◆高橋お伝◆ | ☆今を楽しく生きてます☆

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東京の下町で生まれ、育ち、今も下町で暮らしています。
猫たちとの生活や、日々の出来事を思いのままに綴っています。よろしくお願いします(=^ェ^=)

今日は彼岸の入り
恒例のお墓参りに行って来ました
朝のうちは薄曇りだった天気も、霊園がある日暮里駅に着く頃には、気持ちがいい秋晴れの空になっていました

お寺には10時前に着き、先ずは本堂と毘沙門堂にお参り


天王寺本堂↑


毘沙門堂↑

その後はお墓参りを済ませ、霊園を散策といつもと変わらない時間を過ごしました

連休中のせいか、たくさんの人が訪れていましたが、半数以上は観光客のようでした

     

谷中霊園の通称 桜通り
そこの公衆トイレの脇に、ひとりの女性のお墓があります
名前は 高橋お伝・・・

高橋お伝の墓↓

この人をご存知の方は、あまりいらっしゃらないと思います

明治12年1月31日、強盗殺人の罪で囚われていたお伝は、処刑されました
日本で最後の斬首刑だったと言われています 享年30歳

(画像はお借りしたものです)

現在の群馬県みなかみ町に生まれたお伝は、不遇な環境で育ち、結婚後は夫がハンセン病にかかり横浜に転居
夫の死後に恋仲になった男は遊び人で、生活に困窮
借金を頼んだ古物商の男に、一夜を共にすることを求められ従うが、翌朝男は翻意

争いになりお伝は男を殺害、所持金を奪い逃走  10日後に捕らえられた
その後裁判で死刑判決

「明治の毒婦」と呼ばれ、後には夫も殺害したのではないかと、諸説騒がれ、歌舞伎・小説・映画などで描かれている

以上が高橋お伝の簡単な説明です

私は幼い頃からお伝の墓を目にしており、親からは「昔の女泥棒」と聞かされた記憶があります

いつ見てもきれいに清掃され、花も絶える事が無いので印象に残っていました

女性が多くお参りするようです
お伝を不憫に思う方もいるでしょう
またお伝の墓に参ると、三味線が上手になるという言い伝えもあるそうです

私もお伝の事はあまり良く知りません。私の実家の墓が谷中になければ、知ることもなかったでしょう

ただ、近代日本創設の頃、こんな女性がいたということは、やはり知っていて良かったと、今日改めて思いました

思いの外、長くなっしまいました
今日も至らぬ文章にお付き合いいただき、
ありがとうございました

そして遅い時間の更新になりましたことを、お詫び申し上げます

それでは、今夜はこの辺で・・・