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 一昨日は、生涯学習センターこぶちざわに広島から楾(はんどう)大樹弁護士をお招きし、「檻の中のライオン in いま子どもにおとなが伝えたい、憲法の話」を開催しました。

 

 

 檻を憲法に、国家権力をライオンに喩えて話す楾さんの講演は、分かりやすいと評判で、全国各地で開催されています。一昨日は通算383回目の講演でした。

月に話を受けてから約1ヵ月半という長くない準備期間の上、当日は3連休の中日で農繁期にも当たります。「広島からきていただくのに、空席だらけだったらどうしよう」と心配しました。しかし朝早くから100名近くの人が参加され、また大勢の方のお手伝いもいただいて、無事に催すことができました。有難うございました。

 

 

 「講演時間をできる限り長く取りたい」という楾さんの要望により、わたしの挨拶は手短に済ませてさっそくお話をいただきました。

 憲法についての楾さんの考えは明快で、憲法を「個人の尊重」という目的に向かって組み立てられた、立体的な一つの構築物と見なされていました。それを時に自民党の改憲草案や小学校の教科書と対照させながら説明されていきました。

まず、「人権は『生まれながらにして自然に与えられている』」という自然権の考え方に日本国憲法は基づいているという箇所(11条、97条)から始めて、個人の尊重を説かれました(13条)。

 

 

怖かったのは、2012年に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」の条文が次のように書かれていたことです。

「第13条 全て国民は、として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」

これについて日本国憲法では次のように書かれています。

「第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

「みんなの幸福」という意味の「公共の福祉」が、自民党草案では「為政者の利益や秩序」を意味する「公益及び公の秩序」に変えられていたことはよく知っていました。しかし、「個人」が単に「人」とされていたことについてはあまり知らなかったと反省しました。個人を「人」に変えてしまうことは重大な変更です。「人として尊重される」というのと「個人として尊重される」というのでは、意味内容は異なるからです。「人」は一般、「個人」は個別です。分かりやすく言えば、日本国憲法は「すべて国民は、個性として尊重される」と書いているのです。

さてここで楾さんは皆さんに次の質問を投げかけました。「憲法というルールを守らなければいけないのは誰?(次の中から選んでください。)」

「①国民みんなだ!

 ②国民みんなじゃない!」

答は②で、憲法を守らなければならないのは、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員ですが(99条)、3分の2ぐらいの出席者が①を選んでいました。但し、それも無理ないのかもしれません。何と小学校の教科書では次のように書いているからです。

 

 

実を言えば、講演の中でわたしが最も驚いたのは、憲法についての小学校教科書の論述でした。基本的人権は生まれながらにして自然に与えられていると憲法に書かれているにもかかわらず、教科書では人権が国民としての義務と等価のものとしてセットになって説明されているのです。これでは人権についての理解が社会に広がらない訳だと納得しました。人権は他の何物とも較べられない、等価交換の効かない、固有の個人の権利であると憲法に明記されているのに!

法律は国民が守らなければならないものですが、憲法は権力者が守らなければならないものです。憲法は、「政府がしてはいけないこと、政府がしてもいいこと、政府がしなければならないこと」について書かれた、政府と主権者である国民との約束(社会契約)です。そしてその約束(憲法)に基づいて政治を行うことを立憲主義といいます。それだから、憲法はすべての法律の上位に立つ最高法規なのです。

わたしたちは憲法(という檻)によって、国家権力(というライオン)から守られています。そのことを意識せずにわたしたちが暮らせることこそが、憲法という檻があるお陰なのです。

 

 

そういうことを、楾さんはパペットと檻の模型を使い、軽妙な語り口でもって話してくれました。

 

 

それから、三権分立についての小学校の教科書の説明にもわたしはぶったまげました。

 

 

三権を分立させる理由は、権力の集中を防いで分立させ、そのことによって相互に牽制監視し合うチェック&バランスにあります。それなのに、それを単に役割分担と書いているのです。学校教育からしてこれでは、憲法について国民が正しい理解を持てるはずもありません。思わず呻いてしまいました。

講演の内容は、国民主権、平和主義、自由権、法の下の平等、表現の自由、知る権利、社会権、硬性憲法、違憲審査制、憲法改正、国民の不断の努力など、言葉にすると難しそうですが、時事ネタも用いた平明なお話で、時間半があっという間でした。

 

 

その中でも、「ライオンは情報を隠してはダメ」という知る権利の話は、森友・加計学園問題を始めとする現政権の隠蔽・改ざん問題に関わり、特に印象に残りました。

考えてみれば、憲法とは政治の領域を定めたものなのかもしれません。楾さんによれば、憲法は力士が相撲を取る際の土俵のようなもの。「右」の力士、「左」の力士いずれを応援するかは人それぞれ自由ですが、力士は決められた土俵の上で相撲を取らなければなりません(政治を行わなければなりません)。その土俵が憲法です。

楾さんは、「今日は政治的思想信条の違いを超え、『土俵』である憲法の仕組みについて知っていただきたい」、という前置きをして講演を始められました。そして最後に、「右か左かは人それぞれですが・・・上と下がひっくり返らないように!」ということを強調されました。何でも楾さんの著書『檻の中のライオン』は、下書きの段階で「日本会議」の人にも読んでもらい、オーケーをもらったそうです。左右含めて自由な言論を保障する憲法というみんなの共通のテーブルを、ライオンが今壊しているという状況を何とかしたいというのが、楾さんの根底にある問題意識であると思いました。

 

 

それだからでしょうか。終わりに、楾さんは「この場所にいない人こそ、この話を聞く必要がある。そして、『知る考える行動する』という過程を一人一人が実践していくことが大切。参加者が次は主催者になるという連鎖が全国各地で起こって今日を迎えた。次はみなさんが主催者になって欲しい。」と訴えられました。

 

 

確かに、市内市立の全中高校にビラを配ったのにもかかわらず、関係者がほとんどこなかったのは残念でした。楾さんも言われた通り、当日この会場にこられていなかった人にこそ、聞いていただきたかった内容でした。

しかし楾さんの願いは出席者には伝わったようです。憲法の学習会をしたいという声が、帰られる人から聞こえていました。

憲法改正の国民投票が行われる前に、憲法について知るための啓発活動を行うことは大切です。その意味でこの企画は、立憲デモクラシーの実現を目指す市民政治の理念とも密接な関係にありました。

最後に、当日のアンケートから出席者の感想をお伝えします。

「憲法を守らなければならないのは権力であること」

「『憲法を守るのは国民だ』と思っている人が多いことに驚いた」

「憲法の捉え方が間違っていたことを自覚できた」

「飽きない運びでよくわかった」

「中学の社会の授業で憲法について学びました。私の周りには基本的な知識のない方ばかりです」

「私たち一人ひとりが憲法を理解して、憲法を守るため声を上げていかないと、と思いました」

「すでにこれ程檻がガタガタということ、クリアーに知らなかった私!知る大切さ!不断の努力の大切さを実感!」

「この場所に来ない人に今日のお話を広めたいです」

「政治に対する見方が変わると思う」

「定期的に開いてもらいたい」

きっとこの熱気は新たな波紋となっていくことでしょう。

わたしも講演会の熱気を記念して、真っ赤に燃える檻ライTシャツを買いました(笑)