秋元康の1986年――「夜明けのMEW」(小泉今日子)における助詞のワザ
ネットに、次のようなブログがあった。――「1986年の秋元康」を代表する作品として、小泉今日子『夜明けのMEW』があると思います。――という一文があった。⇒ たしかに、気になっていた曲(筒美京平作曲)であり、歌詞(秋元康作詞)でもある。(以下、⇒は、ひうち)以下引用。ーー歌い出しからして素晴らしい。1番と2番の歌い出し。♪ パジャマ代わりに 着たシャツ ベッドのその上で 君は仔猫の姿勢で サヨナラ 待っている♪ シェイドを開けた分だけ 陽射しが射すように 君が強がり言っても 今なら 見えるのさまた、「♪ 終わらない(眠れない)夏」も、途方もなく切ない初夏の夜の情景をくっきりと表していく。⇒ ええっ。「初夏」ですか?そして、「同類項フレーズ」の頂点が、助詞1文字の変化で、意味を180度反転させる次のフレーズです―― 「♪ 君を(が)すべて知っていると思っていた」。 「♪ 君を(が)すべて知っていると思っていた」。「を」と「が」だけで、失恋につながる男の浅はかさのすべてを言い尽くしていると思いませんか?ーー⇒ こう、おっしゃるのだが、「を」「が」は、発見ではなく、当然の技法だろうに。 その前のフレーズ、「愛をごめんね 愛をごめんね」の助詞=「を」を、なんだと考えるのかが重要だと思うのだが。⇒ わたしに言わせれば、この「愛」「を」「ごめんね」の繰り返しが、すごい技だと思えた。ゆるいサビのはじめに、「愛の方向不明な謝罪?」が、霧の中の「別れ」(愛っていったいなんだったんだろう)の不思議さがあるように思える。⇒ A,Bメロの「ナラティヴなディテイル描写」。そして、詞の語り手のわたしは、男、のようだが、キョンキョンが歌うところにやや倒錯した感情が密入する。「ごめんね」といっているのは男のわたしなのだろうか?⇒ ここにも、「余白」「謎」(作品が作詞家から離れて聴き手の解釈にゆだねられる)の技巧がいきている。⇒ MEW=ミュウもそうだ。 ネコの鳴き声というよりも、わたしたちの二人の空間の声は MEW MEW …と。⇒ それは泣き(啼き・哭き・鳴き)声での交情ができたことへの感傷なのかもしれない。夜明けのMEW/kyouko koizumiwww.youtube.com⇒ 引用した作者とは、別の意味で、「1986年の秋元康」が気になるのである。 【ひうちくん】