2/25(日)、『2018平昌オリンピック』と『東京マラソン』が終わり、過去最多のメダル数と設楽選手による
『2時間06分11秒』という日本新記録が生まれました。
メダルの有無に関わらず、我々の代表として戦われた選手、支えたスタッフの皆様
たくさんの感動をありがとうございました。
そして東京マラソンを完走された皆様、お疲れ様とおめでとうございます。
ところで、夢を実現された方達は必ず何かを犠牲にしています。
時間 おいしいご飯 家族 仕事 健康 恋人 睡眠 収入 結婚 その他
人は平等に、24時間/365日という時間を持っています。
昼寝してても1時間、ランニングでのきついインターバルも1時間。
そして、人は誰しも、自分に価値のある事しかやりません。
何を選び、何を犠牲にするのか? 他人には無意味な事でも、自分にはとても大切な事。
例えばそれは… 夢? 憧れ? なりたい自分?
何故走るのか?
自分で納得するため? 他人に認めてもらうため?
私は何年もの間、走りながらいく度となく考えてきました。
そして最近結論として、ありきたりな答えですがこれではないかと思う事があります。 それは…
生きてる証しを感じるため
速く走ったり過酷なレースを走れば「すごい おめでとう」と良い評価をされ評判が上がります。
キツイ練習後の疲労感、ゴール直後の苦しさ、やり終えて納得し解放され、ビールというご褒美。
しかしそれは「生きてる証し」ではないと感じます。
「生きてる証し」は正に苦しんでいる最中であり、概ねその瞬間は気付かず終わってから気付くもの。
最近のオリンピック種目はレクリエーション系が増えていますが、かつての種目は狩りや戦争の種目。
やり投げ 砲丸/ハンマー投げ バイアスロン(スキーとライフル) マラソン(伝令) レスリング 等
戦争に勝ち、狩りで獲物を捕れば自分・家族・種族は生き延びる事ができる。
ですが何時しか、戦士・狩人達は「死ぬか生きるか/食うか食われるか」の戦う事自体に価値を感じ
戦いの最中の充実感こそが「生きてる証し」と感じるようになったのではないかと感じます。
特殊な場合を除きスポーツで死ぬ事はないものの、そのレース・試合に大きな価値を認めて臨む。
限界領域で心臓を脈打たせる事、これ以上出ないパワーを筋肉に出させること。
能力いっぱい出す事は辛くて苦しいもの、死ぬか食われるかは無くても勝つか負けるかです!
マラソンをゴール完走すれば取り合えず勝ち、自己ベストなら大勝利、リタイアは敗北。
リタイアの後は大きな後悔と、どうすれば勝てるかの戦略を考えて眠れぬ夜を過ごす。
上に昇るため、やりたくない苦しいトレーニングは常識。
今日のトレーニングは「明日1秒速くなるため」、それは自分をもっと良く変える事。
思い通りに身体が動く事は根源的な喜び、もっとできるのではないかと思う事は生活を変える。
生き方や時間の使い方はバランス、何を減らして何にあてるか。
憧れのなりたい自分になるため、食べたいを我慢し、眠いを起き、辛くても顔を歪めて走る。
東京マラソン完走者も、完走という栄光のために多くを犠牲にしたと思います。
メダリスト・オリンピアン達の犠牲の大きさは想像できません。
私の食欲との戦いとはレベルが違う。(私が好きなように食べたら一月で80㎏になる自信あります)
ところで最近よく聞く歌の歌詞
夢をあきらめない 夢はかなう 夢を失わない 夢を忘れない 等々
それはいいのだけれど 「夢の実現はこんなにも大変なんだぞ」 って誰も歌わない。
ん~、夢だけ唱えるの簡単だけど、立ち向かう覚悟がないと跳ね返されちゃうぞ~
2/11の51キロ走の後走りたくなくなり、24日(土)13日ぶりに25キロビルドアップ。(だんだん速度を上げる)
気持ちよくって距離を伸ばしたのはいいものの、練習不足のため終盤はダレダレのビルドアップ
になってしまいました。(+_+)
〖先週のトレーニング〗
02/19(月):休 み
20(火):ウエイトトレーニング
21(水):休 み
22(木):バイク:スピニング60分
23(金):休 み
24(土):ラ ン:25,0Kビルドアップ・2時間26分
25(日):バイク:ローラー台60分 + バービー50回(加圧ベルト装着)
〖腰痛・膝痛 さいたま市北区,ふく山接骨院,福山眞弘〗