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大型連休も今日で終わりです。皆さんは連休をどのようにお過ごしになられたでしょうか?

私は5月の連休初日の憲法記念日に、憲法に関わる催しに参加するために甲府までいってきました。

 

日本国憲法も施行から77年を迎えて人間の年齢で言えば「喜寿」となります。参加したうちの一つの「山梨護憲の集い」では、いわゆる護憲勢力の後退と改憲に前のめりである現政権、そしてそれに同調する一部の野党に対して危惧の念が主催者から語られました。

 


施行から77年が経ち、先の大戦の記憶が薄れていく中で、何を切り口にして日本国憲法を教えたらいいのか?続くパネルディスカッションでは、笛吹市の中学校で教えているという教員から質問が出ました。


憲法施行時から77年が経ち、当時と現在では時代状況も社会状況も異なります。その中で日本国憲法の意義を伝えるということは、日本国憲法の普遍性について伝えるということだと思います。


これについて、現在において日本国憲法を教える切り口は個人の尊厳にあると私は思います。


集会でも取り上げられていた自民党の改憲草案(20124月)は、日本国憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。」を「全て国民は、人として尊重される。」と修正しています。「個人として尊重される」が「人として尊重される」に変えられているのです。

私はこれを重大な変更であると考えます。例えば、陸上自衛隊で深刻な性暴力を受けた五野井里奈さんが声を上げることができたのは、日本国憲法によって個人の尊厳が保障されていたからです。

自衛隊という階級制度が絶対的な組織内で、階級が下でかつ女性である五野井さんが加害者の先輩を告発するというのは至難のことです。個人の尊厳が保障されていなかった大日本憲法下ではほぼ無理だったでしょう。

組織や権力の前では、個人は弱い立場にあります。かつて個人は共同体や組合といったお互いに助け合う集団に属することによって、自らを守ってきました。しかし、市場社会の発達とともにそういった互助的な集団の力も低下して、現在、個人は孤立していく傾向にあります。

そのように社会の包摂力(共助)が低下していく中では、弱い立場の個人の権利を公権力が守る必要があります(公助)。具体的には個人の権利が憲法によって保障される必要があるのです。

生徒はこれからそういった現代社会に出ていくわけですから、憲法による個人の尊厳の保障が自分自身のウェルビーイングにとっていかに大切であるかということを、実際の事例を踏まえて教えていくことが憲法を教える切り口になると思いますし、日本国憲法の普遍性を伝えていくことであるとも思うのです。

 

最後に、当日の資料として、自民党による「改憲4項目」の提案が配られていました。その資料では、憲法に自衛隊を明記する理由として、自衛隊の活動が国民の支持を得て、自衛隊に対して国民がよい印象を持っていることが挙げられていました。



しかし上述の五野井さんが受けたような性暴力や隊内でのいじめ、続出する自殺のような自衛隊の実態は国民に広く伝えられていません。

最近ではさらに、「有事だョ!全員集合」といった悪ふざけでは片づけられない自衛隊のポスターや、陸上自衛隊大宮駐屯地さいたま市)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)で同隊の活動を紹介する際に、「大東亜戦争」という言葉を使って投稿していたなど、日本国憲法の成り立ちを無視し原則から逸脱するような実状が見られます。

そういった現状がある中で自衛隊を憲法に明記するというのは説得力がないと思います。

 

いろいろ憲法とその周辺について考えさせられた今年の憲法記念日になりました。

 憲法記念日、皆さんは憲法について何を考えたでしょうか?