保護者懇談を終えて思ったこと | うちの子、グレー。~様子見娘と、赤ちゃんと。~

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3歳のグレーな娘・律(りつ)と0歳の今の所は定型?な息子・樹(いつき)を育ててます。母は支援学校再就職からの育休中です。



2歳10ヶ月のグレーな娘・律を育てています。

1歳半健診様子見→2歳の心理士さんとの相談で更に様子見→2歳半の保健師さんからの電話で様子見終了。
その一方で、発達支援センターでの相談や言葉の教室参加、保育園での加配等、支援は増加する一方のグレーオブグレーな娘です。

詳しくはこちらをお読みください。




前回、保護者懇談での話を書きましたが。

書ききれなかった事が2つあるので書きたいと思います。


一つは、先生がよく使っていた印象的な言葉。


先生は娘が泣いたり怒ったりする様子を説明する時、「不安になってしまう」という表現をよくしていました。


「蛇口をひねれなくて不安になる。」

「活動の切り替わる時に不安になる。」

「不安になりそうな時はなるべくそばにいて1対1で対応するようにしている。」


これまで私は、娘に対してその様な言葉を使った事がほとんどありませんでした。


娘は蛇口をひねれないのが「気に入らないから」泣くんだ。

自分の思い通りにならない事が「嫌だから」泣くんだ。


心のどこかで、周りに合わせられない、自分の事しか考えられない娘が「ワガママ」だと思っている自分がいました。


が、先生から「不安」という言葉を聞いた事で娘に対する見方が変わりました。


まだ色々な状況の変化を想定できない発達段階の中で、自分の思い通りにならない世界に不安を抱いているのかもしれない。


「したいのにできない!」「安心する世界から引き離される!」不安の中で、言葉で伝えるよりも前に泣いたり怒ったりしてしまうのかもしれない。


そう考えると、「もっと我慢できるようになってほしい」という気持ちから、「もっと安心して生活できるようになってほしい」という気持ちに変わりました。


根本的に娘の成長を期待する気持ちは変わりませんが、「娘が安心できるようにするために見通しを持たせたい。」「少しでもできる事を増やしてあげたい。」という気持ちが大きくなりました。


懇談をして本当に良かったなと思います。



もう一つ書きそびれていた事。


それは、保育園に通い始めたことで「親といる時の娘の姿」と「一緒にいない時の娘の姿」のギャップはどんどん広がっていくだろうという事です。


今まで娘と2人きりだった時は、何とか集団生活を体験させたくて習い事を始めたり子育てイベントに積極的に参加したり、色々な活動に一生懸命になっていました。


参加した所で娘は楽しめず他の親子との違いにショックを受ける事も多かったのですが、ある意味「娘の集団での課題」を直視できる貴重な機会でした。


保育園に通い始めてからは、そう言ったイベントへの参加が全く無くなりました。

平日の園の後は家で過ごすのみ、土日は家族でゆったり過ごしたり娘の楽しめる場所に出かけたり。


あえて「試練」に向き合う事が無くなりました。


それ自体は娘の保育園でのストレスを考えると良いのではないかと思いますが、私の意識が少しずつ変わってきました。


「家では穏やかに過ごしているのに、保育園ではよく泣いているらしい。」

「家での様子と園での様子が違う事はよくあると聞くけれど、そんなに違いが出てくるものなのか。」


そんな時、あのリトミックの悲惨な光景が蘇ってきて思いました。


「保育園以外では穏やかに過ごせる方法を選んでいるから、家での癇癪が減るのは当たり前だ。

そもそも家では娘が起こり出す前に常にマンツーマンで対応できるし、環境が違いすぎる。

リトミックでは私がマンツーマンでついていても最後まで参加できない時があった。」


そう考えると、園からの報告が別人に見えるのも当然なのかなと感じました。


娘が大きくなるにつれ、そのギャップはさらに広がるかもしれません。

娘自身に園ではこうしよう、家ではこうしようと自分を使い分ける気持ちが大きくなっていくかもしれません。


それでも私は、園での姿も家での姿も受け入れられる親になれたらと思います。


理想は娘にとって一番の理解者になる事です。


何が事実か?分からなくなる事もあるかもしれませんが、そんな時こそ目の前の娘を愛せる親になれたらと思います。