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 毎週、タウンミーテイングと呼ぶ対話の会を開かせていただいていますが、昨日は白州総合会館で催しました。

 

 土曜日の10時からにもかかわらず、大勢の方がいらっしゃいました。

 白州で生まれ育って住んでいるという年配の方は、「祖父の戦争体験を飛矢﨑さんが政治家としての原点にしているというところに惹かれてきた」と言われました。

 「政治に無関心でいることはできるかもしれない。しかし誰も政治と無関係でいることはできない」ということは、わたしが政治を意識した始まりです。そのことをわたしは、祖父から、戦争から学びました。祖父はただ絵の好きな青年でしたが、そんなこととはお構いなく、政治から迫られて戦場へと向かわせられたのです。そのことからわたしは、「『政治に無関心に暮らしていたら、ある日とんでもないことになっていた』、ということがあるんだ」と幼心に思ったのでした。

 

 そんな話題から対話は始まりましたが、その中で最も話題になったのは、「どうして飛矢﨑さんは無所属で立候補するのか?」ということでした。

 これはもっともな疑問だと思います。選挙制度が小選挙区制に変わって以来、人物で判断して投票するよりも政党で判断して投票するという傾向が高くなっているという事実もあります。

 しかしそれによって、政治が良くなっているかというと、必ずしも両者の間に正比例の関係はありません。現在の小選挙区比例代表制が導入された1995年以降、日本の政治が良くなったとか、政治家の質が高まった、と躊躇なく言える人は少ないのではないでしょうか?

 そんなことから、政治の現場に携わってきた友人の言葉などを紹介しながら、「政治は人物に還元される」という基本を話させていただきました。現在の政治制度において、政党が無視できない組織であることは間違いありません。しかし、わたしたちがどのような政治や組織を築くかは、わたしたちの能力と努力とに関わるものです。組織といい制度といい、それはあくまでも人間と人間との接触を具体化したものにすぎません。政治とは複数の違いをもった人間がいなければ始まりません。人がいなければ何も始まらず、大事なことは人に帰着するのです。だからこそ政治とは究極の自己実現なのです。組織は残りません。最後に残るものは人です。それ故わたしはまずは無所属として出発し、政治家としての人物を磨いていきたい、と話させていただきました。

 そうしましたら皆さん疑問が解け、あとは活発な発言が続きました。そして最後はやる気百倍という感じで帰られました。

 

 実は、「どうして飛矢﨑さんは山梨県議会議員選挙に立候補するのか?」という質問も出て対話が交わされたのですが、その理由については別に機会を設けてお話ししたいと思います。