わたしのブログをご覧いただき、有難うございます。

 

 4月上旬にウクライナ政府がロシアのプーチンを非難する意図の動画をツイッターに投稿し、そこにヒトラー・ムッソリーニと並んで昭和天皇の写真が登場したという経緯がありました。
 その後、そのことを日本の一部の団体や人々が問題視して抗議したために、ウクライナ政府はその動画を削除しました。

 以来、ウクライナ政府の「昭和天皇とムッソリーニ、ヒトラー」写真掲載問題は心に引っかかっています。


 わたしはこれまで生きてきて、日本社会はムラ社会であり、その構造に接木することによって天皇制は強固な基盤を得たという理解を持っています。「しかし、そのような日本の特殊事情を理解してもらうことを、世界中に求めていくことは、今後わが国が国際社会の中で生きていく上で、本当に現実的なのだろうか。これはあまりに複雑で、通常の近代的な法の感覚からは懸隔のある議論なのではないだろうか。逆に、私たちはそのような水準で、他の国家の特殊な事情を理解して配慮した行動を取れているのだろうか。」という著者の問題提起は重要だと思ったことが、わたしがこれを紹介する第一の理由です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e2a4dcd18d97e95245c03acdc56509cdfc954152


 それからもう一つの理由として、「しかし歴史的な経緯を見る場合に、日本の周辺の国家は、日本が復興して再軍備を行うことを強く警戒していた。アメリカがそうなった場合の対処を行うという保障を行ったことで、日本の国際社会への復帰が許された経緯がある。」という指摘があります。


 「日本が復興して再軍備を行うのではないか?」という国際世論の警戒を解く上で一番の問題は、天皇の扱いでした。日本軍は天皇の軍隊(皇軍)であり、昭和天皇はその大元帥でしたから、天皇制を戦後に存続させれば、再び天皇を中心にして軍国主義が台頭するとの警戒があったからです。

 この警戒を解いて日本が国際社会に復帰するために、天皇を残すとしても、政治的実権なき儀礼的君主としてのみ存続させるだけでは足らず、いわばバーターで戦争放棄を憲法で誓うという形を取らざるを得ませんまでした。要するに、天皇制を存続させる代わりに、戦争を放棄することを世界に誓って、日本は国際社会への復帰を認められた訳です。

 現在、憲法第9条を改憲することが議論されていますが、第9条が書き込まれた経緯を考えるなら、第1章天皇と第2章戦争放棄の関係について議論されなければならないと考えます。

 そうしないと、相変わらずわたし達は、日本社会の内うち(「ムラ内」)の考えだけで判断し事を進めてしまうことになるでしょう。

 それは「日本の特殊事情を理解してもらうことを、世界中に求めていくことは、今後わが国が国際社会の中で生きていく上で、本当に現実的なのだろうか」という冒頭の問題提起に繋がります。


 他者は自分の鏡です。他者を通して映し出された自身の姿を点検することは、反省です。反省のないところに進歩はありません。

 その意味で今回の出来事はわたし達にとって大切な機会と考えて、取り上げました。

 

 最後までお読みいただき、有難うございました。