名建築を歩く「早稲田大学大隈記念講堂」(東京都・早稲田) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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早稲田大学大隈記念講堂

 

往訪日:2023年12月3日

所在地:東京都新宿区戸塚町1‐104

開館時間:見学自由(2月入試期間を除く)

拝観料:無料

アクセス:東京メトロ・早稲田駅より徒歩5分

※キャンパスツアーあり

※関係者以外は講堂入館不可

■設計:佐藤功一、内藤多仲

■竣工:1927年

■施工:戸田組(現:戸田建設)

■国指定重要文化財(2007年)

 

《憧れだった早稲田キャンパス》

 

ひつぞうです。小田原日帰り旅の翌日、早稲田大学に行きました。早稲田キャンパスには近代の名建築と複数の博物館があり、いずれは行きたいと思っていました。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

早稲田大学は憧れの大学だった。なによりも自由で快闊なイメージがあった。ラグビー部のユニフォームもかっこいい。田舎者の僕には、まず東京の大学というだけで耀いてみえた。そして、多くの逸材、とりわけ有名作家を数多く輩出していた。要するに、進路の一過程というより、イメージ先行の子供っぽい憧れの対象に過ぎなかったのだ。結局は親父の理不尽な反対と軋轢によって挑戦する機会を失い、適わぬ夢となったが。

 

「よかったんだよ。ヒツはそれで」サル 都会の競争は向いてないし

 

まったくだね。

 

この日は快晴だった。東京メトロ・早稲田駅の階段を上がる。師走を迎え、さすがに午前中のビルの谷間は肌寒い。信号待ちをする横に並んだ(僕とは親子ほど年の離れた)若者たちが、すべて早稲田の学生に思えて、なんとなく眩しく感じた。

 

 

早稲田キャンパスまでは一本道。癖の強いドラードギャラリーの建物の角を曲がると、ベージュの化粧タイルで覆われた大隈記念講堂が視界に入る。

 

 

早稲田キャンパスは部外者にも開放されている。但し、大隈記念講堂は関係者以外は立ち入り禁止。外からの鑑賞に限定される。ガイドつきのキャンパスツアーも開催されていたが、内部に入れないのは一緒。自由散策することにした。集団行動は苦手。そもそも僕は宮仕えに向いていない。

 

 

設計コンペにより、早大建築科に奉職していた佐藤功一(意匠)と内藤多仲(構造)によって手掛けられた。佐藤といえば日比谷公会堂が有名だ。かたや、裏方イメージの構造設計だが、タワー建築の第一人者の内藤は東京タワー名古屋テレビ塔において足跡を残した。郷里山梨の公共建築(例えば、山梨県庁旧庁舎など)では意匠設計も務めている。

 

「これって大学ができたときからあるのち?」サル

 

いやいや。総長の大隈重信が逝去したのちに、記念講堂建設の機運が湧き起こったんだ。渋沢栄一を筆頭に多くの著名人が寄附している。チューダー・ゴシック様式を鏤めたデザインは、先行する英国の公共建築にも似ていると言われているね。

 

(参考資料)

(※ここだけネットより拝借いたしました)

 

演劇研究では国内随一の学び舎だけに内部は大ホールとなっている。三階構造で収容数1123席。

 

「舞台や演奏もできるんだね?」サル

 

さすが私学の力はすごい。というよりも大隈に対する信奉者がそれだけ多かったという証しかもね。7号館と8号館の間に大隈重信像があるので行ってみることにした。

 

朝倉文夫《大隈重信像》(1932年)

 

やはり朝倉文夫の彫刻には圧倒的存在感があるね。実は朝倉の大隈像は二作目。かつて芝公園に衣冠束帯の像が建てられたが、太平洋戦争における金属供出で失われてしまった。このガウンと角帽姿の大隈のほうが柔和な感じがするけれど。

 

 

ただ、口をへの字に結んだお決まりの表情に、朝倉が大隈に抱いた印象…短気で癇癪持ちだった人となり…を端的に表現しているように感じた。いずれにせよ、多くの近代システムを導入し、総理大臣を務めた大偉人であることに変わりはない。早大OBの同僚は「大隈重信」ではなく「大隈先生」と呼称する。偉大な先達を持たない僕には、やはり、そのひとつを取っても羨ましかった。

 

この後も暫く構内をぶらつくことにした。

 

「ほんと、よそ様の学校をぶらぶらするの、好きだのー」サル

 

(つづく)

 

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