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 一昨日、須玉町増冨地区を回っていたら、思いもかけない出会いがありました。小尾神戸の急坂を登り、野良仕事をしていた年配の女性にあいさつをして、「この先にもまだ人は住んでいますか?」と尋ねると、「旧中学校に墨で絵を描いている人がいるよ。」という答が返ってきました。その言葉に従ってなおも坂を上っていくと、廃校となった校舎があって「増富中学校」と書かれていました。郵便受けがあったので、戸をノックすると、白髪で白い髭を生やした男性が現れました。ひととおり挨拶を済ませると、その男性は「時間ある?」とわたしに聞かれました。「ええ。」と答えると、「じゃあ、見ていく?」と言って、旧体育館らしい建物の中に案内してくれました。入って吃驚、そこは生命讃歌に溢れる絵画世界でした。以前旅したインドの壁画美術や、故郷信州の小布施岩松院本堂21畳の天井にある、葛飾北斎最晩年の絵「八方睨み大鳳凰図」を彷彿させる美世界がそこには広がっていました。彼は工藤耀日という現代美術家だったのです。




 1人で収めるには余りにもったいなくて、この感動を分かち合いたいと思いました。そこで「一緒に回っている仲間も連れてきていいですか?」と確かめるとオーケーだったので、いったん出て再度皆を連れて戻りました。

 最初は何なのか訝しがっていた仲間も、館内に足を踏み入れて唖然、吃驚していました。工藤画伯の案内はこれで終わらず、さらに旧校舎の中にある画伯の美術館を案内してみずからの創作について説明してくれました。

 その芸術世界は墨彩でありながら、精神と創造スタイルにおいてピカソを連想させました。素人の妄想かと恐る恐る画伯に尋ねたら、ピカソには大きな影響を受けているという答でした。



 画伯の表現追求は徹底していて、対象を自分の中で納得できるまで調査研究して初めて筆を下す。それは論文を書くまでの過程にどこか似ていました。確かな基盤が画伯の表現を自由にしていました。



 工藤画伯は北海道利尻島で生まれ、武蔵野美術大学で油絵を学んだ後、同校で助手としてオーソドックスな油絵の教育に従事しました。しかし志すところあって、中国本土に渡り墨彩の本格的な研鑽に入りました。そして今は、自然の形姿に拘泥する在来の墨絵の伝統を超えて、直感から得た観照を大胆かつ繊細に表現しています。



 わたしは工藤画伯の創作世界を味わって、「芸術とは自然の模倣である。」と述べたアリストテレスの表現を思い起こしました。つまり画伯は、自然という芸術家の創作活動そのものを模倣していると感じたのです。たとえば、神代桜を神代桜らしく描くというのではなくて、神代桜を生み出して楽しんでいる自然の営みそのものを画伯は模倣しています。あるいは、マイケル・ジャクソンをマイケル・ジャクソンらしく描くというのではなくて、マイケル・ジャクソンをマイケル・ジャクソンとしている生命の営みそのものを模倣しています。その意味で、画伯はまさに現代美術家でした。





 西洋と東洋が結合し、人類の普遍的なネイチャーが表現されていました。そしてその美世界が、工藤画伯が墨彩の研鑽に励んだ黄山を想起させる山、瑞牆山を仰ぐ地にあることは仕合わせなことです。



 政治家の器は芸術・文化に対する理解力で測ることができるとわたしは考えています。それについて日本政府は中国政府よりも数段低いと画伯は言われていました。伺ったところによると、創作活動を継続していくうえで、制作環境にいくつかの問題があるようです。

 画伯が心置きなく制作に打ち込めるよう、また日本・山梨県・北杜市がこのような才能・世界を活かすことができるようにと心から思いました。