名建築を歩く「牛久シャトー」 国産ワイン黎明期の文化遺産(茨城県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ59

牛久シャトー(旧シャトーカミヤ)

℡)029‐873-3151

 

往訪日:2024年2月3日

所在地:茨城県牛久市中央3-20-1

開館時間(無休)

記念館:10時~16時

ショップ:10時~17時

レストラン:

(L)11時30分~15時

(D)17時30分~21時

入場料:無料

アクセス:圏央道・つくば牛久ICから約15分

駐車場:最大300円(約280台)

■設計:岡田時太郎

■施工:不明

■竣工:1903年

■国登録有形文化財(2003年)

■近代化産業遺産(2007年)

※撮影OKです

 

《ネオルネサンス様式の美しい旧事務室》

 

ひつぞうです。二月初めに茨城県の牛久シャトーを訪ねました。牛久の観光資源は大仏だけと思っていませんか。実はここ明治の建築家・岡田時太郎が設計した登録有形文化財なのです。内部は日本初の本格ワイナリーの資料館やレストランもありました。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

そもそも牛久シャトーを知ったのは軽井沢の旧三笠ホテルに興味を持ったことに始まる。アメリカ・ジョージア様式を模した木造二階建てのホテルは政治家や文人に愛好された。

 

 

興味の対象が設計技師・岡田時太郎(1859-1926)に移るのに然して時間はかからなかった。だが判る事といえば近代建築の父、辰野金吾の教え子で同郷の唐津出身ということだけ。作品は殆ど残っていない。その貴重な作例が牛久シャトー(旧シャトーカミヤ)だった。その名を見た瞬間、浅草の神谷バーと関連を直感した。間違いない。シャトーカミヤは神谷バーを開いた神谷傳兵衛による日本初の本格ワイナリーだった。

 

★ ★ ★

 

この日は快晴の予報。やはり名建築探訪は晴れの日に限る。自宅から圏央道経由で牛久の街に降り立った。遠く大仏の姿も見えていた。

 

 

間もなく立派な門構えのシャトーが見えてきた。正面に有料駐車場がある。最大300円なので安いもの。時間前だが守衛もおらず、自由に入れるみたいだ。

 

【園内案内】

 

園内は有形文化財の本館(旧事務室)、神谷傳兵衛記念館(旧発酵室)、レストラン(旧貯蔵庫)に、シャトーを管理するオエノン・ホールディングスを紹介するミュージアム、そしてショップからなる。本館以外は自由に見学、および利用可能だ。

 

 

クリーム色の時計塔がシンメトリーを崩す凝った意匠。ブドウ蔓の鏝絵も色鮮やか。東日本大震災で漆喰が崩落するなどの被害を受けたため、2016年に2/3の国庫負担を受けて修復している。漆喰にくすみがないのはそのためだろう。

 

 

このアーチを潜るとサンクンガーデン(中庭)に通じる。

 

 

同じ場所で撮られた写真だ。内扉が外されただけでほぼ昔のまま。中央にカンカン帽姿の紳士が東伏見宮依仁親王(1867-1922)。大正初期のものだ。傳兵衛翁は左から四人目。

 

 

事務室は見学不可。ドアの上に注目。ブドウのステンドグラスにトンボの鏝絵。

 

 

反対側もアンティーク調のドア。岡田は自ら建設会社・岡田工務所を興して大連に進出した。だが、大正15年に病で客死。66歳だった。国内に作例が殆ど見られないのはそのせいかもしれない。

 

 

中庭中央に噴水が設えられ、正面に醸造室が両翼を広げていた。

 

 

右手前にショップ。ここでワインやクラフトビールや食品が買える。もちろん電気ブランも。

 

 

隣りにチャペルも。ただ現在は使われていない。想像だが、以前はここで結婚式もあげることができたのではないだろうか。2016年の大修復後も客足は鈍く、2018年に飲食と物販事業から一度撤退している。しかし、復活を望む地元の声は大きく、2020年に勝沼の宮光園とともに日本遺産に認定。レストラン復活はつい最近のことだった。

 

 

旧貯蔵庫のレストラン。予約なしでも大丈夫だった。

 

 

中庭から事務室を見返す。

 

 

では神谷傳兵衛資料館へ。

 

 

旧発酵室。総煉瓦造りだ。

 

 

一階はワイン樽の貯蔵施設なので採光窓は円形で位置も高い。

 

 

入り口はここ。

 

 

「圧巻だのー!」サル

 

滅茶苦茶巨大!

 

 

二階が資料室だ。

 

 

かつてこの場所が搾汁室だった。120haの広大なブドウ畑からトロッコ列車で運ばれてきたブドウは、この二階開口部から重機で搬入されて搾汁。床の小窓(床の両端に矩形に蓋で閉じられた箇所)から一階の発酵桶に流し落とされて発酵のステップに移行する。国内唯一の貴重なシステムなのだそうだ。

 

まずは神谷傳兵衛その人の事績から。

 

 

神谷傳兵衛(1856-1922)。三河国松木村(現西尾市)出身の実業家。貧しい家庭に生まれ、横浜、東京の酒販店で丁稚生活を送る。その後、蓄財を元手に浅草にみかはや商店(のちの神谷バー)を開業。カクウチのような商売だった。傳兵衛の才能は輸入ワインと蜂蜜を合成した蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)で開花。日本人の味覚にあい、忽ち大ヒット。その後、国産ワイン醸造を目指して牛久醸造場を建設。勝沼と並ぶ二大国産ワイナリーに成長した。

 

「勝沼は判るけど茨城が国産ワイン誕生の地とはね」サル

 

殆どの人が知らないんじゃない?

 

 

蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)、のちに蜂ぶどう酒の名前で親しまれる傳兵衛のワインは嗜好品というより滋養強壮の薬という位置づけだった。

 

 

何しろ国産ワイン=蜂ブドー酒と言われたほど。後発のサントリーの鳥井信治郎は「打倒!蜂ブドー酒!」を掲げて赤玉ポートワインを生み出した。

 

 

戦後、神谷葡萄園は農地改革で小作地に割譲された。他方、会社は傳兵衛が旭川で多角化を進めた焼酎製造の合同酒精㈱が主力となり、オエノン・ホールディングスとなって今に至っている。

 

「戦争がなければ嘗ての規模だったのかにゃ」サル

 

歴史にもしもはないしね。写真で振り返ってみよう。

 

 

明治35年頃。本館を建設中。もう醸造場は完成している。

 

 

明治36年10月。遂に完成。

 

 

1905年頃。完成後のシャトー。手前にできたばかりの葡萄の垣根畑がある。

 

「牛も飼われていたんだ」サル

 

ここから記念写真のオンパレード。

 

他にも面白い人物、著名人の写真もいっぱいあったけれどキリがないので適当にあげてみる。

 

1905(明治38)年 財政の父・松方正義公爵一族とともに

 

前列右から二人目の白髪口髭の人物は松方正義。ま、見れば判るよね。松方財政で近代資本主義を確立した有名人だもの。左隣が夫人。更に両脇を固めるのは長男・夫妻だ。その弟は川崎造船(現川崎重工業)の社長で近代洋画の松方コレクションで有名な松方幸次郎だね。

 

「傳兵衛さんは?」サル

 

中央が傳兵衛さんだよ。キム兄に似ていると思うのは僕だけか。

 

1905(明治38)年 日露戦争後に要人たちとともに

 

中央のダンディなマント姿の人物は日露戦争の陸軍大参謀・児玉源太郎。この写真は日露戦争終結直後に撮られたそうだ。その右隣りはのちの総理大臣・清浦奎吾。更に右には時の茨城県知事・寺原長輝。キム兄はやはり中央に。

 

「つか、なんでこんな偉い人ばかり来るの?」サル

 

本格的な晩餐会が催せる場所、しかもワインつきって国内にはここだけだったはずだからね。

 

1906(明治39)年 陸軍大将・大山巌とともに

 

この時、傳兵衛50歳。とても50歳とは思えない貫禄だな…。ちょっと怖くね?

 

「真ん中の人も威厳があるにゃー」サル

 

この人物が大山巌だよ。因みに左端が傳兵衛の懐刀で宣伝マンの近藤利兵衛。その右が二代目の神谷傳蔵だね。

 

「おとなしそう」サル

 

養子だったんだ。傳兵衛さんがあまりにも存在感ありすぎなんだよ。

 

 

1911(明治44)年頃。順調に育っている。手前は現在の駐車場のあたり。

 

「道路の位置は変わっていないね」サル

 

 

当時の除梗機。

 

ワイナリーが軌道に乗ったあと、傳兵衛さんがやったこと。それは…

 

 

1912(明治45)年。ついに神谷バー落成。もちろん主力商品は電気ブラン。

 

「こんなだったんだ」サル

 

 

明治19年の蜂印香竄葡萄酒

 

 

こちらは蜂ブドー酒

 

傳兵衛は広告のためにはカネを惜しまなかった。これはライバルの寿屋(サントリー)も同じ。

 

1924 (大正13)年 片岡敏郎デザイン

 

伝説のコピーライター、片岡敏郎(1882-1945)デザインの広告。この翌年から一連のスモカ歯磨のデザインで一世風靡する。しかし、一番記憶に残るのはこれ。

 

(参考)

(大正11年 片岡敏郎・井上木它デザイン)

 

日本初の国産ヌードポスターだね(厳密には裸ではない)。

 

当時片岡敏郎は寿屋の宣伝部長だったんだ。

 

「その後ライバル会社に移ったのきゃ」サル

 

後発のサントリーから雇ったことになるね。

 

 

漱石の似顔絵でもお馴染みの岡本一平画の絵葉書。

 

当時一流の挿絵画家がデザインした絵葉書がセットで販売された。

 

 

明治45年頃に使用されたルミアージュ架台。二次発酵用のシャンパンも造っていたんだね。

 

 

以上で終わり。基本的に写真やパネルでの説明。どんなに時間をかけても1時間あれば充分。

 

「また一階に戻るんだの」サル

 

 

一階奥が醸造所。現在は園内と駐車場脇に僅かな垣根畑を残すのみ。基本的に山梨県の契約農家から葡萄液を購入している。畑はシャトーの呼称を維持するためなのだろう。

 

 

その脇はバリック樽の保管室になっている。

 

 

=オエノンホールディングス・ミュージアム=

 

 

次に向かったのはオエノンミュージアム。

 

 

ワインの女神オエノから社名を取ったそうだ。

 

 

主力商品は大州居酒屋御用達の甲類焼酎ビックマン。ヒット商品では紫蘇焼酎の鍛高譚もあった。

 

ということで11時になったのでレストランで食事することに。

 

 

=レストラン《キャノン》=

 

 

重要文化財で食事だ。

 

 

滅茶苦茶おしゃれ。コースランチを頂戴した。

 

「飲んでよい?」サル ←お約束のセリフ

 

 

スパークリングワイン(900円)で乾杯!

 

=前菜=

 

 

牛タン 根セロリと西洋ワサビのソース

 

 

コーンスープ

 

 

牛久シャトー醸造 マスカットベリー A2022F+

 

二代目傳蔵の故郷、山形県産ぶどうを使った早飲み系。ベリー香の軽い赤。

 

 

=主菜=

 

「おサルはお魚」サル

 

 

真鯛のポワレ アサリ バターとレモン風味

 

 

フィレ肉のグリル カブ ブロッコリー 椎茸

 

 

デザートは苺とホワイトチョコのケーキで。

 

「御馳走様ですた」サル

 

 

まだ冬枯れた季節だったが、園内には200本のソメイヨシノが植えられている。桜の開花シーズンは賑わったことだろう。

 

 

その読みは満更外れてはいなさそうだ。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。