良い思い出です。
現在は時間が無くてあまりHPを更新出来ないため、未来の集患に繋がったという意味でも、あの時間はとても貴重だったのかもしれません。