新越五岳トレイルレース・年は関係ない!② | カッコイイおじいを目指すランBAKA院長のトレーニング診療日誌

カッコイイおじいを目指すランBAKA院長のトレーニング診療日誌

ウルトラランナー・トライアスリート院長の加齢と闘うドタバタ奮闘記

9/14~16(土日月)に出た『信越五岳トレイルレース・100マイル(163㎞/33時間制限)』の続編です。

10日経った今も眠くて身体が怠く、筋運動器系は正常でも内臓は疲労でボロボロと感じます。

 

                  < 100マイル完走賞のベルトのバックル >

 

9/15、晴れた午前7:16、72キロ地点・妙高自然の家(関門13時間30分)に12時間46分で到着。

11分滞在して出発、ラスカルさんと別れた後コースロストでがっくりするも、走りの時間を増やして進む。

この時はまだ、レースに臨む時の通常の心理状態で、できるだけ速いゴールを考えていた。

 

約80キロ・妙高のスキー場で『鬼の登り』が始まり、汗だくで制覇すると、右側にまた同じ登りが出現。

ガックリとへたり込んで補給を始める選手が3人、休みたいが時間が厳しいため、涼しいうちに進む。

登り終えると今度は、長い長いコンクリートの急坂の下り、ガツンガツンと脚に来て疲労を溜める。

ここでもまだ攻める気持ちで、平地部分はできるだけ走る。

 

88キロ地点・池の平スポーツ広場に16時間24分で到着、時間短縮のため水を補給してすぐ出発。

山を下りて開けた川沿いの道に出ると、110キロの選手達が左側から来て合流し混ざって進む。

少し行くと、地元の『宴会隊』の皆さんの私設エイドで、子供達から補給とかぶり水を頂き大いに助かる。

 

102キロ地点・黒姫(関門20時間)に19時間07分で到着し、関門との時間差が60分も無いと知る。

多くの選手が、預けた(私物を入れた)ドロップバッグを開いて寛いでいるが、私は預けていないため

しゃり玉(おにぎり)・コーラ・オレンジのクエン酸補給とハイドレの補充で、12分滞在して出発。

今思うに、もしここでのんびり寛いでいたら、ギリギリか完走できなかったのではないかと思う。

 

午後1時過ぎの陽射しのロード、木陰を選んで上り、下りはできるだけ我慢して走る。

「110キロ過ぎの吊り橋は、一人づつしか渡れないため渋滞する。」と聞いていたので、歩かず走る。

6~7人のグループで抜かれず2番手で吊り橋到着、待たずに渡れてラッキー。

 

115キロ地点・笹ヶ峰グリーンハウス(関門23時間)に21時間55分で到着、貯金は1時間05分。

黒姫と同じ補給、ヘッドライトの電池交換で15分滞在して出発、午後4:40まだ気持ちは折れていない。

 

                    < タナダさんのベストスマイル >

 

日が落ちて来て125キロ付近の下りで疲労を感じ始めると、登りで前の選手から離れ始める。

その時、№128の選手とペーサーが丁度いいペースで抜いて行くので、付いて行く。

 

130キロ地点・大橋林道に25時間23分(午後7:53)に到着して補給。

№128コンビの前にスタートするも、苦手なゴロゴロ石の下りを歩いていると128コンビに抜かれる。

 

これ幸いと再度付かせてもらい話を聞いていると、選手の方が胃腸の不快感で体調不良のもよう。

走りながら時々「ゲーッ!」とやるも出るものは無く、突然「休む!」と座っている間に、私は先行。

 

丁度いいペースで残念に思っていると、私の速度がガクンと落ちたので気持ちが切れた事に気付く。

いつの間にか128コンビに依存しており、走れるコースなのに集中力が上がらず、多くに抜かれる。

 

牧場でバランスを崩して有刺鉄線に触れて指から出血、絆創膏を巻いていると128コンビが通過する。

彼らに付けば何とかなる、と全力で追いかけ、追いついて自己紹介し、正式に付かせてもらう(@_@)。

この時点で気持ちは『他力本願』で、情けないと思いつつも、心負けた自力での完走は厳しいと覚悟。

 

オザキさん・フクイさんコンビは、コースとタイムを熟知しており、予定では32時間30分でゴールとの事。

その後体調不良で二度の休憩を取るも、私も一緒に休み、補給したり予備ライトの準備をする。

戸隠までは走れる平地も全て歩き、完走が不安になるも、「一蓮托生」…付いて行く覚悟を決める。

 

142キロ地点・戸隠スキー場(関門29時間30分)に28時間26分で到着(午後10:56)。

不調のオザキさんが毛布を被って横になると、フクイさんが「完走が危ないので先に行ってほしい。」

 

お礼を言ってすぐ出発、走りながら計算すると、4時間14分で残り21㎞を走らねばならない。

ゴール直前11キロはフラットで走れるも、その前のラスボス瑪瑙山の急登でどれだけロスするか不明。

尻に火が着いてアドレナリンが体中に行きわたるも、疲れた身体は時速5キロでどこまで行けるか…

 

             < 計算通り歩き通して見事完走のラスカルさん >

 

瑪瑙山の森の登りで遅い選手が渋滞を作るも、シングルトラックのため抜けず我慢して付いて行く。

森林限界を超えて草の急登で進路が2列になると、迷わず右ルートをフル加速で10人程をごぼう抜き。

 

時に、一気の加速はすぐ潰れる恐れがあるも、現状スピードでは完走が危ういので賭けるしかない。

しかし、これまで抑えてきた脚は余裕で、むしろ急加速でも苦しくないため気持ちが昂り、一気に登頂。

「今、エンドルフィン(脳内麻薬)噴出中、アドレナリン(戦闘ホルモン)もガンガン出てる!」

 

草地の急下りは転倒しないよう慎重に下り、森の下りで再び速度アップしても脚は動いて数人を抜く。

2時間近く攻めて来て少し疲労を感じたので、最後の林道11㎞を走るため速度ダウンして脚を残す。

いいペースの二人に付いて、152キロ地点・飯綱山登山口を31時間23分で通過(午前01:53)。

 

 

瑪瑙山の10㎞を2時間37分でこなし、残り11キロを2時間07分、トラブルなければ完走は確実。

私の頭は、11月の『沖縄本島一周サバイバルラン(400㎞/72時間・通称沖サバ)』に飛ぶ。

この11キロを、辛い沖サバの終盤に見立てて、どこまで走れるか根性勝負と覚悟を決める。

 

平坦と思った林道は微妙に登っているため、荒れたロードは走り、砂利は足裏の痛みのため歩く。

周りの7~8人の選手達は、歩いたり走ったり前後しながら進む。

 

意外に歩きパートが多く、予想外に時間が掛かっているため、残り約7キロは全部走ると決心。

しかし、1キロ走ってくじけて歩く… 少しして「これではいけない!」と気を取り直して再び走る。

 

走り切るには速度を落として身体の負担を減らす事、とジョグに切り替え「これなら最後まで走れる。」

林道から飯縄スキー場に入る頃、ゴールアナウンスが聞こえ、後続のランナーも走りだす。

後続が私を抜く時は、ほぼダッシュなので私は追う事ができず、最後尾となってスキー場を駆け下りる。

ゴール直前の50m、一度立ち止まって先行の選手のゴールした後、ゆっくりと32時間28分でゴール。

 

        < 完走賞のバックルは石川弘樹さんから一人ひとり手渡されて感激 >

 

  ・膝痛で苦しんだタナダさん:28時間57分

  ・ずっと歩き通したラスカルさん:32時間43分

  ・胃腸の体調不良だった№128オザキさんペア:32時間50分

 

苦しみながらも、みんなキッチリと帳尻を合わせて完走できる猛者達、この人達はやっぱりスゴイ!

 

 

実は、今回の信越五岳100マイルの目標タイムは30時間台、なのに2時間オーバーの32時間28分。

今年5月の『川の道・信濃川ステージ254㎞』は、目標36時間の所、4時間オーバーの40時間。

これまで難無くクリアしていた、『絶対安全目標タイム』をクリア出来なくなっている。

 

年齢による身体能力の低下は、否定できないものの、今年2レースのメンタルの弱さの本当の原因は

実は脳が作った幻の限界なのかも知れない、と考えさせられました。

 

過去、スタートで自動的に入った『やる気スイッチ』が、最初から入らないか、途中ですぐにOFFになる。

ガンバル理由が見つからず、すぐに集中力が途切れてしまい、てき面に身体は動かなくなる。

まるで脳が「もう年なんだから、そんなにガンバらなくてもいいんじゃないか。」と言っているよう。

 

反面、追い詰められてガンバル理由ができれば、尻に火が付いてアドレナリン全開となる。

即座に身体は反応して、以前とほぼ同じパフォーマンスが発揮できる。

 

体力はまだ行けるのに、心が老いてしまい、本当の能力が発揮できなくなってきている。

11月の沖サバまであと2ヶ月、一体どうすれば集中できるのか答えは全くわかりません。

 

【先週のトレーニング】

09/16(月):信越五岳トレイルレース・100マイル / タイム32:28:26でゴール

   17(火):休 み

   18(水):休 み

   19(木):バイク:スピニング60分

   20(金):休 み

   21(土):休 み

   22(日):休 み

 

ふく山接骨院のホームページ

                           【腰痛・膝痛 さいたま市北区 ふく山接骨院、福山眞弘】