9月7日、歴史学者の色川大吉さんが亡くなられた。

 色川さんといえば、自由民権運動の研究や自分史執筆の提唱で有名である。

 そんな色川さんを意識したのは、色川さんの著作集の月報にわたしの恩師である故・後藤総一郎が文章を寄せていたからであった。学部生の時に読んだその内容は忘れてしまったが、同じく民衆史を研究する者としての共感と敬意が込められていたと思う。「歴史は英雄やエリートのものではない。無名の民衆がつくっていくのだ」。それが、民衆史の根底にある歴史観だった。

 色川さんの学問は、民衆史から思想史、運動史、自分史など一つの枠にはまりきらないスケールを持っていたが、その基底にあったのは戦争の時に味わった不条理な体験だった。

 色川さんが発見した「五日市憲法草案」を読むと、140年前の日本人の知的熱意と水準の高さに驚かされる。翻って、現在の私たちはどうか。それだけの熱意と知的真摯さをもって憲法を考えているだろうか。立憲主義が簡単に踏みにじられている政治状況を見ると、とてもそうとは思えない。

 しかしそんな時代においても色川さんは希望を捨てなかった。「あきらめて投票を棄権するのではなく、投票して、その後の歴史がどうなるか、その成果を自分で体験してほしい」という色川さんの言葉からは、歴史とは生きられるものだという彼の信念を感じる。それをどのように引き継いでいくのか、今や実際の活動に踏み出したわたしは探っていきたいと思う。

 最後に、晩年の色川さんにお会いできたことは幸運だった。御自宅を訪ねた時、陽だまりのなか活発に話された色川さんのお姿が忘れられない。

 合掌。