2016年10月 | カッコイイおじいを目指すランBAKA院長のトレーニング診療日誌

カッコイイおじいを目指すランBAKA院長のトレーニング診療日誌

ウルトラランナー・トライアスリート院長の加齢と闘うドタバタ奮闘記

2016/10/30 (日)

走ると人生お得

スパルタスロン(9/30~10/1)を走ってからひと月、練習中じんわりと思い出が浮かんできます。
レース中しばしば感じていたのは「(ギリシャでの)この瞬間、多分覚えていないだろうなぁ」
と言う事。ロードコースで同じような景色「記憶に残るでき事がないから記憶していないなぁ」
という予感があり、案の定ギリシャの記憶の順番が曖昧になっています。

それでも毎回、レースの印象的な思いに浸った後「ゴールして良かったぁ」の感想で終わります。
始めのうちは、何が良かったのかわからなかったのですがが最近わかってきました。…それは
 『過去に捕われず、全力で前に進む事ができるから』
もしリタイアしていたら、前に目標があるのに、パワーの半分を過去のリベンジに回さなければ
なりません。これで『2017・4月の挑戦』を全力で目指せる…

画像の説明
        <今日はローラー台でバイク練習>
昨日(9/29)<30キロ・ビルドアップ>(次第に速度を上げていく)をビクビクしながら行いました。

一昨年の<UTMB/ウルトラトレイル・ド・モンブラン>(168K/42時間52分)を完走してから
3週間後の人間ドックで『CPK/クレアチニンキナーゼ』という酵素が通常の3倍あり
「心筋梗塞の恐れが高い!」と連絡が入り「UTMBを走ったから」と説明して納得されました。

そしたらUTMBから6週間後の『ハセツネ(71,5K/24時間制限)』は、12時間31分のワースト。
転倒回数10回以上で血だらけゴール、UTMBの疲労としか考えられません。
過去何回も走っており、レースでも練習でも1回転ぶか転ばないかなのに。

ビルドアップの昨日はスパルタスロンから4週目、まだ疲労が抜けていないはず。
しかし11/13に『さいたま国際マラソン・フル』が入っており、2週間前なので試してみました。
そしたらなかなかの調子で、後半のペースアップから最後のダッシュまで気分良く走れました。
さすがに30キロ/2時間51分の後、今日は身体が重いものの「地足ができている」と感じました。 

走りながらふと思う「…この歳でも、ずーっと走っていられるって幸せだなー」なんて。
痛い所無く動ける身体があると気持ちも萎えず、まだ『未知』にチャレンジできる。
でもTVの<旅番組>見ていてふと思う「…何もせず豪華な料理にのんびり温泉、これもいいなぁ」
画像の説明
            <白山ジオトレイル>
昨年の8月、石川県・白山でカミさんと1週間過ごす旅に出ました。
   『白山ジオトレイル』
宿泊はスタッフが張ってくれたテントに、自分で運んだ寝袋・マット。
食事は自分で背負った<アルファ米・みそ汁・サラミ・柿の種 等>、水とお湯はもらえる。
フロは、たまたま近くにあって、早くゴールできれば入る事もできる。
これで費用は、一名様16万円

初日から、ドシャ降りの中15㎏のリュックを背負い、ガケから落ちかけて、泥まみれでゴール。
白山登頂時は、台風で豪雨強風の中8月なのに寒さで震えつつ、カミさんと室堂の山小屋到着。
嵐の中ビバークした仲間や、選手誘導のため低体温になり、なんとか生還したスタッフ。
暑さにへたり、足のマメは三っつつぶれて、痛みに呻きながら駆け下りたトレイル。
アブに嫌というほど刺され、マダニに腹を喰い付かれる。
しかし最終日の打ち上げパーティー、選手もスタッフもみんな泣きながら喜び合う。
  二度と経験できない『最高の七日間』
その仲間達とは今でも連絡取り合い、飲んだり一緒に走ったり。

<豪華な温泉旅行>か<夜通し走るグチャグチャのトレラン>か?
<美しい海外観光ツアー>か<過酷な海外ウルトラマラソン>か?
ん~、やっぱり私は…

10/24(月):休み
  25(火):ウエイト・トレーニング
  26(水):休み
  27(木):①ラン・6,0K(トレッドミル) ②スイム・1,5K
  28(金):休み
  29(土):ラン・30,1K(ビルドアップ・2時間51分)
  30(日):バイク・48K/1時間40分(ローラー台)
以上、先週のトレーニングでした。
                   〖腰痛・膝痛 さいたま市北区,ふく山接骨院,福山眞弘〗


パーマリンク

2016/10/23 (日)

スパルタスロンの一つの走り方

アテネ~スパルタ246キロを走る『スパルタスロン』、私は34時間33分で完走。

初挑戦の私は、去年完走したチャーコさんから、<コリントス・81キロ/9時間30分制限>
までの[暑い・乾燥・脱水]にどう対処するかが勝負のカギ、と叩き込まれました。
脱水対策でエイド毎に、とにかく塩ッパイ『梅干し純』1粒と、水分を必ず摂り
滞在時間節約のためクッキー・ポテチ等の食料を口に詰め込んで走り出す作戦。
74ヵ所あるエイドで、1分づつ余計に過ごしたら1時間14分のロス。

スタート7:00はまだ暗く「暑くなる9時までに距離を稼ぐため飛ばすぞ!」作戦で出発。
ところが4時間経っても暑くなく快適、「ま、いっかー。行っちゃえ!オッサン」作戦に変更。
これが失敗の元… <42,2キロ地点>を3時間51分で通過すると、コリントス手前5キロで大失速。
キロ:7分30秒まで落ちて、後続にボコボコ抜かれ既に脚が無い状態。明らかにオーバーペース。
<コリントス81キロ地点>8時間08分到着、預けていた『牛すき焼きおじや』を食べながら
「…あと160キロ、どうする? 走れなくなれば歩き、関門アウトになるまで歩き通すか…」
リタイアが頭をよぎります。

画像の説明

コリントスを出て路上でシューズを直していると、目の前をスエフサさんが歩いています。
私が声をかけると、彼は「一緒に行きましょう」と言って一緒にゆっくり歩いてくれました。
スエフサ氏:「私はスパルタスロン3回目、前回2回は完走してるけど失敗レース。
  でも今回は、最後の40キロを4時間で走り切り、32時間台でゴールする予定です。」

私は、疲労で何も考えられず、意味もわからずボーッと聞いているだけ。
ス氏:「今日、私は42キロまでは走ったけれど、それ以後ここまで歩いて走って来ました。」
(エッ! 私は必死で走って来たのに、歩いて走ってコリントスに8時間26分? …何故だ?)

ス氏:「脳は危機を感じると、苦痛を作って運動をやめさせようとするから、辛くなる前に歩いて
  今やってる事は安全な日常なんだ、と安心させればいいんです。
  脳をコントロールするため疲労を感じる前に歩く、でも速歩きで。軽くなったらまた走る。
  疲れを感じないから、キロ5分台で走れますよ。登りは歩いて休める、エイドでまた休める。」

ス氏:「酷使しないから筋肉に炎症が起きず、サイトカインが出ないから脳は危機と感じない。
  サイトカインが出たら身体は非常事態、運動なんかやってる場合じゃない!と苦痛を作る。」

じゃあ、走ってみましょう。…あれ、身体がそれほど重くない、脚が重くなるころ歩いてくれる。
つい40分前まで、キロ7分30秒でヘロヘロだったのに、今はキロ6分を切って走れる。
理論的にも納得し、休めるんだと安心した私の脳は『スエフサ理論』にすっかり洗脳され
安心したため疲労感を大幅に減少し、足裏の痛みを消します。

ス氏:「<吐く理由>は、前半で給水不足のため脱水状態になると危機感を感じた『脳』は
  <口渇感>を作り、水を飲ませようとする。
  急に大量に飲むため『胃腸』は吸収不能となり、内臓疲労もあるため拒否反応で嘔吐する。
  こうなると体内では<脳は飲め!・ 胃腸はイヤだ! の戦い>になるため、食べる事もできず
  レースどころではなくなりリタイアしてしまいます。」

ス氏:「何故みんなこんな暑い中走るんだろう。暑い時は歩いて走ってで温存し
  夜になって涼しくなってから走れば、速く走れるのに。」
ス氏:「私は『50歩(歩いて)100歩(走る)』の呼吸で走るんです。でも<気温・登り・疲労感>等
  でその割合を変えます。他人と競う事やタイムも考えず、脳を安心させるため。」
エイド五つを付き合ってくれ『スエフサ師匠』は速度を上げて行ってしまいました。
その背中には『頑張れよ!』と…
スエフサ師匠のタイムは<31時間07分49秒>。日本人3位!


パーマリンク

2016/10/17 (月)

私のスパルタスロン対策

9/30~10/1『スパルタスロン』(アテネ~スパルタ・246キロ)を34時間33分で完走しました。
事前情報では<暑さ・乾燥による脱水でリタイアしないための給水>が最重要課題。
確かに、選手がコース上で吐いている姿を数回見ましたが、原因は脱水のようです。
画像の説明

聞いた話しですが「<吐く理由>は、前半で給水不足のため脱水状態になると
危機感を感じた『脳』は<口渇感>を作り、水を飲ませようとする。
急に大量に飲むため、すぐに『胃腸』は吸収不能となり、内臓疲労もあるため拒否反応で嘔吐。
こうなると体内では<脳は飲め!・ 胃腸はイヤだ! の戦い>になるため、食べる事もできず
レースどころではなくなりリタイアしてしまう。」と言う説得力ある理由です。

私は、3~5キロ毎にある74ヵ所のエイドステーションのほとんどで水分補給と
飲む前に「梅干し純」というメチャクチャ塩っぱいお菓子で<塩分・クエン酸>を摂り続け
さらに<ミネラル全般>の不足予防のため「ミドリムシのちから」を80キロ地点/160キロ地点
で摂るという『完璧ミネラル作戦』を徹底したため、消化器トラブルはありませんでした。

その上DNSの「RED」というスポーツドリンクを「ソフトフラスク(容器)」に入れて
手に持って走る事で「飲みすぎで下痢しないか」というほどの水分補給をしました。
軽量化のため「RED」の粉末をウエストバックに入れ、エイド手前で歩きながら
ソフトフラスクに補充し、エイドで水を入れるという作戦で、滞在時間を節約します。

画像の説明

スタート後<コリントス/80キロ地点・関門9時間30分>までが、一番の勝負所。
関門時間厳しく、脱水リタイア者が最も多いポイントのため、私はドロップバック(DP)を預けず
スタート時の装備(RED粉末3個・梅干し純10袋・アミノバイタル10個・ミドリムシ/プロポリス)
とエイドの補給食(クッキー・ポテチ・バナナ)だけで乗り切る作戦。

スパルタスロンは、74ヵ所のエイド全てに補給食・ウェア等預ける事ができるのですが
私は、8ヵ所のエイドに<牛すき焼きおじや8個・RED/梅干し純/アミノバイタル多数・柿の種4個
アミノバイタルジェル・アメ多数>と、ご褒美の駄菓子をばらけて預けます。
『牛すき焼きおじや』を食べたのは、①<コリントス・81キロ地点/8時間08分>
②<ネメア・123キロ地点/14時間20分> ③<ネスタニ・171キロ地点/23時間02分>の3回。
おじやに生ミソ味噌汁を入れてかき混ぜ、ただ腹に流し込み滞在時間8~11分で出発。

また<ヘッドランプ・防寒着>を預けるエイドが悩みどころ。
ヘッドランプ必要な時間は午後7時ころ、朝明るくなる時間は午前7時過ぎ。
暗くなる午後7時に、自分が一体どこにいるのか、通過時間を予想してエイドに預けます。
早すぎると重いライトを持って走る事に、遅すぎると暗くて危険、そして寒くて震える事に。

気温は、昼28℃位で暑くても、夜間のサンガス山や下った<ネスタニ/171キロ地点>は
5℃まで下がる事もあり、かなり寒いというアドバイスを受け、現に寒くて震えました。
しかし恐ろしいのは、預けたエイドにDBが無い事態!
ライト・防寒着・補給食が無ければ、危険なうえ精神的にも大きなダメージ。
今回も、預けたエイドにDB無く、他の日本人選手のライトで一緒に走った人もいました。
2つ先のエイドにあったので預けミスかも知れませんが、消えてしまう事もあるそうです。

画像の説明

私のシューズはモントレイル社の『マウンテンマゾヒスト3』というトレランシューズです。
意外に軽くクッション性があり、履きなれない初心者用より、慣れたシューズを選びました。
爪が死ぬ対策のため、5ミリ大きい物を新調し走って歩いて馴染ませ、これが大正解でマメは無し。

さて、ギリシャには公衆トイレがありません。
私は、レース中〈うんこ〉を2回、1回目は138キロ位/午後10時半ころ道路脇の林の中
2回目は175キロ位/午前7時前の薄明るいヤブの中で済ませました。
ティッシュは必需品と言われた訳がわかりました。
女性達はどうしていたんでしょう???

睡眠は212キロ地点のエイドで12分、歩行中にフっと意識が消え危険を感じたので寝ました。
目覚めると、足裏の痛みは消え、身体は軽く、やはり脳が苦痛を作っていたと感じました。

画像の説明

さすがに200キロを超えると、身体中あちこちが悲鳴をあげてきます。
それでも、スパルタ郊外では道行く車の応援や、街中での歓声で疲労も吹き飛び
最高の気分でレオニダス像にキスができました。
練習不足・200キロ超の経験不足でしたが、なんとかゴールができました。

日本の仲間達は、今回一緒に参加した我々3人のゴールの10分後には『祝賀会』の話しで
盛り上がっていたそうです。
今のところ、祝賀会は4回やっていただける予定。
…だけど『祝賀会』なのにちゃんと会費は割り勘で取られ、多分レースの話しなんて10分も
聞きゃしないんだから。
…でもまぁ、いっか。 皆さん、大変お世話になりました。


パーマリンク

2016/10/10 (月)

スパルタスロン完走!

9/30~10/1『スパルタスロン』(アテネ→スパルタ:246キロ)を34時間33分40秒で完走しました。
しかし今回は失敗レースで、一歩違えば関門アウトでリタイアになる所でした。

画像の説明
          <ゴール地点の『レオニダス像』>

スパルタスロンが「世界で最も過酷なウルトラマラソン」とされる理由が、その距離と気候。
246キロの距離の中に、ガレ場のトレイル、そしてかなりのアップダウンがあります。
また<暑さ・日差し・乾燥>が強く、発汗に気付かず給水を怠り、脱水・リタイアとなります。
今年は一日目が涼しかったので、完走率は63%と高くなりました。(例年50%未満)

画像の説明
画像の説明
          <スタート地点 アクロポリスの下の広場>

経験者から「スタート後2時間で暑くなるので、その2時間で距離を稼ぐように」と言われるも
当日はそれほど暑くなく、スタート後4時間は快適に走れ、42,2キロ地点の通過時間は3時間51分。
明らかにオーバーペースと思うも、そのまま81キロ地点『コリントス』を目指す。
これが大失敗、75~6キロ地点でペースダウン、キロ7分30秒程度まで落ち込みます。
コリントス(81キロ地点)到着時は、もはや走る脚は無くこの後160キロをどう行くか無策の状況。
関門アウトになるまで、行ける所まで行くしかない…

画像の説明
          <左側が恩人スエフサさん 本当に助かりました>

しかし、コリントスを出発してすぐ『スエフサ氏』に出会い、状況は一変!
歩きながら『スエフサ理論』をレクチャーされた私は
わずか40分後にはキロ5分台で走れる身体に復活…
脳は活性化し、身体の苦痛は嘘のように消え、快適ペースで進むと前の選手を面白いようにパス。
サンガス山のガレ場は快調に登り、石ころだらけの下りもいいリズムで駆け下りてトレイル終了。

195キロ地点『テゲア』からは、長いアップダウンの連続が始まります。
疲労はあるものの、登り坂も『スエフサ理論』で走る事ができます。
それでも次第に睡魔でふらつき始め、危険を感じた215キロ地点で12分の仮眠をとる。

残り20キロとなった225キロ過ぎからは、消えていた足裏の痛み、全身の苦痛が現れる。
完走は確信するも、この後90分ある貯金を食い潰していくとギリギリになる可能性が大きい。
ここから如何に走りを維持するかが勝負、並走している「24時間走女子日本代表:アオタニさん」と
「キツイキツイ!」と言いながらゴールを目指す、一人ではとても走れないペースで。

スパルタの街近くでは、道行く車は皆クラクションを鳴らし「ブラボー!」と叫んで行きます。
我々は手を振って応えたり、こぶしを突き上げたり。
街に入ると大騒ぎ、沿道の声援、アパート3階から赤ちゃん抱いた美しいマダムが「ブラボー!」
並んだ子供たちとハイタッチの連続、カフェの観衆からの声援に包まれます。

花道の突き当りにゴールの『レオニダス像』が見えます。
階段を駆け登って『レオニダス』の左足にキスをしてゴール。
月桂冠をかぶり、勝者の水を飲み、完走証をもらって写真撮影。
そして美しい少女が私を椅子に座らせ、靴と靴下を脱がし、桶の石鹸水で足を洗ってくれます。
さらに目の前200m程先のホテルまで、なんとタクシーで送ってくれるではないですか。

後で聞いたら、スパルタの街では「スパルタスロン完走者」は『勇者』として扱われるのだとか。
サイコーの気分!

画像の説明
<ボランティアの『サカネさん』母上と娘さん(姉妹みたい) いっぱいお世話になりました>

翌日のお昼はスパルタ市長とガーデン・パーティーがあり、その後バスでアテネに向かう。
アテネに着いた翌日の夜は『祝賀パーティー』が催され、一人ひとり名前を呼ばれて
メダルを首にかけてもらい、写真を撮り合ったり、ダンスをしたりで大騒ぎ…

画像の説明
    <レース中ご一緒させて頂いたオオタキ先生(スパルタスロン優勝経験者)>
世界最高の過酷なレース… あぁ、完走できてよかった… 本当に良かった… 本当に…💤

画像の説明
   <このお二人スパルタスロン10回完走者です。 左側は有名なジョイナーさん>
画像の説明
          <最終日 エーゲ海でひと泳ぎしました>