小池百合子東京都知事がカイロ大学卒業の詐称問題で再び俎の鯉になっている。元側近の小島
敏郎氏(元環境省審議官、2016年に都の特別顧問就任)は小池知事がカイロ大学を卒業したと
する文書は、都知事選挙直前に『女帝小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋、2020年5月)が出
版された直後の6月に小池氏から相談を受け「カイロ大学から声明を送ってもらえばいいので
は」と助言したことによると言っている。小島氏は「私は偽装工作に加担してしまったのでは」
と述べている。もっと早く、小池百合子が都知事に再選される前に証言してもらえたら都民、社
会のためにはベストだったのだが。
友人の藤倉は、「俺は貴様のようにあらゆる努力を捧げたいなどとは、はじめから思っていな
い」と反軍(戦)的な気分ちを露わに告げた。こうした反戦的な青年が今後どうなるのか?
2月22日の日記。各分隊対抗の棒倒しがあった。なぐってもよし、蹴ってもよし、死んでもよ
しという、すさまじい競技で、事実昨年は当隊でも死人を出したということである、と棒倒し競
技に触れている。(海軍)兵学校の少年の真似ができるか、馬鹿馬鹿しい、などという意見もあ
ったが上半身裸体、跣(はだし)になって整列、笛が鳴ると、大部分の者は闘犬のように闘志を
燃やした。いったいに何かにつけて江田島(海兵)の教育の真似ごとをわれわれに押し付けて来
る、とあるように棒倒し競技も海兵の物真似だったようだ。こうした江田島教育の押しつけにみ
んなが少しづつ反感をいだくようになった。まして兵学校でのれっきとした大佐が公用の飛行便
で霞ケ浦のわかさぎを家郷に送らせているのを知っているのでなおさら反感を覚えるのだと。
戦後の小学校(昭和30年代)でも高学年になると(いや中学校だったか)運動会にまだ棒倒
し競技をやっていたのを記憶している。もちろん上半身裸ではなかったし、蹴ってもよし、殴っ
てもよしということはなかったが。赤組と白組と別れて相手チームの棒を倒した方が勝ちとな
る。屈強な何人かが棒を立てて倒されないように身構えているところに相手チームの攻撃隊が突
っ込み倒そうとするのだから、あいての防御隊の上に乗っからなければならないので、かなり乱
暴な協議だった。競技が始まる前に両チーム横一列に整列して「勝ってくるぞと 勇ましく 誓
って故郷を 出たからは~」と露営の歌を口ずさんだような気がする(この辺は記憶がちょっと
曖昧になっている)。その途中で笛だったかが鳴るとワーっと一斉に相手陣営に殺到する。棒倒
しというのは海兵の競技だったとはじめて知った。このように団塊の世代はまだ軍国主義の残滓
のなかで教育を受けていたことになる。一方では、戦後の民主的な憲法も学んでいる。
ちなみに「露営の歌」は古関裕而が1937年に作曲している。この年の12月に南京が陥落し、
日本各地で提灯行列や旗行列などの祝賀行事が行われた。この歌の最後は「鳴いてくれるな草の
虫 東洋平和の ためならば なんの命が 惜しかろう」と、日本の隅々までが戦争一色に染ま
っていた。作詞、作曲家まで戦意高揚に動員されてしまったのだ。