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 今日は、今年最初の国際平和論の授業でした。


 前月は、沖縄戦から現在の南西諸島へのミサイル基地配備までを取り上げて、沖縄から平和を考えました。
 その去年最後の授業の日に、沖縄県名護市の沿岸で進む米軍辺野古基地の建造をめぐり、福岡高裁は玉城デニー知事に対し、国が申請した設計変更を承認するよう命じる判決を出しました。そして国土交通大臣は28日、沖縄県に代わり工事の設計変更を承認する代執行に踏み切りました。



 それを受けて今日は、この辺野古新基地建設問題について玉城沖縄県知事の意見陳述など紹介して、これまでの議論を踏まえてそれぞれの感想を発表しました。


 「沖縄にとっての戦争は終わっていない、と思った。」「沖縄が地政学的な要地である限り、たとへ辺野古に新基地が造られなくても沖縄に基地負担が残ることは避けられないと思う。」「沖縄県に基地負担を押し付けていることを国民は薄々感じていて、沖縄を可哀想と思っている。だけれど、じゃあ、自分の選挙区のある県に米軍基地を移設しようと訴えたらその政治家は当選しないと思う。だから現状は変わらないと思う」などなど、いろいろな感想が出ました。
 その中で「辺野古代執行訴訟の資料を読んでも、辺野古に新基地を造ることはおかしいと当たり前に思う。それにも関わらず沖縄県が敗訴し、新基地の建設が止まらないのは、昨月の沖縄戦の授業で話された個人と組織人の問題なのだと思う。基地建設を進めている人たちも、心のどこかでこれは間違っている、と感じていると思う。しかし組織人として行動して(お給料をもらっている)ので、建設を止められないのだと思う。」という感想は印象的でした。
 確かにアジア・太平洋戦争の時も、少なからぬ人たちが「この戦争を続けても勝てない。」と思っていました。しかし負けると分かっていても、戦争をやめられませんでした。
 他ならぬ牛島満沖縄守備軍司令官も部下に対して、「この戦争は負ける。敗戦後の日本の復興のために貴君らの若い力が必要だ。貴君らが故国復興の原動力になってほしい」と語っていました。その一方で、「南部撤退」を命令し、「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」と徹底抗戦を命じました。
 つまり、個人としては「戦争が敗北に終わる」ことを認識しながら、組織人としてはその認識とは反対の決断を下した訳です。
 「これは現在の辺野古新基地建設をめぐる状況と同じではないのか?」と学生は言ったのです。
 官僚や裁判官、そして基地建設に従事する労働者たちの中にも、「辺野古への新基地建設は間違っている。この基地建設はうまくいかない。多大な血税を浪費して、国と沖縄県の関係に禍根を残す。」と思っている人がいるかもしれません。彼らはひょっとしたら、家庭や居酒屋でそのことをポツリと呟いているかもしれません。
 しかし組織人として、彼らは周知の通りに決断し行動しているのです。その中身を私たち国民は徹底的に追及して変えていかない限り、「現状は変わらない」でしょう。

 「この授業を受けて初めて、沖縄県の辺野古に新基地が作られていることを知った。」という学生が大半でした。
 知ることで、彼ら彼女らは実にいろいろなことを感じ、考えます。重いテーマでしたが、取り上げてよかったと思いました。
 
 授業が終わった後、辺野古で、防衛省が軟弱な地盤の改良工事を含む大浦湾側の海の埋め立てに向け、工事を始めた、というニュースが入ってきました。
 学生たちはこのニュースをチェックするでしょうか。

 辺野古代執行訴訟における沖縄県知事の意見陳述をアップしますので、ぜひご覧ください。