特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(東京国立博物館・平成館) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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特別展「本阿弥光悦の大宇宙」

 

往訪日:2024年2月2日

会場:東京国立博物館・平成館

所在地:東京都台東区上野公園13‐9

会期:2024年1月16日~3月10日(月曜休館)

開館時間:9時30分~17時

観覧料:一般2100円 大学生1300円 高校生900円

アクセス:JR上野駅から10分

※撮影NGです

※終了しました

 

(※ネットより写真を数枚拝借いたしました)

 

ひつぞうです。二月初めに東博・平成館で開催された特別展を訪ねました。本阿弥光悦(1558-1637)といえば国宝・舟橋蒔絵硯箱。しかし、知っている事と言えば家康の許しを得て京都・鷹峯に工芸家の里を造ったことくらい。全貌を振り返るには好い機会でした。以下、備忘録です。

 

★ ★ ★

 

いつも大混雑の東博。それを見越して平日の朝一番に訪ねることにした。開場30分前で凡そ30番目。読みは正しかった。ところが開門と同時に大半がもうひとつの特別展「中尊寺金色堂」に散っていく。さすがの光悦も金色堂には適わないらしい(殆ど一番乗り。静かに鑑賞できてよかった)。

 

展示は四部構成。本阿弥家の本業である刀剣。おなじみの蒔絵。そして光悦様式の。最後に傑作揃いの光悦茶碗が紹介される。

 

ところがである。

 

国宝 本阿弥光悦 作《舟橋蒔絵硯箱》(17世紀)

東京国立博物館蔵

 

入場するなり、舟橋蒔絵硯箱が正面に構えていた。これは憎い演出。黒山の人だかり必定の傑作を最初に持ってきて、流れをよくしようという魂胆か。観る側にとっても四方から鑑賞できる。いいアイデア。

 

「硯箱ってふつう平らじゃね?」サル

 

亀の甲羅みたいだよね。この甲盛といわれる作風が最大の特徴。そして、金地の器面に鉛板を貼り付けて銀文字まで象嵌。斬新なうえに技術的にもかなりハイグレード。鉛板を立体加工して隙間なく貼り付けるのは至難の業。

 

「文字読めない」サル 崩し字むつかしい

 

『後選和歌集』に採られた平安歌人・源等(みなもとのひとし)の恋の歌らしい。

 

東路の 佐野の舟橋 かけてのみ 思ひわたるを 知る人ぞなき

 

よく見ると歌の文句から“舟橋”の二字が省かれている。既に舟の高蒔絵があるからだ。蒔絵に文字を組み合わせるアイデアは光悦の独創らしいね。

 

 

第一章 本阿弥家の家職と法華信仰

 

伝 本阿弥光甫《本阿弥光悦坐像》(17世紀)

 

これは光悦の養孫、本阿弥光甫の作と言われる光悦の坐像。簡潔に彫り出された福々しい表情と迷いのない鑿痕に名人の技が光る。そもそも本阿弥家は加賀藩主に認められた刀剣鑑定浄拭(錆落とし)が家業だった。

 

「もともと工芸家じゃないんだ」サル

 

そうなんだよ。因みに“折り紙つき”って言うでしょ。「折り紙」は刀剣鑑定書のことなんだって。

 

「刀剣用語だったのきゃ」サル

 

“極め付き”もそうだね。鑑定士の見極めがついたという意味。

 

僕ら素人には何が何だか判らないけれど、地肌波紋刀身反りの形状などで造られた時代や地域が判るそうな。とりわけ優れた地域を五箇伝(ごかでん)といい、大和、山城、備前、相州、美濃がそれにあたる。

 

「備前長船とか?」サル ぜんぜん判らんけどね

 

それそれ。

 

波紋や刀身などの分類研究を進めた結果、努力が報われて偉大な鑑定士一族になった。史書『本阿弥行状記』のなかに錆びた襤褸刀だと大名が見縊っていたものを名物と鑑定する場面が出てくる。しかし、本阿弥家は黙って安く買い取るケチな真似はしなかった。こうした鑑定の集大成が八代将軍・吉宗の命で纏められた『享保名物帳』だ。

 

 

郷義弘《名物 北野江》(14世紀)

東京国立博物館蔵

 

天下三作といえば(相州)正宗、(粟田口)吉光、そして義弘。この三人の名工のうち、義弘の銘入りは存在しない。つまり、すべて本阿弥の折り紙が根拠になっている。鑑定にあたっては一族の中でも意見が割れる場合もあったとか。

 

「プロでも鑑別は難しいんだの」サル

 

刀装《刻鞘変り塗忍ぶ草蒔絵合口腰刀》

 

 

重要美術品 志津兼氏《短刀 銘「兼氏」 金象嵌 花形見》(14世紀)

 

相州正宗の高弟10人を総じて正宗十哲と呼ぶ。兼氏もその一人。

 

しかし、光悦は家業よりも侘び数寄の世界にのめり込んでいく。そうした鷹峯の工芸職人の紐帯に一役買ったのが法華宗だった。

 

重文 《紫紙金地法華経幷開結》(11世紀・平安時代)

本法寺蔵

 

「随分古いにゃ」サル

 

光悦は『法華経』と開経の『無量義経』、結経の『観普賢経』全巻を菩提寺(本法寺)に寄進したと記録が残っている。その経文を納めた経箱がまた立派なんだよね。

 

 

第二章 謡本と光悦蒔絵

 

これがその経箱。信仰が創作の源泉だと言っても過言ではないだろう。

 

重文 本阿弥光悦《花唐草文螺鈿経箱》(17世紀)

本法寺蔵

 

カサガイの仲間の青貝を薄く剥がして、その裏面に彩色した細片で螺鈿を施す。超絶技巧だ。特に茎の部分など。

 

「よく折れないにゃ」サル

 

重文 本阿弥光悦《舞楽蒔絵硯箱》(17世紀)

東京国立博物館蔵

 

梨地に高蒔絵と螺鈿を施した江戸期細密工芸の頂点。

 

他方、観世流の謡曲を一冊に一曲掲載し、百曲分を木活字印刷で仕上げた豪華本が光悦謡本だ。とりわけ傑作の呼び声高く嵯峨本として珍重された。(呼び名は嵯峨の豪商・角倉素庵が出版に関わったことに由来する)

 

(参考)

本阿弥光悦《百番本謡本》(江戸・慶長年間)

 

料紙に雲母を刷り込んで、淡い染め色に繊細な文様を浮かび上がらせている。デザインが螺鈿のそれと酷似していることに注目しよう。

 

(同上)

 

この流れるような光悦の筆致。まるで女手のようだ。スポンサーの素庵もまた光悦に書を学んだ能書家だった。光悦謡本の一大コレクションは法政大学鴻山文庫に寄贈されている。

 

 

第三章 光悦の筆線と字姿

 

光悦は近衛信尹(このえ のぶただ)、松花堂昭乗とあわせて寛永の三筆と賞讃された能書家だった。

 

重文 本阿弥光悦《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(17世紀)

京都国立博物館蔵(部分)

 

俵屋宗達の下絵(というには余りに豪華)に端正な崩し文字が連なる。

 

「楷書と草書と行書が混ざっているにゃ」サル

 

一番の特徴だね。更に文字に大胆な肥痩をつけてリズムを生み出している。行頭を揃えないのも光悦の工夫。

 

(同上)

 

三十六歌仙の和歌が連なる。左は山部赤人

 

「全然読めん」サル

 

草書やってたじゃん(笑)。

 

安須可ら盤 若菜徒ま牟と しめし野尓 昨日も今日も 雪ハふ利徒ゝ

(明日からは 若菜摘まむと しめし野は 昨日も今日も 雪は降りつつ)

 

右は伊勢の恋歌。別れの歌。

 

三輪濃山 如何尓待見舞  としふとも たづぬる人も あらじ登於もへ半

(三輪の山 いかに待ち見む 年ふとも たづぬる人も あらじと思へば)

 

意味は汲みやすいが、筆跡から読みを判別するのは書道をやっている人でも難しいそうだ。崩し文字の世界では平仮名に充てる字はかなり自由だし。だから面白いとも言えるが。

 

 

第四章 光悦茶碗

 

最後はいよいよ茶碗。

 

自己流ゆえに約束事から解放された傑作が生まれた。

 

重文 本阿弥光悦《赤樂茶碗 銘「乙御前」》(17世紀)

 

まず対面するのが、手づくねの口縁が何とも言えず繊細な赤樂。釉薬は飴を流したように薄く、虫食いや罅までが全て計算されたような隙の無さ。逆説めいたその風貌はまさに乙御前(=オカメ)。醜女なのに福をもたらすという謂れそのままに観る角度で姿が変わり、飽きがこない。いずれは国宝だろう。

 

「テキトーなこと言って」サル 叱られるよ

 

重文 本阿弥光悦《赤樂茶碗 銘「加賀」》(17世紀)

京都・相国寺蔵

 

赤樂と云いつつ、胎土は白という変り種。銘の由来も景色ではなく、加賀国の茶碗だからだという。しかし、その刷毛で刷いたような無造作な赤と侘び寂びた姿はすっぽり掌に収まる所謂“切り立ち型”。その形の良さも相まって、つい手に取りたくなる。やっぱり国宝だろう。

 

重文 本阿弥光悦《黒樂茶碗 銘「時雨」》(17世紀)

名古屋市博物館蔵

 

薄い削り出し高台。わずかに開いた口縁。鈍色に光る薄い胎土。本作は三井家、平瀬家、戸田家、そして下村西行庵から尾張一宮の森川如春庵の手を経た数寄者垂涎の名物。最後はめでたく名古屋市博物館に収蔵された。どう見てもこの先国宝だろう。

 

「博物館が一番安全だよ」サル ドロボーからも地震からも

 

重文 本阿弥光悦《赤樂兎文香合》(17世紀)

出光美術館蔵

 

こんな作例も。松平不昧公から原三溪の旧蔵を経た名品。箱書きには宗達の文字。端部の大胆な面取りと赤樂特有の鴇色。勢いを感じさせる兎と芒の輪郭線が美しかった。

 

重文 本阿弥光悦《銘「弁財天」》(17世紀)

 

何がいいって、この赤土に垂れ滲む色気に満ちた白化粧以外にない。他にも長次郎赤樂「無一物」導入黒樂「木下」など樂茶碗14点が展示されていた。陶芸好きにはたまらない絶品揃いでした。

 

「焼き物は判らん」サル ひつの戯言もスルー

 

『本阿弥行状記』において“生涯へつらい事至って嫌ひの人”と記された光悦。自ら、異風者(変わり者)と言って憚らなかった。やはり天才としか言いようがない。

 

 

本阿弥一族の歴史は最近中公文庫に入った中野孝次の翻案小説『本阿弥行状記』(親本1992年)に詳しい。中野といえばベストセラーになった『清貧の思想』が懐かしいが、その原点は光悦にある。常に本物に執心しながら、物欲に捕らわれない姿勢はミニマリズム主流の現代に通じるかもしれない。同じ侘び数寄の大家、千利休が日常においても千金の道具に拘った在りようと真反対の生きざまだった。

 

以上、光悦の世界にどっぷりハマった一日だった。お腹減ったね。

 

「端っこのベンチに座ってオムスビ食べよ」サル 拵えてきた

 

心は豊かでも財布は空っぽのサルとヒツジだった。

 

(おわり)

 

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