渋谷区立 松濤美術館
℡)03-3465-9421
往訪日:2024年1月7日
所在地:東京都渋谷区松濤2‐14‐14
開館時間:10時~18時(月曜休館)
観覧料:展覧会によります
アクセス:京王井の頭線・神泉駅から約5分
※展示品は撮影NG
※金曜18時から建築ツアー開催
■設計:白井晟一
■施工:竹中工務店
■竣工:1980年
《異国の宗教建築のようなファザード》
ひつぞうです。一月初旬に渋谷区の松濤美術館を訪ねました。ここは建築家・白井晟一(しらい せいいち)が設計した近代の名建築。企画展も充実の内容で期待に胸を膨らませての往訪です。
★ ★ ★
東京都の区立美術館の充実ぶりにはいつも驚かされる。ここ松濤美術館は23区で初めて美術館建設を掲げたことでも注目に値する。高級住宅地という土地柄を考慮した旧土木事務所の跡地再開発だった。準備懇談会には神奈川県立近代美術館館長を務めていた土方定一を筆頭に当時の碩学が顔をそろえた。その意匠設計を指揮したのが“哲学の建築家”と称された白井晟一(1905-1983)だった。
(壮年期の白井。前川にしろ丹下にしろこの時代はダンディな建築家が多かった。)
白井の人生は一作の本が書けるほど波瀾に満ちている。京都の裕福な商家に生まれたが、一高受験に失敗し、京都高等工芸学校(現 京都工芸繊維大)に進学。教鞭をとっていた哲学者、戸坂潤との出逢いがその後の進路に多大な影響を与えた。ドイツ留学後は建築に留まらず、哲学とマルキシズムに傾倒。帰国後は数寄屋建築を中心に公共建築まで幅広く手がけた。ただし、流行りのモダニズムには背を向けて。
(哲学者を思わせる晩年の白井。ナルシストだったのかも)
因みに中央公論社の中公文庫のデザインも白井の仕事。
社長を務めた嶋中雄作とは昵懇の間柄だった。
木造建築が大半を占める白井作品は、他の建築家とは比較にならない勢いで失われつつある。その意味で松濤美術館は貴重な作例と言えた。原設計では恵那錆石(鉄分を含んだ花崗岩)だったが、色調の明るい韓国産の紅雲石(長石比率が高い花崗岩)に変更になった。一番のネックは敷地面積の狭さ。そこで前庭を広く見せるために、湾曲したセットバックにした。
(平面図)
(※ネットより拝借いたしました)
全体を矩形にせずに楕円形にしたのも、周囲の住宅に配慮した影を減らす工夫なのだとか。
その紅雲石が高く野積みになっている。正面入り口は教会に似て厳粛な佇まい。
この日は瀧口修造・阿部展也・大辻誠司・牛腸茂雄の写真展が開催。
なんだろう。かつての受付?楕円形の小窓が気になる。
「蛇口になにか書いてある」?
ラテン語でPVRO DE FONTEと記されている。直訳すれば“泉の清らかさ”。
庇は銅板の燻し仕上げ。
「結構高いにゃ」
真正面から撮影すると判りにくいけどね。
時間になったので入館。並んだのは他に5名ほど。企画が玄人好みだからか。
「はいゆ」
フロント天井部は薄くスライスした縞瑪瑙が施されてLEDで照らされている。
見あげてみる。
「きれい」
割れたらえらいことだね。
企画展鑑賞の順序は二階から順に地下一階まで。楕円形の展示スペースの中央は吹き抜けになっていて、地階に噴水が設えてある。外光を少しでも取り入れる工夫だ。そして中央にブリッジを架橋。ここも見所のひとつだ。
一階ロビー。中央の吹き抜けから温かみのある光が。
外側には丸窓。数寄屋造りのエッセンス。
全体的に優しい曲線で処理されている。
ブリッジに出てみた。
これは屋内から見あげたもの。
「ほうほう」
今度は二階から見下ろした。優美なシルエット。
洋風建築なのに数寄屋造りの坪庭のようだ。
「すごいね」 こんな処に噴水
素晴らしかった。
ちょうど青空になった。
見あげると青空が合わせ鏡のように写り込む。
「計算されてゆ~」
では最後の見所。階段へ。
階段も手摺も曲線だけ。
踊場の照明も美しい。
「段差も小さいんだにゃ」
定番のフラクタル構造。最上階から。
一階降りただけで景観が少し変わる。
床のカーペットも壁面や天井と同じベーシュで統一されていた。
天井の梁に注目。
「ここも緩やかなカーブになってるね」
素晴らしい美術館だった。
企画展のメモは次回。
「ふむふむ」 頑張り給え
(つづく)
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