人間が最終的に目指している幸福とは何だろうか?それは、自分にとって貴重な人と出会い、その人とどれだけ豊かな時間を過ごせるかということだとわたしは思う。そんなことを確信させられるような出会いをいくつか持ってきた。一昨年に亡くなられた戸田三三冬さんとの出会いもその一つである。

 

 わたしが戸田三三冬さんに初めて会ったのは、『日本アナキズム運動人名事典』の完成記念会だった。「乾杯!」とイタリア語で力強く音頭を取っていたのが印象的だったが、その時自分はまだ大学院生で、戸田さんに積極的に近づいていくのは恐れ多い気がし、名刺の交換をしただけでその場は終わった。

その後、ちょうど出版したばかりだったわたしのデビュー作『大杉榮の思想形成と「個人主義」』を郵送で献呈したが、何の反応もなくて、彼女との関係はそれっきりになっていた。

それから一年ちょっと過ぎた頃だっただろうか。一枚の便箋が届いた。差出人を見ると、「戸田三三冬」とある。封を切ると、返事の遅れを詫びる言葉とともに、『大杉榮の思想形成と「個人主義」』読了し、感動しました。」「大杉の『社会的個人主義』に立つ反逆は、平和学に私が応用している『構造的暴力』の『内面化』への闘いともつながるように思います。」と書いてあった。

当時わたしは博士論文の執筆に掛かっていたが方向性を見いだせずに苦しみ悩んでいた。それだから彼女の言葉は嬉しかった。また「構造的暴力」という語も初めて見るもので、それが大杉の反逆とつながるという言葉には研究のヒントを見る思いもした。それで彼女が別送してきた平和学の本を貪るように読んだ。

その後彼女にお礼と感想の返事を書いて送ったら、後日電話がかかってきた。「今、布留川信というアナーキストの蔵書の整理をしている。何人かでしていて、あなたも会わせたいからこないか」という話だった。

「わたしにとって欠くべからざる出会いである」と言う勢いであったので、博士論文にもがいていた自分は気分的には乗らなかったが、訪ねてみた。するとそこには戸田さんの他三人がいて、その中にはOさんやKさんもおり、初めて知己を得た。

ひと作業終わった後、皆で鍋を囲んだが、戸田さんの料理の腕は見事で、彼女の取っていた「大地を守る会」の美味しい食材と相俟って、孤独だったわたしの心と胃袋を一杯に満たしてくれた。

その後、定期的に彼女のところに御邪魔して、布留川さんの蔵書の整理をしながら交流した。その雰囲気はとても温かく、わたしを柔らかく包んでくれるようだった。そこで彼女はよく布留川さんのことを話してくれたが、その話を聞きながら「大杉たちが共に過ごしていた空気と場所とはこういうものだったんじゃないだろうか」とよく思った。いま共に過ごしている場によって、布留川さんについて戸田さんの話されていることがありありと伝わってきたのであった。それは共同性と自由の不離一体の関係であり、平たく言えばアナーキズムの核心には「居場所」があるということだった。

しかしそんな訪問も長くは続かなかった。通い始めて一年ぐらい経った頃、戸田さんは脳梗塞を再発されて倒れられたからだった。その後、幾度か御見舞いにいこうとしたが、「とても面会できるような状態ではない。気持だけ受け取らせていただきたい」という御連れ合いの意向もあって、叶わなかった。

戸田さんと出会ったことによって初めて、わたしはアナーキズムの魂を知った。それによって博士論文の執筆をスタートさせることが出来たといっても過言ではない。

戸田さん、有難うございました。御冥福を心からお祈りします。